[CSR]岡田卓也氏はなぜ木を植え続けるのか――イオン名誉会長と2時間独占インタビュー

植樹活動は間接的に当社にプラス

――先ほど、なぜイオンはそれほど植樹するのかという質問をしましたが、これは企業にとって大事な命題です。ノーベル経済学者のミルトン・フリードマンは「企業の慈善活動は、株主にとって背任行為ですらある」と主張し、それをずっと信じている経営者がいます。企業のCSR活動は余計なコストであるとか、企業は本業だけをきちんとやっていれば良いとか。こういう考え方の経営者が日本ではまだ多い状況です。

岡田: 植樹活動は企業に間接的にプラスになっていることは間違いありません。大規模小売店舗を作ろうとすると、反対運動が起こります。一方でそれは非常にプラスになる場合があります。反対運動をどんどんやると、店が出来るまでに「あそこにイオンが出来る」と有名になるからです。

最近では、反対運動も少なくなり、事前にイオンを知ってもらうために何をやるかというと植樹をやるのです。店を作る前に地域の方に植樹をしますと宣伝すると、2000人くらいが集まってくれます。それを新聞などのメディアが取り上げてくれます。そして、ショッピングセンターの駐車場の周りが緑に囲まれるというわけです。

海外でも私どもの店舗には毎日お客様がいらっしゃいます。中国の砂漠や、東南アジアで植樹をしている企業はたくさんありますが、植樹は地域に根差した小売業だからできることだと思っています。

――そうやって企業と地域が共生する仕組みは、タルボットの親会社だった米ゼネラル・ミルズ社から学ばれたのですね。

岡田: まだ岡田屋だった昭和20年代、世の中にスクーターが出てきました。若者がスクーターで人をはねる事故が多発して、一家の柱が亡くなったりすることがありました。

当時保険をかけたりしなかったから、その家族の生活がガラッと変わってしまう。高校に行けなくなってしまう子どもが増えました。調べてみると、わが社の若い社員が事故を起こしたこともありました。

当時、「大日本育英会」という奨学資金があり、家庭の事情で学校に行けなくなってしまった子どもたちに奨学資金を出していました。他にそういう制度がなかったので、「風樹会」という奨学金制度を作りました。

奨学金をもらう人が一年生の人もいれば、三年生の人もいる。そうすると、3年間という期限ですから、次の人に資金を回せるのです。最初はこちらも小さな店だったので月1000円でよかったので1年間に12000円出していました。最初は5人でしたがその後はどんどん増えていって、何百人となりました。

私の父親は私が2歳の時に亡くなり、10歳の時には母親が亡くなった。仏教なのでしょっちゅうお坊さんがやって来てお経を唱えるので、暗記するほどでした。

お経の後に五書をお読みになるのですが、その中に「風樹」という言葉が出てきて「風樹会」としました。ジャスコになってから止めてしまいましたが、たくさんの人に奨学金を出せたと思います

――可哀そうな子どもたちを何とかしてあげたいという利他的なお気持ちからだと思います。本業はかなりお忙しかったのにかかわらず、こうした活動をされる動機は何でしたか。

岡田: 私の父も母も早くに亡くなったので、祖父が後見人になってくれました。祖父は農林技師で、東京大学の前身の旧制高等学校を出ていました。

日本ではかって士農工商があり、私は「商」としてずいぶん戦いましたが、「農」だった祖父の方がずっと偉かったと思います。隠居して家にいましたが、三重県の知事がその頃「従五位」、祖父は「正五位」でしたから、農林技師は位が上だったのです。

祖父は草木の話をよくしてくれました。金閣寺か銀閣寺にナンテンの床柱があるのですが、私が子どものころに床柱になるよう、立派なナンテンを育てたくて、実を撒いて肥しをやってどんどん大きくなれ、大きくなれ、と一生懸命世話したものです。

小売業は平和ではなければ成り立たない

――イオングループでも税引き前の利益の1パーセントを社会貢献に充てています。岡田さんは、企業の持続可能性と、地域や地球の持続可能性を、同一だとお考えですか。

岡田: 小売業は人がいないとダメなのです。同時に平和でなければいけない。だから私は「小売業は平和産業」だと言っています。

例えばタイは第二次世界大戦後、戦争はありませんでしたが、カンボジアでは戦争がありました。ベトナムもありました。戦争のあった国はやはり、遅れているのです。今、ようやく追いついてきている状況です。

――日本とアジアの関係は今後ますます緊密にならなければいけないと思いますが、最近、中国、韓国との関係がぎくしゃくしています。岡田さんはどういうお気持ちで見られていますか。

岡田: 私はいわゆる日本帝国陸軍の最後の世代です。仲間はずいぶん亡くなったし、中学の時の「予科練」は特攻隊で8割が亡くなられた。そういう世代がだんだんいなくなり、当時のことが忘れられているのです。

中国、韓国でも同じです。戦争を知らない世代が増えています。私たちのような戦争を知っている世代からすれば、非常に考えなくてはならない問題になっています。お互いに戦争体験を忘れないようにすることが大切だと思っています。

――小売業を「平和産業」と仰っているお立場からすると、二度と悲惨な戦争は経験させてはいけない、子々孫々、平和でなくてはいけないという思いがおありになると思います。

岡田: だんだんそう思う人がいなくなってきています、戦争を知らないし、見えてこない。学校でも日本の近代史はあまり教えていない。

――ダイエーの中内功さん、イトーヨーカドーの伊藤雅俊さんも戦争に行かれています。

岡田: みんな大正年代ですからね。伊藤さんや私は国内にいましたからそれほどではなかったですが、中内さんは特にフィリピンの山奥で戦争を体験されました。

――今の日本には、不穏な空気を感じます。

岡田: それだけにもっと民間が頑張らなければなりません。万里の長城で100万本植えるのに1000人くらいで行ったのですが、その中に中国の方と仲良くなって息子さんの結婚式に招待された方がいます。それが本当の民間交流だと思います。

環境財団では国連の生物多様性条約事務局と協力して、生物多様性に寄与された方々に「みどり賞」を差し上げています。10万ドル、約1000万円の賞金があります。第1回ではインドネシアの環境大臣で、マングローブを植える時に助力してくれた方が受賞しました。

第2回がインド、ベトナムの大学の方で、やはり植樹に協力してくれています。ベトナムで起きた南北戦争にアメリカが介入して枯葉剤を撒き、生態系を壊し土壌汚染を引き起こしましたが、人道上、大変けしからんことです。その方は土壌改良をして森林再生を目指しています。まず土壌を改良しないと木が植えられません。

――海外へ行かれたらご自身でも樹を植えられるのですか。
岡田:植えています。ですが、もう腰が痛くなってきてしまいました(笑)。

――イオングループとして東北地方にも多くの店舗がありますが、東北復興や原発問題についてはどう思われますか。

岡田:震災直後に全国の店舗で募金活動をしましたが、すぐに30億円集まりました。さらにイオン1パーセントクラブで同じ金額を足して60億円を募金することができました。

原発は大変な問題です。いくらでも技術はあるのに未だに原子力に頼っているのは考えられません。地震の多い国で全国に54基も、しかも税金で作っているのに、誰も「なぜ?」とは言いません。

原発は貿易摩擦のためなのか、誰が進めたのか、どこにお金が入っていくのか、地域対策費とは何なのか。そういう事が明らかにされていません。不思議だと思わないことが不思議です。

kouma

高馬 卓史

1964年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。総合情報誌『選択』編集長を経て、独立。現在は、CSR、ソーシャルビジネス、コミュニティ・デザインなどをフォロー中。執筆記事一覧

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