サッカー通じたボスニアと日本の架け橋[中畑 陽一]

■森田氏の目指す未来

ボスニアの街並み
ボスニアの街並み

現在東京都内で教員をしながらこの活動を続けている森田氏によると、彼が目指すのはボスニアの戦後復興と日本との懸け橋になること。平和のためにはやはり経済的な安定が重要であり、そのためには現地に雇用を増やさなくてはなりません。

ボスニアには多様な民族があるからこそ織りなす多彩な食文化や観光資源があります。森田氏は、今後はそうした価値を生かして企業教育や、商品開発のコーディネートなどにも関わっていきたいとのこと。

また、戦後70年で戦争を知る人が少なくなってきた日本において、周辺諸国との緊張が高まる中、ほんの20年前まで民族の違いによって戦争をしていたボスニアの経験と悲しみ、そして希望から得られるものは非常に大きいと森田氏は語っています。

オシム氏やハリルホジッチ氏と、ボスニア・ヘルツェゴビナから2人も日本代表監督になり、これは奇跡的なことです。森田氏のような情熱と信念を持った若者が地道に活動を進める事で、ボスニアと日本との関係性も深まっていくことでしょう。

東欧と言えば西欧諸国へ製品を供給するための工場として日本企業の進出も進んでいますが、グローバル経営を進めていくなかで、バルカン地域における地域コミュニケーション、コラボレーション、社会貢献企画を考えたい企業は、現地文化への理解が深く、ネットワークが広い森田氏に相談してみてはいかがでしょうか。

戦後70年、戦争の記憶が薄れていくなか(記憶すらない人が増えるなか)、情報だけが爆発的に増える一方、自由になる時間は少なくなり、自ら考えて意見を持つこと自体難しくなってきている時代です。

歴史に翻弄され、絶望と希望を実体験として味わってきた「ボスニア・ヘルツェゴビナ」と、自らが生まれ育った日本を愛する森田太郎氏は、二つの国をつなげることで、そうした今の「風潮」に一石を投じているのだと思います。日本人に課せられた平和への責任は、一人ひとりの今にあるのだと。

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中畑 陽一(オルタナ総研フェロー)

静岡県立大学国際関係学部在学時、イギリス留学で地域性・日常性の重要性に気づき、卒業後地元の飛騨高山でタウン誌編集や地域活性化活動等に従事。その後、デジタルハリウッド大学院に通う傍らNPO法人BeGood Cafeやgreenz.jpなどの活動に関わり、資本主義経済の課題を認識。上場企業向け情報開示支援専門の宝印刷株式会社でIR及びCSRディレクターを務め関東・東海地方中心に約70の企業の情報開示支援を行う。その後、中京地区での企業の価値創造の記録としての社史編集業務を経て、現在は太平洋工業株式会社経営企画部にてサステナビリティ経営を推進。中部SDGs推進センター・シニアプロデューサー。

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