きっかけは東西冷戦構造の終焉、ベルリンの壁の崩壊でした。1989年のことです。今思うとウソみたいですが、当時「米ソの対立がなくなり、これからは国連の時代だ」と言われたものです。しかし、予測は見事にはずれました。
国連軍が存在しない中、国連は地域紛争にPKO派遣で対応しようとしましたが、荷が重すぎました。世界の安全保障は相変わらず米国、ロシアなど大国に委ねられたのです。
しかし、国連はしたたかでした。核戦争の危機がなくなれば、これからの世界にとって重要なのは非軍事的な課題だと察し、安保理(安全保障理事会)とは別に経済社会理事会を活性化させ、地球規模の経済問題、社会問題に焦点を当て、リーダーシップを発揮したのです。
1992年に地球サミットと呼ばれる環境開発会議(リオデジャネイロ)で気候変動枠組み条約、生物多様性条約を決定したのを始め、世界人権会議(ウィーン)、国際人口開発会議(カイロ)、世界女性会議(北京)、国連人間居住会議(イスタンブール)と90年代次々に世界会議を開きました。
グローバル化の負の側面の克服と同時に、今後深刻化するであろう地球環境、貧困削減、ジェンダー問題などに取り組む姿勢を明確にしたのでした。