飛騨高山の価値創造千年物語(中畑 陽一)

価値創造のルーツは数千年前にあった

日本有数の山脈に囲まれた雪深い山国として、かつては外界と途絶されていた飛騨地方。だからこそ、独自の価値・文化が発達したものと長年考えていました。しかし、改めて調べていくうちにそれは私の浅知恵だと気づきました。

調べてわかったことは、実は縄文中期という太古の昔から北陸や信州との文化的な交流が確認されていたことでした。そうしたことから、飛騨地方には良い木材資源にめぐまれ、北陸方面から得た技術もあいまって製材・木工についての特殊な技術を習得した人々がいたことが早くから中央政府に認識されていたというのです。

縄文中期というと約三千年~五千年前です。この時期から飛騨のオープンな外部との交流がなければ、木工の発展、すなわち今の高山の発展はなかったと考えられます。

その外部との交流が結実していくのは4世紀、漢の建築技術を伝える「てひと」を迎え、その木工技術を吸収していくことになります。それが高い匠(たくみ)の技に発展してくことになったと思われます。ここでも、飛騨人(ひだびと)たちは、外から技術を学んだことが分かります。

この「匠」が歴史に刻まれる形で認識されたのが奈良時代です。雪国で貧しかった飛騨地方は、中央政府への税を払うことができませんでした。そこで税を免除される代わりに、匠丁すなわち宮大工を出すことになります。

金(米)を払えないから体で払う、いえ、金を払えないから技で払う、これが飛騨人の凄さであります。価値と価値の交換です。このとき宮大工として仕えたのが、今でいう「飛騨の匠」と呼ばれる人々です。万葉集にも登場した飛騨の匠たちは、平城京の西隆寺、正倉院の宝物など数々の重要な仕事に関わりました。

伝説の怪物「両面宿儺(りょうめんすくな)」

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中畑 陽一(オルタナ総研フェロー)

静岡県立大学国際関係学部在学時、イギリス留学で地域性・日常性の重要性に気づき、卒業後地元の飛騨高山でタウン誌編集や地域活性化活動等に従事。その後、デジタルハリウッド大学院に通う傍らNPO法人BeGood Cafeやgreenz.jpなどの活動に関わり、資本主義経済の課題を認識。上場企業向け情報開示支援専門の宝印刷株式会社でIR及びCSRディレクターを務め関東・東海地方中心に約70の企業の情報開示支援を行う。その後、中京地区での企業の価値創造の記録としての社史編集業務を経て、現在は太平洋工業株式会社経営企画部にてサステナビリティ経営を推進。中部SDGs推進センター・シニアプロデューサー。

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