タイコウサマ殺人事件 (希代 準郎)

 今朝は一段と波が高い。荒天の中、ひとりの若者が憑かれたように貝紫染めに打ち込んでいる。仲間が集まってきた。
「アントニオ、きょうも来ているな」
「ああ、結婚式が近いからあせっているんだろう」
 若者たちがつぶやく。この若い男が結婚を間近に控えているようだ。詳しい話を聞こうとすると、後ろから誰かが止めた。
「聞いても無駄だ」昨夜のジイサンだった。「ここでは日本人は嫌われている」。
「一体、どこへ向かっているんだ」アクセルを踏み続けているルイスに話かけるが返事がない。車はようやく、ある建物の前で停まった。荘厳な教会がそびえ立っている。靴音が静かな礼拝堂に響く。
「欣也、スペインがアステカ帝国を征服した後、先住民への宣教のために建てた教会だよ。ここに1597年、日本26聖人のひとりとして、若くして長崎で殉教したメキシコ人修道士フェリペ・デ・ヘススの壁画がある。ほら、あれだ」
「太閤さまが殉教を命じた」と大書したラテン語の文字が目に飛び込んでくる。
「26聖人は左の耳たぶを切り落とされ、長旅の果てに磔で両脇を槍で刺し貫かれてた。その中の一人がフェリペなんだ」
「知らなかった」
「キリシタンへの弾圧は続き、クリストヴァン・フェレイラ司祭は穴吊りの拷問を受けたんだ。全身を縄でグルグル巻きにされ、穴に逆さ吊りにされてね。頭に血がたまるとすぐ死んでしまう。だから、耳に穴をあけて出血させ、生き永らえさせたそうだ」
「なに、耳に穴だって。ルイス」
「そう。それで、日本人は嫌われているというジイサンの言葉で、この教会と結びついたというわけなんだ」
「日本人だから、あんな殺され方をしたいうことか」
 教会を出るとパトカーの中で、ソーニャが待っていた。
「やっぱりここへ来たのね。太閤さまを嫌っている土地柄で大事な貝を奪おうとしたのはまずかったわね」
「ミステカ族の伝統に逆らった罰だ」ルイスが体を震わせる。
「事件の構図はだいたいわかったんだけど、実は、もうひとり犠牲者が出そうよ。急いで」ソーニャは、そう言ってパトカーのドアを開けてくれた。
 町はずれの倉庫には、ヒメサラレイシで一杯の大きな水槽と、それを囲むようにしてアントニオと親族。そしてサパタがいた。全員が逮捕されたところだった。
 傍らに死体がひとつ転がっている。
「こいつが黒幕よ」
 ソーニャがハイヒールで死体を蹴った。ゴロリと転がり、顔が見えた。弥助という染織家だった。誘拐され、日本へ出荷直前の貝の隠し場所を吐かされた後、殺されたらしい。心臓がえぐられている。
「明日が結婚式だが、貝紫はついに間に合わなかった。弥助の心臓を神に捧げ、許してもらうつもりだった」とザパタ。
「ジイサン?ああ、ササキね。日系移民、いい人よ」ソーニャが寂しそうに微笑んだ。       (完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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