飛騨高山の価値創造千年物語~江戸時代編~

何よりこの江戸時代における匠の真骨頂は、日本三大美祭として有名な高山祭の祭り屋台です。祭り屋台は江戸時代に始まった春と秋両方に行われるこれまた高山が世界に誇る祭りで、ほかの日本各地の鉾屋台祭りと合わせて2016年にUNESCOの無形文化遺産にも登録されました。

今でこそ「絢爛(けんらん)豪華」と評され、高山の古い街並みと合う雅な姿が謳われる高山の祭り屋台ですが、当時は大名にさえ金を貸し付ける豪商たちが意地と誇りをかけて作り上げ、地域ごと一つずつ所有された祭り屋台の見事さを自慢しあい、時にぶつかりあい(物理的にも)、ケンカが絶えなかった非常に過激なものでした。

その祭り屋台の最大の特徴が、飛騨の匠が損得を度外視して作り上げた彫刻だったといいます。特に、台輪のすぐ上の「下段の彫り」は、通行人の目によく目が触れることからも最も力が入ったものでした。特に評価が高かったのは、飛騨の名工中の名工、谷口与鹿(よろく)のものでした。麒麟台、恵比寿台、鳳凰台など数多くの屋台を手掛けた与鹿の彫刻は、数百年の時を超え、今もその技術の高さを見せつけています。もっとも、その与鹿も技術は「五台山の飛獅子」を彫り上げた諏訪(長野県)の立川和四郎に学んだといわれています。ここでも飛騨の匠は外に学ぶことで、その卓越した力を開花していったことがわかります。

五代山の見事な刺繍幕と彫刻

このように、飛騨高山の観光業を支える文化の根幹である飛騨の匠は、どの地域もまねができない数千年をかけた地域の自然資源、人的資源によって培われた高山らしさにあることがわかります。そしてそれは高山の中興の祖ともいうべき、金森長近の卓越したリーダーシップによって花開き、今に至るまでの高山の基盤となったのです。

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中畑 陽一(オルタナ総研フェロー)

静岡県立大学国際関係学部在学時、イギリス留学で地域性・日常性の重要性に気づき、卒業後地元の飛騨高山でタウン誌編集や地域活性化活動等に従事。その後、デジタルハリウッド大学院に通う傍らNPO法人BeGood Cafeやgreenz.jpなどの活動に関わり、資本主義経済の課題を認識。上場企業向け情報開示支援専門の宝印刷株式会社でIR及びCSRディレクターを務め関東・東海地方中心に約70の企業の情報開示支援を行う。その後、中京地区での企業の価値創造の記録としての社史編集業務を経て、現在は太平洋工業株式会社経営企画部にてサステナビリティ経営を推進。中部SDGs推進センター・シニアプロデューサー。

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