精子卵子取引所 (希代 準郎)

◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(47)

 女の肌がピンクに染まり汗が浮かんでいる。「感じるーぅ」。腰がうねり下腹部が強く締めあげてくる。ウッッ!男は全身を痙攣させた。あそこが牧場のミルキングマシーンのように精液を絞りとっている。
「終わりましたか」
 耳元で女の素っ気ない声がした。
 ああ、とうなずいた途端、突然下から強い力で押しのけられ、男はベッドから転がり落ちた。
「こら何をするんだ。危ないじゃないか」
「ごめんね。だってハンガーみたいな見事ないかり肩なんだもの。つい押したくなっちゃって」
 冗談じゃないよ、まったく。ロボットのくせして。男は大きなため息をつくと「ステータスB」の受付に戻った。ここは国立生殖医療研究所付属病院だ。順番待ちの男たちが不機嫌そうな顔でソファに座っている。
「後沢祐作さま」
 男の名前が呼ばれた。鈴の鳴るような美声だ。
「いつもありがとうございます。契約通りロボットの体内着装式コンドームから回収した精液は直接、精子卵子取引所へ送付します。もちろん遺伝子情報は極秘扱いです。ご安心ください。本日の精子提供代は10万コインです。ウォレットに送金しておきますね」
 売る時は100万コインもとるんだよな、とぼやくついでに「君、なかなかきれいだね」とのっぺり顔の受付嬢に話しかけてみた。案の定、顔はこわばり首がガタガタ揺れ出した。
「モウシ、ワケ、アリマセン。想定外の質問にはオコタエ、デキ、カ、ネ、マス」
 やっぱり、この受付嬢もAIか。足元をふらつかせながら帰ろうとした時、空飛ぶタクシーが玄関に着き、見覚えのある顔が近づいてきた。友人の息子でマラソンランナーの成彦だった。
「成彦君じゃないか。君のような有名人でもステータスBなの」
「有名人なんてとんでもない。多少顔が売れているといっても、まだ実績がないですから。オリンピックで金メダルでも取らない限りステータスAは無理ですよ」成彦は渋い顔になった。
「学者もノーベル賞級でないとAは難しいからねえ。私は東大教授だが、20年来Bだからな」
 後沢がステータスAを羨ましく思うのは、精液提供作業の際、相手をしてくれるのがロボットではなく遺伝子操作で作られた人間のグラマー嬢だということだ。もちろん精子提供料も破格である。
 そんなことを考えていると、成彦が「実は僕、陸上仲間で付き合っている恋人がいるんです」と声をひそめた。「どこか彼女の遺伝子履歴を調べてくれる機関を知りませんか」
 聞けば、成彦自身が、陸上好きの母親が精子卵子銀行で大枚をはたいて買った有名なマラソンランナーの精子で受胎し代理母に産んでもらった子だという。知り合いの女性ランナーの何人かは成彦と父親が同じらしい。それで近親相姦を避けるために何とか恋人の父親が誰かを確認したいのだという。
 時代は、令和、そして広至が終わり、万保に入っている。急速に発展した生命科学分野の生殖技術は行きつくところまでいき、これまでの性や家族のあり方を大きく変えていた。明るい未来の技術ともてはやされたのがウソのように社会を混乱させている。悪いことに情報がすべて国家によって管理されている。普通の人間が情報を必要とする時は、コネで特権階級に近づくか、金に頼るしかない。
「後沢さんなら精子卵子銀行のお偉方にコネがあるんじゃないですか?」
「とんでもない、成彦君。君のお父さんは宇宙旅行に何回も行き月に広大な土地を持っている大金持ちだ。まずお父さんに相談すべきだよ」
 それにしても誰と誰が兄弟かもわからないというのは困った世の中になったものである。ロボットは家事が上手なうえ、文句も言わないので、AIと結婚するのが一種のブームになっている。肉体的、精神的に欠陥のある人や、IQが低く無能とみなされた人は結婚する権利を奪われているので、そういう人の結婚相手としてもロボットは重宝されている。
 一方、結婚した特権階級でも精子卵子銀行があるので、あえて結婚という制度にこだわらず、子づくりができるようになった。
 働き方も様がわりである。クローンで生まれた「もう一人の自分」が仕事をやってくれる。後沢もここ何年か論文を書いたことがないし、大学での講義も月に1度で済ませている。一方で遺伝子操作によって長寿が保証される「人生150年時代」とあって暇を持て余している人も多い。
 後沢はいまふたつのボランティア活動をしている。ひとつは自殺防止教室だ。家族もなく生きがいも見つけられずに自殺に走る人が跡を絶たない。そんな人を減らそうと月に何回か集まって一緒にカレーを食べている。人間とあまり話したことがない人も少なくない。コミュニケーションをとるのが大変だが、皆でワイワイやりながらカレーを食べていると元気がでてくるから不思議だ。
 もうひとつはIQが低くても自分の子どもを産みたいという人の支援だ。先日も「低IQでも心は豊か」「世襲議員よりお馬鹿な方がまし」と大書したプラカードを掲げて国会前をデモ行進をしたばかりだ。デモの翌日、監視カメラですぐに私の身元がばれ、治安当局から東大へ警告文書が送られてきた。
 心配になって大学の労働組合に相談したが「デモなんかしているから特権階級になれないんですよ、後沢先生。労組はいまおお忙しでね。何しろ、昇格、昇給を訴えているクローン教授たちへの対応でてんてこ舞い。残念ながら何もしてあげられませんな」とつれない。
 悄然としてキャンパスを歩いていると、女子学生に呼び止められた。どこかで見たような気がするが思い出せない。
「後沢先生、突然ですが、遺伝子情報から私の父親はあなただとわかりました」
 警察のいやがらせか。
「実は、母が病に倒れたのです。養育費が必要なんです。助けてもらえませんか」
「何かの間違いだろう。女の姦しさと子どものわがままが嫌いで私はずっと独身だから」
「でも精子提供はなさっていますよね。証拠はそろっています。科学を否定することはできませんよ。そういうことなら裁判に訴えることになりますよ」
 冷たく言い放って去って行く女子学生の後姿を見て後沢は思わず頬を緩めた。絵に描いたようないかり肩だったからだ。
(完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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