「津浪と人間」:寺田寅彦(1933)の随筆―NPO法人「もったいない学会」会長 石井吉徳

昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。それは実際いくらか考えばえがする世の中であったからかもしれない。

それでこそ例えば津波を戒める碑を建てておいても相当な利き目があったのであるが、これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細いような気がする。

二千年来伝わった日本人の魂でさえも、打砕いていてきの犬に喰わせようという人も少なくない世の中である。一代前の言い置きなどを歯牙しがにかける人はありそうもない。

しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。

紀元前20世紀にあったことが紀元20世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とはひっきょう「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。

それだからこそ、20世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正12年の地震で焼払われたのである。

こういう災害を防ぐには、人間の寿命を10倍か100倍に延ばすか、ただしは地震津波の周期を10分の1か100分の1に縮めるかすればよい。

そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

科学が今日のように発達したのは過去の伝統の基礎の上に時代時代の経験を丹念に克明に築き上げた結果である。それだからこそ、台風が吹いても地震が揺ゆすってもびくとも動かぬ殿堂が出来たのである。

二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視してよそから借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである。それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って脚下の安全なものを棄てようとする、それと同じ心理が、正しく地震や津波の災害を招致する、というよりはむしろ、地震や津波から災害を製造する原動力になるのである。

津波の恐れのあるのは三陸沿岸だけとは限らない、寛永安政の場合のように、太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかはまた繰返されるであろう。その時にはまた日本の多くの大都市が大規模な地震の活動によって将棋倒しに倒される「非常時」が到来するはずである。

それはいつだかは分からないが、来ることは来るというだけは確かである。今からその時に備えるのが、何よりも肝要である。それだから、今度の三陸の津波は、日本全国民にとっても人ごとではないのである。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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