影法師屋--「ショート・ショート」(掌小説)

「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(66)

挿絵: 井上文香
挿絵: 井上文香

知り合いに紹介してもらった店は路地の奥にひっそりとしたたたずまいを見せていた。主人はといえば髪の白い初老の男だった。

珍しい商売ですって? まあね。看板に「影法師屋」とある通り、人さまの影の売り買いを生業にしております。東京ではうちだけです。商売繁盛というほどではないですが、わらにもすがるごとく影のようなはかない存在に頼ろうとするご時世なのか商いはうまくいっております。で、最近多いんですよ、影泥棒。他人の影を盗もうという輩が。一体、どういう了見なのか。

えっ、お客さまも被害にあった。それで新しい影を購入したいと。それは、それは、はい、ようございますよ。

例えば、この黒々とした色艶の影。宝くじで一億円を当てた縁起のいいお大尽の影ときたもんだ。値段もちょっとお高くて百万円なり。逆にこちらはお縄頂戴の前科のある男の影です。金に困っているからと、半ば脅迫されて買ったものです。自殺とか麻薬、ケンカなど汚れ物の影は嫌われますが、一部の好事家には意外に人気なのです。なにせお安いし、不幸な運命の影を慰めたり励ましたりしてまっとうな人生に戻してやろうなんて奇特な旦那もいらっしゃいましてね。

最近、体調がよくないから元気になる影を買いたいと。お客さまの品の良さからして盗まれた影も高い値で売り飛ばされたかもしれませんね。なにしろ影というのは長い間持ち主と人生を共にしているのでその人の人柄を反映します。だから立派な人の影は人気が出ます。残念なことに、そういう掘り出し物にはなかなかお目にかかれないのですが。

影を売りたいと当店を訪れる人は大抵、お金に困って売れるモノはすべて手放し、残っているのは自分の影しかないと、そんな方がほとんどです。そりゃあ貧乏くさい代物ばかりで、汗くさいしドブ臭いし酒の匂いもプンプンします。

それでも若い苦学生の影なんかは人気ですね。先日もあるお金持ちの社長さんが「若いころの頑張りを思い出したいから」と青年の影を大枚はたいて購入されました。かなりの高齢ですが、かつてのエネルギーを取り戻し社運も盛り返したそうです。

その時だった。突然、玄関から老紳士が飛び込んできた。

 「これは社長さん、会社の景気も良くなったそうじゃないですか。おめでとうございます」。店のご主人は愛想を言った。どうやら今しがた話題にしていた、若者の影の購入者のようである。

 「ああ、会社はいいんだがね」。社長はどことなく元気がない。「実は人間ドックでガンが見つかってしまったんだ。あの影、どうも病気持ちだったようだな」。

 「そんなはずはありません。事前に影の健康診断をしていますから」。ご主人が反論すると、社長はみるみるうちに不機嫌になった。

 「でたらめを言うな。影が不吉な病を運んできたに決まっている。こんな不良品を売りつけやがって」と叫ぶと、自分の影をベリベリと引きはがし、ご主人に投げつけると荒々しく店から出て行った。

床に落ちた影を拾いながらご主人は「ガンはご自身の持っていたものなのに」。

ご主人を慰めているとまた玄関に人の気配がした。若い女が立っていた。

「ああ、夢島さんじゃないですか」とご主人。

「ええ、お久しぶりです」

「どうしました」

「はい、ちょっと」

女は初め躊躇していたが、少しずつ事情を語りだした。

夢島さんは親戚の娘さんなんですが、背が高くハンサムな男性に憧れましてね。ところが彼は既婚者で不倫関係。修羅場の挙句、私が間に入って別れさせました。そのかわりに、強引に彼の影を買い取ったのだという。

彼女はその影を大いに気に入り影も夢島さんになついて優しく接してくれたので、毎日が幸せそのものだったようだ。しかし、影はべったりといつも一緒にいるので、夢島さんも段々うっとうしく感じるようになった。口には出さなくても本人と影は一体なので心の声がお互いに聞こえるのです、結局、別れることを決意したのも自然の流れだった。

 「それでこの影を売りたいのです」

 「わかりました。こういう影は女性に人気なのでいい値段で引き取らせてもらいますよ」。ご主人は意外にあっさりとその影を受け取った。

 「それで」女性は思い切ったように言った。「もし以前に売った私の影がまだあるようでしたら買い戻したいのですが」。

うなずいたご主人は倉庫を探して戻って来た。

 「ありましたよ。ほら、これ」

ああ、よかった。女は安堵の表情を浮かべ帰って行った。

最近、ああいう人が増えましてね。影を買ったからと言っていいことばかりじゃない。当たり前のことですよ。夢島さんは自分の影を買い戻していかれたからまだましです。懲りずに何度も影を買い替えては失望する人が多いのです。その挙句、もう影なんか要らない、とこうですから。影のない人間なんて根無し草です。どんな影でも背負って生きて行かなくてはならないのです。

打ち捨てられた影たちは倉庫で不満をため込み、時々反乱を起こすので大変なのです。安心して眠れる共同墓地でもつくろうかなんて考えているくらいですよ。

ところで、お客さま、影を買いたいということでしたね。えっ、買うのはもうやめますって。新しい影を買っても気に入るかどうかわからないから、時間がかかっても盗まれた影を探し、あの影と一緒に病気に向き合ってみると。それがいいですよ。心当たりの泥棒市を回ってあなたの影を探してみますから。人生で何が起ころうとあなた自身が頑張るしかないんです。あなたが頑張れば、影はすぐ横にいて、文字通り「影のように寄り添って」、あなたを支えてくれるのですから。それには馴染んだ影が一番です。

その時になってようやく気付いた。主人には影がなかった。そうなんです。こういう商売をしていながらお恥ずかしい話ですが、今は影法師とは縁のない暮らしなんです。気楽ですが、孤独で寂しい人生です。 

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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キーワード: #こころざしの譜

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