論説コラムーマネキン世界も「脱プラスチック」で植物由来に

1931年(昭和6年)、島津製作所に二代目社長島津源蔵の次男で東京美術学校(現東京芸大)を卒業、朝倉文夫塾で彫塑を学んだ良蔵が入社、芸術的センスを生かしたマネキン創作に打ち込み、その影響で島津マネキンは全盛期を迎える。いわゆるモボ・モガと呼ばれた当時の先端の洋装ファッションの時代を引っ張った。戦争で操業を一時休止したが、1946年(昭和21年)、島津良蔵やマネキン造形作家、向井良吉ら島津マネキン関係者によって京都に七彩工芸(現七彩)が設立された。七彩はマネキン業界の老舗的存在となったのである。

1959年、日本で初めてFRP(Fiber Reinforced Plastics)のマネキンを製作した。FRPというのはマネキン本体の素材で、強化プラスチックのこと。ガラス繊維とポリエステル樹脂の複合素材で軽くて丈夫。そのうえ、手作業で成型ができるので、大規模な設備が不要で、小ロット生産が可能だった。このため業界に革命的変化をもたらした。しかし、かつては産業廃棄物として処理する際に有害ガスを出すほか、ガラスが燃え残るなどの課題があった。七彩ではISO14001を取得するなど環境貢献企業を目指し、昨今の脱プラ・ブームに乗り遅れないよう代替の素材を探していた。

しかし、100%植物由来の生分解性プラスチックの開発は簡単ではなかった。原材料は当初、持続可能な植物由来のバイオ・プラスチックーを製造している米国のネイチャーワークスから仕入れていたが、世界的な需要で品薄になったことから、並行してオランダのコービオンからも提供を受けている。製品化の段階では、マネキンは小さな製品ではないので成型、量産が難しかった。それでも日本のバイオワークスと添加剤を共同開発したことで、その課題をクリア―、合わせて耐熱、耐衝撃を実現することができた。世界的に知られるイタリアのマネキン・ボディメーカーである提携先のボナヴェリ社でもマネキンのバイオ化は70%止まりであり、100%植物由来には、大きな反響があった。

七彩としては当面は胴体部分のみのトルソーを「ビオトルソー」として販売、レンタルを行う考え。製造コストはFRPに比べおよそ1割程度アップするが、デパートやショッピングセンター、服飾メーカーを回ったところ、感触はいいという。年内はビオトルソー800体の生産を予定しているが、今後は年産3,000体体制に持っていく。さらに今後は、生分解性プラスチックの全身マネキンの生産にも取り組んでいく。

店頭で、消費者が「脱プラ」のニュータイプのマネキンに普通に会える日も近い。(完)

harada_katsuhiro

原田 勝広(オルタナ論説委員)

日本経済新聞記者・編集委員として活躍。大企業の不正をスクープし、企業の社会的責任の重要性を訴えたことで日本新聞協会賞を受賞。サンパウロ特派員、ニューヨーク駐在を経て明治学院大学教授に就任。専門は国連、 ESG・SDGs論。NPO・NGO論。現在、湘南医療大学で教鞭をとる。著書は『国連機関でグローバルに生きる』など多数。執筆記事一覧

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