細野豪志議員と森本・元環境次官が語る「原発事故後」

細野  環境省は水俣をはじめとした公害に対する規制からスタートしていますよね。それが2011年を契機に、事業官庁として除染や瓦礫の処理などを始め、自ら施設を作る事業にまで初めて取り組んだ。中でも中間貯蔵施設はスケールが違う。土地の広さ、各種事業の契約規模などどれを取っても、国家としてこれまで取り組んだ経験がないくらい巨大な規模になったわけですけれど、相当な苦労があったんでしょうね。

森本  そうですね。大熊町と双葉町に苦渋のご決断をいただき、いよいよ中間貯蔵施設を建設する段階になった際にも、今おっしゃられたように「空前の規模」となった事業が環境省の手に負えるのかと非常に不安がありました。

そして何よりも、この事業は「多くの人の大切な故郷を使わせていただき、そこに除去土を持ち込む」ということです。その場所には当然、お墓もあれば、たくさんの歴史と人の営みもある。

こういう状況でもなければ、本来は安易に買うべきでない、そもそも買えるものでもない中を、事情をしっかり説明してご協力をお願いする作業になりました。やはり、特に当初は地元の方の葛藤が大きくて、ご了解、ご理解をいただけない状況が1年くらいは続きましたからね。

細野  中間貯蔵施設建設に関する両町の合意から1年後、土地取得が全体の1割にも達していない状況を見て、大丈夫かと心配したのをよく覚えています。やっぱり、初期は大変だったんですね。

森本  大変でしたね。その後も土地購入の専門家の方にたくさん応援に来てもらったと同時に、いかにコミュニティの人たちと理解を深めていくか、そのためにはどなたと話せばいいのかというところにも注力しました。その町のコミュニティの在り様までをも含めて考える作業ですね。それを続けた結果、ようやく徐々に売っていただけるようになりました。

細野  環境省はそこまで現場に肉薄する仕事をしてこなかった。苦労はあったでしょうね。福島市や郡山市では日常生活が戻ってくる中で、自分の家の庭に、もしくは小学校のグラウンドの端に除染した土が埋まっているのを何とかしてくれという声が大量に来るわけでしょう。

森本  福島市に600人ぐらいの体制を作って事務所を構え、そこに環境省からも人材をどんどん送り込んで対応しました。派遣した若い職員には、最初は木で鼻をくくったような対応も見られたものですが、農水省や国交省、福島県から派遣されて来た職員に支えられながら、きめ細かい寄り添った対応を少しずつ学んで、問題を解決する経験をたくさん積むことができました。先ほどもお話ししましたが、そうしたプロセスの中で随分と若い人は鍛えられた、成長したという感じがします。

細野  難航していた双葉郡での中間貯蔵施設用地買収も、2、3年目くらいからかなり進展が見られました。ある程度、買収が進んだところで都市部からの運び込みが行われましたよね。

森本  現状では当初計画の8割近い土地が確保できましたので、運び込みをどんどん始めています。2021年度までには概おおむね運び込める予定です。

細野  全部。除染土を全て中間貯蔵施設に運び込めるわけですね。

森本  そうした除染土は総量で1400万㎥くらいあるんですけど、だいたい運べる計画になっています。

細野  私も関わったんで手前味噌ですけど、よくここまできましたよね。

森本  本当は2020年に東京オリンピックがある予定でしたからね。それまでには、日常空間からの片付けを終えることを目標にしてきました。目標であったオリンピックは延期されましたが、こちらは当初からの計画通り着実に進んでいます。

■復興に向けた除染土の再生利用という発想

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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