細野豪志議員と森本・元環境次官が語る「原発事故後」

細野  運び込みは皆さんの努力で結果が出ている一方で、うまくいっていないことの一つが除染土の再利用です。半減期などもあって放射線量は時間と共に必ず下がり、基本的に多くの除染土は放射線も含めて一般的な土壌とリスクに大差は無くなる。にもかかわらず、それらを実際の放射線量やリスクとは無関係に「放射性廃棄物」扱いのままにしてしまえば、管理するために必要な土地やコストがさらに莫大になり、本当に管理しなければならない線量が比較的高い廃棄物などに対するリソースも制限されてきてしまいます。

 高線量廃棄物を除外したうえで、線量が下がった土については再利用が必要だというのは、私は当初から明確に意識していました。ことあるたびに時の環境省の担当者には言ってきたんだけれど進んでいない。飯舘村内の長泥地区で実験が行われていますが、ほぼ停滞しているのが実情だと思うんですよ。

森本  うーん。比較的マシとはいえ、飯舘にも順調とは言い難いところはありますね。私も飯舘には頻繁に行かせていただいていますし、菅野典雄飯舘村長(※2020年10 月退任)も長泥の区長さんたちもよく理解されてやってきたんですけれども。

それでもやっぱり、先ほどの話でもあった放射能に対する不安っていうんですかね。「安全性は分かったけど、安心じゃない」っていう基本に、なかなか乗り越えられないところがありました。飯舘以外に二本松などいくつかのところでも除去土再利用にチャレンジの動きはあったんですが。

細野  飯舘村では再生利用された土で観賞用の植物栽培などが行われていますね。問題は道路の下に埋めるとか、コンクリートに混ぜて周りは違う物で埋めるとか、そういういわゆるインフラ関係に使うかどうかなんですけれど。環境省はこれまでもいくつもの壁を乗り越えて見事にやったと思う。ただ、ここはまだ踏み込み方が甘いと見ていましてね。

森本  言い訳になりますけれど、チャレンジはしたんですよ。例えば道路の下に入らないかだとか。チャレンジをしたんですけど合意が得られず、できなかったんですね。

細野  私がよく覚えているのは、原発事故時点で建設途中だった常磐自動車道での事例です。除染してからじゃないと道路を作れないとなると発注も別になるし、時間がかかるので、同時進行で作業できるように同じ事業者に頼んだ。

平時になった今は逆に難しいかもしれませんが、もう一度、国交省と一緒に取り組んでもらいたい。それが浜通りの再生にとって非常に重要になってくると思うんですよね。

森本  はい。

細野  21年度で除去土の運び込みが終わるわけでしょう。再利用の目途が立たないまま終わったら、そのまま先送りから固定化されてしまうリスクがある。運び込みが完了する前にスタートしている姿を、ぜひ見せてもらいたいなあと思います。私もサポートさせていただきますので。

森本  再利用については、環境省はもちろん諦めずチャレンジする意思がありますので、そういったサポートをいただきながら進めたいと思います。

細野  あと、そろそろ議論したほうがいいのは、中間貯蔵施設の跡地を何に使うかなんですけれど、いろんな考え方があると思うんですね。例えば、環境省の経験でいえば、熊本の水俣は公害の歴史を乗り越えて、非常に綺麗な公園ができていますよね。私も実際に行って「ああ水俣っていうのはこういう町になってるんだな」ってすごくイメージが変わったというか、いまや水俣は環境都市ですもんね。

森本  そうですね。あの町自身が環境のことを意識して、それ自体を町の復興の柱にしようとされていますね。

細野  あくまで結果的ではありますが、浜通りに広大な敷地ができる。ですから、発想を切り替えて、何をやったら福島、さらには東北、日本にとってより有効かという議論をしていく時期なのかなと思いますね。

森本  あれだけ広大な土地を国が所有させていただいているわけなので、そういった特性を生かして地元にとって意義のある新しいチャレンジは、やってみる必要があると思います。

細野  話が元に戻るんですけれど、森本さんは原子力規制庁の次長としてのお仕事の中で、帰還の基準にも関わりましたよね。避難の基準が年間追加線量で20 mSvに設定されていたので、そこを基準にしたわけですか。

森本  そうですね。結果的にそこを踏襲した形になっています。

細野  これを作る時、そして実際に帰還の段取りをするいろいろなご苦労、そのあたりもすごく大変だったと思うんですが。

森本  まだまだ放射線の安全性についての議論が激しかった時期に、解除の基準を新しく作ること自体に非常に抵抗がありました。反発もありました。でも、それを作らないと、まさに帰れなくなるわけですので。帰りたい方が帰ることを可能にするために、どうやったらいいかと。

これは規制委員会がやるべき仕事なのかは微妙だったとは思うんです。それでも田中委員長が福島出身の方で、やはりこの基準を作らないと本当の福島復興はないという強いご意志を持たれていたのもあって、検討を進めさせていただいた。そんな感じですね。

基準作成にあたっては、放射線に関する大家である丹羽太貫(にわ・おおつら)先生や福島の星北斗先生、森口祐一先生などにもご参加いただいて、オープンで活発な議論を重ねました。やりきった、作りきったという形かと思います。

福島県には議論をオープンに、全て見せる方針でした。そのうえで、県からもいろんなアドバイスやご意見、サポートをいただいて、それらを活かしながら進めてきました。20 mSvをベースにして避難は行われましたね、と。その20 ミリという数値が科学的安全性の範囲内に充分に入っていることを科学者の方たちに言っていただいたうえで、たとえ安全であろうとも不安は残ります。

その不安に寄り添うために、例えば必ずお医者さんなり看護師さんなりの医療のプロをアドバイザーとして任命して、きちんと不安に対処していく。こういうことをセットでやることが大事だというのが、提言の骨子なんです。

細野  なるほど。しかし、現実はなかなか厳しくて、一番初めに帰還を宣言した遠藤雄幸川内村長は悲壮な決意で会見をされてね。それを支えるのは本当に大変だったと思います。

森本  実際に帰還をサポートする生活支援チームというのが別途あって、規制委員会はそれを後ろから支えるという形で関わっていました。

細野  森本さんは次官をお辞めになったあと、早稲田大学で授業をやる傍ら福島にも引き続き関わっておられる。福島には別宅があるんですよね。

森本  お借りしてます。別に特別何かをしているわけではなくて、そこに行っていろいろな人に会うとかしています。ちょっとした拠点があると県外を含めた方たちにも来ていただけて、また新しい交流が始まるっていう形になっています。そういう意味でも、こうして福島に家を借り続けるのも良いのかなって思ってますけど。

細野  そこは田中俊一先生ともダブるんですよね。田中先生は飯舘村に暮らしておられて、そこを拠点にいろんな方と会っていますよね。

森本  すごく精力的にやられてますよね。田中先生が今度泊まりに来られるんです(笑)。

細野  それでは、二人でゆっくりおいしいお酒を飲んでください(笑)。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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