55歳の時、1年後が役職定年というタイミングを迎えた。多くの先輩社員がそのタイミングを過ぎて会社に残ったものの気力を失ってゆくのを目の当たりにしてきた小野村さんは、奥さんの理解も得られ早期退職の決断をする。
当時3.11の渦中で国や電力会社の出鱈目な対応に怒り心頭だった小野村さんは、その怒りをぶつけるべく社会起業大学の授業では常に噴火していた。そのような中である講師から「小野村さん、怒りの中からは良い仕事は生まれて来ませんよ」と思い掛けず指摘される。
そしてその後の内省でその怒りが学生時代に父親から受けた押さえ付け、つまり権威に対する反発心から来たものだと気付く。この大事なポイントに気付いた後に、既に亡くなっていた父親と心中で和解し、エネルギー問題を怒りの対象でなく社会課題として捉え直すことができるようになった。