■アウトサイドインは昭和と海外に学べ

SDGs(持続可能な開発目標)が2015年9月に国連で採択されて、3年半が経った。経営者によるSDGsの認知度は1年間で36%から59 %に急上昇し(2018年)、日本はSDGsをいかに経営に取り込むかが問われる第2ステージに突入した。最大のキーワードは「アウトサイドイン」アプローチで、そのヒントは「昭和」や「海外」にある。

■顧客のすぐ後ろに「社会」

アウトサイドインの概念図、クリックすると拡大できます

「アウトサイドイン」の概念図を上に示した。顧客のすぐ後ろには社会があり、「顧客ニーズを聞く」というベクトルを少し伸ばせば「社会の声」が聞こえるようになり、そこに新規ビジネスを創出できる領域があるという意味だ。

アウトサイドインはSDGsの企業行動指針「SDGコンパス」に記述がある公式用語で、オルタナでは「社会課題の解決を起点にしたビジネス創出」と訳した。

GCNJ(グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン)とIGES(地球環境戦略研究機関)が2019年3月、「主流化に向かうSDGsとビジネス」を発表した。

それによると、SDGコンパスのステップ1「SDGsを理解する」にいる企業は2016年からの2年間で54%から31%に減り、ステップ2「優先課題を理解する」は逆に22%から28%に増えた。

だが、企業の研究・開発や企画部門、マーケティングや営業部門のスタッフにとって、SDGsという言葉はまだまだ縁遠いのが実情だ。そこで、アウトサイドインが改めて生きてくる。

これまで、あらゆる業種や規模の企業にとって「お客さま第一」「顧客ニーズに応える」ことが最大のミッションだった。アウトサイドインは、そのベクトルを少し伸ばすだけで、新たな事業創造や顧客創造ができる思考法だ。

「社会のニーズ」をつくる

SDGsやアウトサイドインといった横文字を並べると、「どうせ海外の動きであり、日本企業は関係ない」などの声が出るかもしれない。だが、実は日本こそがアウトサイドイン事例の宝庫だ。

アウトサイドインは、社会変革期にこそ威力を発揮する。昭和20─30年代は、終戦から高度成長を始めるまでの大きな社会変革期で、多くのアウトサイドインが生まれた。

その代表的な担い手は、オムロン(当時は立石電機)の創業者、立石一真だろう。一真は1959年、社憲「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」を制定したが、当時から「社会ニーズ」という言葉を多用していた。

創業者立石一真によるオムロン社憲

一真は「世の中が気付いていない社会のニーズをつくる」ことに注力した。これにより、当初は電子部品の専業メーカーだった同社は、自動改札機や家庭用血圧計など、当時は社会に存在しなかった商品を開発し、大企業に成長していった。

一真が創業当時から「顧客ニーズ」ではなく「ソーシャル(社会)ニーズ」という言葉を使ったのは、慧けい眼がんと言うほかない。同社は2012年から、こうした社会ニーズを起点にした社内ビジネスアイデアコンテスト「TOGA」を始め、今では全社・全世界から7千近いテーマが集まる。

無電化地域に設置されたソーラーキオスク(アフリカ)

■「佐吉電池」の先見の明