その発想はフォアキャスティング。これまではこうで、このまま続ければこうなり、こう対応すればこうなるだろう、という風に。「たられば」だが、科学的なエビデンスを伴うだけにサブシナリオの像にはリアリティがある。
これとは逆方向の未来からの発想がバックキャスティング。2030年をゴールとするSDGs(持続可能な開発目標)の考え方だ。目標13で気候変動を目標に置き、目標1の貧困、目標2の飢餓など本書が描くサブシナリオと同じように網羅する。
正直なところ、本書が描く2100年までの未来像とその通過点にあるSDGsのビジョンや漂う雰囲気はつり合わない。発想の起点や楽観・悲観の見方の違いもあるが、発展としてのDevelopmentを描けるのはSDGsが目指す2030年まで、その先は本書が突きつけるように、発展どころではなく脅威に対する防御(defense)で手一杯という惨憺たる未来なのではないか(とするとポストSDGsとは”Sustainable Defense Goals”となるのではないか)。
本書の本質的な問いは、資本主義の機能不全や限界にどう対応するか、だろう。資本主義は恐慌、失業、貧富の格差、独占、インフレの痛みを伴うも修正を繰り返し曲がりなりにも克服してきた。
ここにきて、資本主義の暗黙の前提であった成長エンジンである化石燃料の使用は、地球生態系と折り合いがつかないことがもはや誰の目にも明らかになってきた。
新自由主義的な特徴を帯び、グローバル化をまとった資本主義での格差もより拡大した。地球温暖化の犠牲がこれまでの痛みと同じように真っ先に弱者に降りかかるのだろう。この構造の抜本的な克服なくして明るい未来の像は描けないのではないか。
この他、本書はテクノロジーによる問題解決の長所や短所、そのリアリティの見極め、気候変動やそこから派生する諸問題に立ち向かう、目をそらす人間の複雑な心理や進歩的歴史観にまで踏み込む。これまでの地球温暖化を扱った非日常の現象だけを並べ立てた書物とは明らかに違う。
地球温暖化は、連鎖の体系が見えにくく尋常でない費用と熱意を要する課題だ。それを踏まえ著者は問う。私たちはどうするのか、と。目をそらすと取返しがつかないところまで来てしまったようだ。
文・甲賀聖士 昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
1990年明治学院大学国際学部卒。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科、早稲田大学大学院社会科学研究科に学ぶ。国際政治学修士。専門は平和研究・人間の安全保障研究。企業やそこで働く人々、女性もグローバル社会の重要なアクターと捉え、その行動が平和や社会的価値の創出に貢献する可能性を探る。主な論文に「平和の探求―平和の発展と浸透の視点から」、「性役割意識と社会貢献意識を結ぶ『媒介意識』の仮説検証 ―就労前の女子大学生における2つの意識の関係性分析―」等。日系企業で事業管理、安全保障輸出管理、J-SOX、CSR等にも従事。