着物着れるカフェ&バー、和装を身近に

兄弟で若者向け着物ブランド立ち上げ

着物を無料でレンタルできるカフェ&バーが新宿にオープンしました。築50年の物件をリノベーションして、おしゃれな空間に仕上げました。ここを運営するのは、着物の仕立て屋の家で生まれた兄弟。気軽に着物を親しむ方法を考えた結果、たどりついたのが飲食店でした。(オルタナS編集長=池田 真隆)

新宿御苑前から徒歩5分にあるcafe&bar call

外観と店内は黒を基調とした造りで、都会の喧騒から離れた落ち着いた和の空間に仕上げました。提供するメニューは、長崎県の名物料理「ちゃんぽん」やこだわりのハンドトリップ珈琲などを用意しています。2階建てになっており、2階では着物の着付けも行えます。店内に限り、着物を無料でレンタルできるので、和の文化を体感しながらくつろげます。

洗練されたシンプルでクリーンな和の空間
2階では着物の着付けもできる
一押しメニューの「ちゃんぽん」

「和装をファッションの文化にしていきたい」。元山誠也さんは力強く言い切ります。誠也さんは長崎県で家業として仕立て屋を営む元山家の次男です。お兄さんの巧大さんとともに若者向け和装ブランド「巧流(コール)」を立ち上げました。

巧流を立ち上げた元山誠也さん(左)と巧大さん(右)

ブランド名の「巧流(コール)」の由来は、兄弟が「職人として尊敬している」と口を揃える父・巧さんの名前から取ったと言います。

cafe&bar callを立ち上げるまでのストーリーを自身のyoutubeチェンネルで配信している

■ブランドのミッションは「若者に和装を広げる」

元山家は誠也さんの祖父の代から和装文化の担い手として有名な家系でした。祖父の元山金良さんは着物縫製会社兼和裁士訓練校である和裁学院を設立すると、九州に4校まで拡大しました。さらに金良さんは全国和裁着装団体連合会13代会長に就任し、和裁文化の進歩に力を注いできました。父親の巧さんも1級和裁技能士取得後、金良さんが設立した和裁学院を継ぎました。

ブランドのミッションは、若者向けに和装を広げること。和装から離れてしまった若者にアプローチするために様々な思考を凝らして展開しています。

特徴の一つ目は、洋服生地を使っていること。着物を洋服やスニーカーと合わせて着ても違和感がないファッションを提案しています。和装に合う洋服も自社で製造・販売しています。2つ目は、国内縫製、オーダーメイドであること。現在、着物の縫製の90%が海外という厳しい状況です。日本の伝統文化を維持するために、徹底して国内縫製にこだわります。値段も3万円代から提供するなど低価格にこだわります。

3つ目は、1分で着れて、着崩れしにくいこと。背中に帯を通す穴を開けたことで、着崩れを防ぎ、簡単に着用できるように仕立てました。元山兄弟が再三繰り返すのが、「着方は自由」という言葉です。

着物には、襟を右前にして着るという慣習があり、着方を制限したことが「着物への敷居を高くした」と指摘します。そのような固定概念をなくすため、「着方は自由」と強調します。

実家の倒産、一度は家を出ることに

元山兄弟は自分たちのブランド「巧流」を展開していますが、もともとは祖父の代から営んできた元山和栽学院を継ぐ予定でした。父親の巧さんは、長男の巧大さんを修行に行かせて、数年後に巧大さんが帰ってきたときには、一緒に同校の運営を行う計画でした。

巧大さんが実家に戻ったのは3年後。念願の和裁士の資格を取って、実家に戻ったのですが、「時すでに遅し」の状態でした。着物を着る人口が少なくなったことを理由に、同校の廃校が決まってしまいました。

巧大さんは巧さんから、右肩下がりの業界だから、違う仕事に就いたほうがいいと言われ、家を出ることを決意。就職活動の末、決まったのは九州に支店を置く大手自動車メーカーのカーディーラーの営業。実家を出る際には、巧さんから「もう戻ってくるなよ」と念を押されたと言います。

代々続いた和裁士の家系を息子に継いでもらうことを楽しみにしていた巧さん自身が絞り出したこの言葉の背景には、物理的な意味ではなく、「着物業界に戻ってくるなよ」というメッセージが込められていたのだろうと推測します。

こうして元山家の和裁士としての歴史は途絶えることになったのですが、糸をつむいだのは弟の誠也さん。当時、美容師になるために上京して都内の専門学校に通っていたのですが、着物にかける思いは人一倍強かったのです。

巧さんから着物業界が縮小していること、巧大さんが着物業界から離れることを聞いた誠也さんは、すぐさま長崎に戻り、巧さんも入れて3人で話し合う場を設けました。そして、その場で、誠也さんが巧大さんに「おれと一緒に一からやり直そう」と誘いました。

誠也さんは、和裁士の資格は持っていませんでしたが、和裁士の雇用を持続可能にしていくためには、販売、流通から変えていく必要があると考えていました。資格を持っている兄と組めば、お互いを補完する関係性が築けると思いました。

その話を受けた巧大さんは「率直にうれしかった」と振り返ります。しかし、「仕事に就いて1年目であったので、営業マンとして学ばなくてはいけないことがたくさんあった。入ったからにはそれらを学びたいから3年は待ってほしい」と返事をしました。

この家族会議後、巧大さんはカーディーラーの営業として、誠也さんは美容師として、巧さんは個人で着物の仕立て屋として3人異なる道で働きました。

時は過ぎて3年後。約束通り、巧大さんは戻ってきました。それも、営業成績で九州1位に輝くほどの実力をつけて帰ってきました。その賞の表彰式が東京で開かれるため、東京に来たタイミングで誠也さんのもとへ行き、「一緒にやろう」と伝えたといいます。会社に退職届けを出したのは、表彰式後、九州に戻ってすぐ。実家には、「上京したいから」とだけ伝え、巧大さんは上京しました。これは2018年1月のことです。

その後、二人は都内で創業に向けて、ブランドコンセプトや事業計画をつめました。だが、この時点では、巧さんには二人で創業することは言っていませんでした。職業訓練校を苦渋の思いで廃校したことから、この業界で挑戦することを好意的に受け入れてもらえないのではないかと思っていたからです。

巧さんに打ち明けたのは、半年後の2018年7月。巧さんが上京してきた時に、都内のカフェで、二人で創業することを明かしました。反対されると思っていたのですが、「その予感はしていたよ」と一言。そして、「応援するよ」と息子たちの背中を押してくれました。

実は、巧大さんたちは、創業準備中に着物のことで分からないことがあると、そのたびに巧さんに連絡していたのです。着物業界から離れている二人から、頻繁に問い合わせをもらっていたことで巧さんはそう予想していました。

こうして、一度は切れた糸が、もとの1本の糸に太くなって戻りました。2019年4月に東京都江東区の清澄白河に完全予約制のサロンを構え、巧流の船出となりました。約2年間、清澄白河のサロンで着物の販売を続けてきましたが、「日常に着物を置きたい」という思いからこのサロンを閉めて、カフェ&バーに切り替える決断をしました。

誠也さんは、「今後は着物を着れるカフェ&バーを国内だけでなく、アジア圏などにも広げていきたい。和装や着物をファッションの文化にするための拠点にしたい」と今後の展望を語ります。

巧流のカフェ&バーはこちら

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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