小山田氏辞任後もなお「説明責任果たして」の声

東京オリンピック・パラリンピック開会式で作曲を担当するはずだった音楽家の小山田圭吾氏が7月19日に辞任した。この問題で、辞任後も障がい者支援団体などからは「説明責任が果たされていない」との不満の声が一斉に上がり、決着の様相を見せていない。(吉田広子、池田真隆、松田慶子)

東京オリンピック開会式は7月23日に開かれる

小山田氏は1990年代、「ロッキング・オン・ジャパン」や「月刊カドカワ」などで、障がいがある同級生らに対し暴力的な行為をしていたことを自慢げに告白していた。このため、7月14日に楽曲制作者の一人として、小山田氏の名前が公表されると、「適任ではない」として批判の声が高まっていた。

この問題の波紋は海外メディアにも広がった。BBCは、小山田氏辞任について、開会式の演出を指揮する「総合統括」を務めていた佐々木宏氏の不適切演出案や、森喜朗・元組織委員会会長の女性蔑視発言などと並べて報じた。

小山田氏辞任の一連の騒動から、見えてくるものとは。さまざまな関係者からのコメントを紹介する。

多数派優位の環境では「無意識の偏見」がなくならない
伊藤芳浩・NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長

私は2011年に「社会に存在する『コミュニケーションバリア』を解消したい」という思いから、NPO法人インフォメーションギャップバスターを設立しました。

オリンピック憲章の根本原則には、「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」と、多様な個人が尊重され共生する社会を目指すとしています。

小山田氏を巡る騒動は「オリンピック憲章」にそぐわない人選だったことの現れであり、誠に遺憾です。選考のプロセスに、多様な立場からのチェックが必要だったろうし、これからも必要です。

特にマジョリティ(多数派)だけでなく、マイノリティ(少数派)の立場からもチェックは必須です。多様な立場からのチェックがなされないと、マジョリティの優位性による力が働いて、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)が排除されず、今回のような人選ミスにつながるリスクがあるからです。

今月で相模原障がい者殺傷事件から5年が経ちます。知ってほしいのは、障がい者に対してだけでなく、それ以外の人に対してのいじめや差別は日本でも多く発生しているということ。他人事ではなく、一人ひとりの課題として捉えていただきたい。

何気ない行動にもアンコンシャス・バイアスがかかっている可能性があり、もしかしたら相手を傷つけているかもしれない。時にはそれがエスカレートして、深い傷を負わせてしまっているかもしれない。そのような想像力を一人ひとりが持つことが必要です。

そのためには、障害者権利条約が求めているインクルーシブ教育をぜひとも推進してほしいです。普通学校・学級へのアクセシビリティを整え、「合理的な配慮」を提供したうえで、障がいを持つもの持たないものが共に同じ場で学び育つ環境を整えてほしい。そうすることによって、多様な人々が尊重され、自分らしさを発揮できる、生きやすい共生社会の実現につなげなければなりません。

いじめではなく「暴行」、真摯な説明求める
又村あおい・一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会常務理事兼事務局長

本会は、今回の事案を「いじめ」ではなく、障がい者に対する虐待であり暴行であると認識しています。

19日夜に小山田氏の辞任が発表されました。同氏が主張するインタビュー記事の事実誤認や誇張がどこにあるのか、実際には何が起きたのか、本会の声明では本人からの真摯な説明を求めていますが、現時点では伺いしれません。

そもそもなぜ小山田氏が自身を「いかなる差別も禁じる」としている五輪憲章を掲げるオリンピック、そして障がい者アスリートの祭典であるパラリンピックの楽曲提供を担当するに相応しいと考えたのか、理解に苦しみます。

同様に、そのような小山田氏を起用した東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会には、重い説明責任があります。一度は留任させると判断をした理由、また一転して辞任を決断した理由に関する説明も十分ではありません。

本会は、知的障害がある人、家族、支援者で構成されている団体です。お互いに人格と個性が尊重される「共生社会」の実現を目指しています。

今回の事案について、いったんは小山田氏が辞任する形で決着がつきましたが、共生社会を目指すうえで、まだ確認すべきことがあります。実際には何があったのか。そして小山田氏や東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が謝罪の意を表明しているのであれば、今後このようなことが起こらないようにするためにどのようなアクションをお考えなのか。建設的な提言を期待したいと思います。

残念ながら、これまでのところ真摯な説明がなされたとは受け止めておらず、本会としては今後も小山田氏の言動や東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の動向について注視したいと考えています。

いかに「障害者差別」が軽く扱われてきたか
佐藤暁子弁護士

今回の件によって、いかに「障がい者差別」が軽く扱われてきたかということ、そしてその認識は是正すべき、ということが共有されました。

発言者本人だけでなく、それを伝えた媒体としての責任も問われています。あのような発言を何の疑問もなく掲載したとすれば、それ自体メディアとしての役割、責任を放棄するものです。ただ残念ながら、現在でも人権侵害に加担する内容を発信するメディアは存在しており、各メディアは、今一度、自社の方針を見直すべきです。

五輪組織委員会の後手に回った対応も、自分たちの伝えたいメッセージに内実が伴っていないことの顕れです。「ビジネスと人権」が求めるように、各事業活動によって人権に対しどのような影響が生じるのか、当事者の意見を聴くことが必要不可欠です。

今回は、日本社会における人権課題の氷山の一角にしか過ぎず、このような状況を変えるためにも、一人ひとりが少しでも声をあげることができる社会にしたいです。

障がい児の親として恐怖に包まれた
(丹下紘希氏=映像作家)

僕は小山田さんのイジメの記事を読んで、障がい児の父親として全身を恐怖に包まれてしまいました。 そこに書かれていた虐待や拷問に、もしも自分の子どもが同じ目にあっていたら僕は自分がどうなってしまうかわからない、そのことにさらに恐怖しました。

また、この事件の受け取り方にかなり大きな差があることにも差別問題の「根」の深さを感じています。 昔の話などではなく、今でも障がい者と呼ばれる人たちはありのままの自分では許されず、健常に近づいたら褒められ迷惑にならないよう生きることを求められ、「普通」を強いられています。

つまり、障がいや障壁はあなたたちだ!自分たちの特権に気がつかないあなたたちだ!と叫びたい日常があります。 福祉の補助を受けるにも、与える側は自分たちが障がいになっていることに気がついているだろうか。

それらはイジメの種です。「自分たちがいる普通」ではないものを受け入れない不寛容さ、それがこの事件につながる僕たちの日常の戦うべきものではないでしょうか。 一部、知的障害の参加はあるが、精神障害は含まれず、主に身体障害のある人が努力して「普通」以上にすごいことができることに(健常者の基準で)感動したい祭典がパラリンピックのある側面だとすると、それも「不寛容」につながっていきます。

そうではなく「ありのまま」や「できない」ことをどれだけ認められるかの祭典なら応援したい。 一方で、小山田さんのご家族も心配になり、イジメの連鎖に加担してしまうことにも恐ろしくなりました。

小山田さんのご家族と本人が犯したことは関係がなく、守られるべきです。

決して沈黙してはならない、しかし抗議の声が更なるイジメや分断を生み出さないように気をつけたい。誰の命も失いたくないからです。その上で本当に加害者に届く言葉を持てるのだろうかと悩み、僕の知っている中では近い友人に会いに行って、悲しみや恐怖の気持ちを伝え、本当の友人として話をしてほしいと伝えました。

再挑戦できないような不寛容な社会にもならないでほしい
(福寿満希・ローランズ社長)

小山田さんのいじめの行為は、倫理的に許されることではなく、どうしてこんなひどいことができるのかと感じました。ローランズは、都内に店舗を置き、フラワーギフトやブライダル装花の制作、観葉植物のイベントレンタルなどの事業を展開し、花や緑を通じて障がいや難病等と向き合う人々を積極的に雇用してきました。

小山田さんが当時、障がいがある人を選んでいたとしたら、悪質です。当事者にとっては、小山田さんの今の姿を複雑な思いで見るでしょう。そしていじめは障がい者であってもなくても許されることではありません。

彼がしたことは決して許されないことですが、これで活動の道を閉ざされ、再挑戦できないような不寛容な社会にもならないでほしいと望んでいます。批判の声は最もですが、辞任への流れは、ひとつのいじめのように見えなくもありません。

小山田さんは今回のことで、いじめという行為で傷つく人がいること、これほど大きな過ちであること、社会では受け入れられないことを深く認識して、変わっていただきたい。

過去と今回の経験を通じ、価値観も変わると思うので、音楽を通じて社会のためにできることがあるはずです。

オリンピックという、多様な方が手を取り合うはずの場で、このようなことになってしまいました。組織委員会は今、批判される対象を排除し、早く鎮火する方を選ばざるを得なかったと感じます。大切なのはこれからです。再挑戦できる社会であってほしいと願います。

オルタナ編集部としても、多様性が尊重され、平等な社会の実現のために、いかなる差別的発言や行為を許容せず、また、自らの報道によって偏見・差別が助長されることはないよう、細心の注意を払って報道していきたい。

yoshida

吉田 広子(オルタナ副編集長)

大学卒業後、米国オレゴン大学に1年間留学(ジャーナリズム)。日本に帰国後の2007年10月、株式会社オルタナ入社。2011年~副編集長。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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