映画「MINAMATA」で再認識する企業責任

映画「MINAMATA—ミナマタ—」(ロングライド、アルバトロス・フィルム配給)。報道写真家ユージン・スミス(ジョニー・デップ)と加害企業の社長(國村隼)がにらみ合うシーン © Larry Horricks

ジョニー・デップ演じる報道写真家の視点で水俣病を描いた映画「MINAMATA—ミナマタ—」が、9月23日に公開される。加害企業の当時のトップは公害の拡大を防げず、地域住民に償い切れない害を及ぼし、水俣病の公式確認から65年経った今も訴訟が続く。企業による事実の隠蔽や被害者が受ける理不尽な差別は多くの公害に共通する課題だ。被害者の葛藤やメディアの判断、そして國村隼演じる社長の言葉に注目したい作品である。(オルタナ編集委員=瀬戸内千代)

全国公開に先立ち有志が熊本県水俣市で企画した先行上映会のチケットは完売し、幅広い年代の計916人が鑑賞した。

上映後には原作となったユージン・スミスの写真集『MINAMATA』の共著者アイリーン・美緒子・スミス氏が登壇し、「この映画はフィクションですが、土台になっているのは実際の出来事です。当時の患者さんが凄い苦しみの中で立ち上がって奇跡を巻き起こし、絶対に勝てるはずのない裁判に勝利して、救済の土台を作りました。その功績は本当に大きいと思います」と敬意を表した。

化学メーカーのチッソがメチル水銀を含む廃液を海に流し、魚を食べる野良猫に「ネコ踊り病」が多発したのは1953年、工場からのメチル水銀の排出がほぼ止まったのが1968年。企業や政府による対応の遅れが被害の拡大を招いた。

主演し製作にも関わったジョニー・デップ © Larry Horricks

メチル水銀は胎盤を通して次世代にも影響する。目の前の豊かな海の幸に支えられた暮らしが暗転し、多くの家族が病人を抱えた。先行上映会の主催団体の一つ「若かった患者の会」は、胎児性水俣病患者8人が成人を機に結成し、数年前に還暦を迎えて名称を過去形にした。すでに故人となったメンバーもいる。

国が認定した水俣病患者は約2300人、救済対象者は約6万7000人。差別や偏見を恐れて口をつぐむ人もおり、被害者数はそれ以上と言われる(永野三智、2018年『みな、やっとの思いで坂をのぼる ——水俣病患者相談のいま』参照)

社員に水俣市民も多いチッソはその後、債務超過に陥り公的支援に頼っている。利益の出る事業部分をJNCという社名で独立させたのは、補償を継続して責任を全うするためだという。地域全体が苦しみを抱え、今も「もやい直し」に汗をかいている。

企業活動の暴走はなぜ世界で繰り返されるのか。過去に学ぶ意義は大きい。水俣病については、原一男監督によるドキュメンタリー映画「水俣曼荼羅」も秋に公開を控えている。

chiyosetouchi

瀬戸内 千代

オルタナ編集委員、海洋ジャーナリスト。雑誌オルタナ連載「漁業トピックス」を担当。学生時代に海洋動物生態学を専攻し、出版社勤務を経て2007年からフリーランスの編集ライターとして独立。編集協力に東京都市大学環境学部編『BLUE EARTH COLLEGE-ようこそ、地球経済大学へ。』、化学同人社『「森の演出家」がつなぐ森と人』など。

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