「午前0時過ぎ、7歳の私は姉と家を出た」(2/4)

児童養護施設出身のモデル田中麗華さんが12月6日、自身の生い立ちをまとめた著書『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)を発売します。田中さんは7歳から18歳まで都内の児童養護施設で育ちました。現在は、モデル活動に加えて、ユーチューバーとして、親元を離れて暮らす子どもたちへの理解の輪を広げる活動を行っています。(オルタナS編集長=池田 真隆)

12月6日発売、200ページ、定価 1,600円(税抜)

著書では、施設で暮らすことになった経緯から施設内での日常、卒園後の苦悩などを赤裸々に明かしています。児童養護施設の存在は多くの人が認知していますが、実際に園内で子どもたちがどのように暮らしているのか理解している人は少ないでしょう。著書は、児童養護施設とそこで育つ子どもの全体像を知るための「入門書」です。

2018年に田中さんを取材したのですが、施設で暮らす子どもたちのことを「社会的弱者」と言う世の中に違和感があると強調していました。

「私たちのことを知らないから、施設出身者を一様に社会的弱者とまとめているのではないか。施設出身者だから、苦労したと決めつけてはいないか。それぞれ異なる境遇を育ってきたので、一人ひとりとしっかりと向き合い、話を聞いてほしい」と語っていたことが印象に残っています。

そんな、田中さんの著書の一部を先行公開します。
第2回は、「2週間の不登校と学校に行けるようになった友人の一言」です。
*第1回「午前0時過ぎ、7歳の私は姉と家を出た」からの続きです。

田中 麗華著『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)から一部抜粋

思春期と集団生活

〇部活と不登校

小学校を卒業後、地元の中学校に進学し、女子バレー部に入部します。中学時代の記憶として強く残っているのは、部活と地域の方たちの存在です。

一番に思い出すのは、バレー部の友だちのお母さん。この方はママさんバレーをやっていたこともあって、部活の練習試合の時に応援にきてくれたり、差し入れを持ってきてくれたりと子どもたちと積極的に関わっていたんです。

おそらく私が施設で暮らしていることは知っていたと思うんですが、そういう複雑な事情に触れもせず、めちゃくちゃ普通に接してくれていたというか、「田中れいか」という一人の人として見てくれていた感じがあって、うれしかったです。

実際、どんな思いで私のことを見てくれていたのか、聞いてみたいなぁとも思います。

思春期にさしかかると、小学校の時とは人間関係が変わり、気持ちも不安定になりやすい時期です。

そんなときに、私を正面から見てくれる人の存在はとてもありがたいですし、いまでも感謝しています。

実は、中学校2年生の時、しばらく不登校になった時期もありました。2週間ほどでしたが、学校に行けず、施設で過ごしていました。

不登校の原因としては、部活内でいわゆる「ハブ」られたからです。私が1年生からレギュラー入りしたことに対する嫉妬みたいなものとか、ですかね(笑)。大人になったいまでは笑っちゃうんですけど、

男子バレーボール部と合同練習している時に「れいかは男子に色目を使ってる」とか言われて、ターゲットになってしまいました。

同じ施設の子に同じくバレー部の子がいたのですが、彼女でさえも私を無視したり、突然「一緒に学校行かないから」って言ってきたりして……なんか最悪でしたね(笑)。

思春期特有の女子学生の「あるある」みたいな感じだと思いますが、当時はやっぱりそれなりに大変でした。

登校できるようになったきっかけは、部活の子が施設に来て、「一緒に学校に行こう」と誘ってくれたことが大きかったと思います。はなちゃんという仲の良い子でした。

あとではなちゃんに聞いたのは、バレー部の顧問の先生が、「れいかみたいな子は部活が一つの居場所になるんだから、絶対連れて来い」と言っていたとのことです。この方は体育の先生で、ちょっと厳しくて、サバサバしている「おばちゃん先生」でした。

「先生、そんなことを言ってくれたんだ」とありがたくなったのを覚えています。先生に言われたことをちゃんと受け止めて、迎えにきてくれたはなちゃんもすごいし、そういう背景があったと改めて知ったいま、私はまわりの大人たちに本当に恵まれていたんだな、と思います。 

不登校中、施設の先生には、学校に行けない理由をあまり聞かれなかった記憶があります。

先生方の方針として、無理やり聞きだそうとしない、ということだったのかもしれませんが、子どもながらにそれに助けられていた部分もあったように思います。

中学時代。地域のお祭りに同じ施設の子を連れて行く

私自身、「学校に行こう」という気持ちはありました。でも朝、制服に着替えて施設の門を出ようとすると、門の前で「あ、やっぱり行けない」と足が止まっちゃって、引き返す日々が続いて……。

「行きたいけど、行けない」というもどかしさを抱えていたのを施設の先生も察したのか、そっとしておいてくれていた感じもあったと思います。その一方で、関係性のある他のホームの女性職員さんがわざわざ来て話を聞いてくれたこともありました。

そのうち、だれかが「保健室から行ったらいいんじゃない?」とアドバイスをしてくれて、最初は保健室登校からはじめました。保健室の先生も優しく接してくれて、徐々に行けるように。

施設職員の中野先生と学校の先生は電話などでやりとりをしていて、連絡を取り合いながら様子を見てくれていたのだと後になって知りました。

学校に行かない日が増えると、逆に行きづらくなる気持ちも増していきます。緊張の教室登校の日。ガラガラ……と教室を開けると、なんら変わらぬ顔で教壇に立つ担任の姿が。

「な~んだ」と思うくらい、ふつうに授業に参加できて、次の日から登校できるようになりました。部活はしばらく気まずいままでしたが……。(第3回は12月3日(水)に公開します)

*クリックすると拡大します

★★★
田中さんは現在、クラウドファンディングに挑戦中です。集めた資金で、この本を子ども支援団体や小中学校に寄贈します。詳しくはこちら

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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