税関Gメン

「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(60)

 マツユリこと松倉百合子はB&T社のサイレンサー内臓VP9ピストルを鞄に忍ばせるとコートの衿を立て静かに自宅を出た。ベテランの税関職員という身分なので押収品を持ち出すのはそれほど難しくなかった。毎年この季節になると、ひとりの同僚のことが偲ばれてならない。しかし、その悲傷の涙も今年限りだ。今夜は彼のために、ある政治家を殺しに行く。
 もうずいぶん前のことになる。空港を管轄する税関支署の旅具部門で働いていた夏樹誠二は背広姿の若い男がスーツケースを積み上げたカートとともに手荷物検査場に入って来たのに気づいた。そのまま素通りしようとするのを手で制し、
「開けてください」
 旅客が少ないこともあって夏樹は型どおりのチェックをしようと声をかけた。男は一瞬、怪訝そうな顔で会社名を名乗り、話が行っていませんかとささやいた。誰もが知っている有名企業だった。
 朝のミーティングで、赴任したばかりの関野支署長の訓示があった。関税を支払わずに通関しようとする企業関係者に特に目を光らせるようにという内容だった。夏樹は声に力を込めた。
「どこの会社だろうと関係ないですよ。検査するのでスーツケースを開けて」
 オッ、と思わず声が出た。50万円は下らないエルメスの高級ワニ革バッグが大量に入っていたからだ。脇にロレックスの空箱がいくつも詰め込まれている。
「時計は全部カラ箱?」不思議に思って尋ねると
「海外に商談に行くと夜パーティーがありまして。今回はモスクワでしたが、うちの社長がソ連の要人が腕にしている安物の時計を欲しがるふりをして、ロレックスと交換してあげるんです。カラ箱を持ち帰るのは社内の会計処理に必要なので」
 体のいい賄賂だな。ひとつのルールを守れない奴は他のルールも守れない。夏樹は即座に動いた。社長の姿は見つけられなかったが、ロビーに出ていた同僚の社員ふたりを取調室に連行した。取り締まり部門のマツユリもそこへ呼ばれた。
 スーツケースは全部で13個。中にはワニ革のバッグが50個。骨董品のほか、指輪、ブローチ、ネックレス、イアリングといった装身具、宝飾品、装飾品がザクザク出てきた。無申告で関税を逃れた「密輸」である。

挿絵・井上文香

 三人は秘書課の社員で真っ青になっている。突然、「夏樹、でかした」と乱暴にドアを開けて入って来た人物がいる。関野支署長だった。
「お前ら、税関をなめるんじゃないぞ」と社員を怒鳴り上げ、
「マツユリ、すぐ本社、社長宅など関連個所をガサ入れしろ」
 松倉は驚いて聞き返した。
「支署長、本関に報告しなくていいんですか」
「本関?税関長の吉良は信用できない。支署主導でやる」
 まさか、上級官庁を無視するなんて。マツユリは耳を疑った。
 密輸事件は地検に告発され、社長や社長室長が逮捕された。関税法違反から業務上横領、さらには、官僚、政治家の贈収賄へと汚職事件に発展した。装飾品の密輸は延べ20回以上、総額で1億円分を超えることが判明した。
 電気通信・国際電話を独占的に扱い大儲けしているこの会社は最近、国会で国際電話料金の値下げ要求の圧力にさらされていた。これを潰すため、密輸のネックレスやイアリングは政治家や官僚の夫人用にプレゼントされていた。
 密輸摘発の端緒を開いたことで夏樹は高く評価された。税関仲間も「地味な仕事だがお前のおかげで脚光を浴びてうれしいよ」と喜んでくれた。
 しかし、会社の秘書課社員が自殺し、夏樹はショックを受けた。最初に摘発した例の若者だった。彼が悪いわけではない。彼は社命に従っただけではないのか。
 しばらくしてこんなうわさが流れた。外遊の度に空港から大量の装飾品を無税で持ち込めたのはあらかじめ上級官庁か政治家にフリーパスを依頼していたからじゃないのか。会社側は社長と対立していた専務派が赴任したばかりの関野支署長に「うちの社長のやり方はおかしい。違法じゃないか」と通報したのではないか。
 夏樹には真偽のほどはわからない。確かに、吉良税関長は「摘発直後、あまり大ごとにはするな」と真相究明に消極的で、地検への告発状もなかなか書こうとしなかったようだ。内部でも一時、吉良税関長は事件を潰す気かと不満が渦巻いていたというから、その後の左遷は致し方ない。
 一方、吉良税関長に反発して自ら告発状を書いた関野支署長は株を上げ、誰かの引きでもあったのか、政治家への野望を隠さなくなった。真面目な夏樹はふさぎ込む日が増えてきた。企業の派閥抗争や税関幹部の出世競争に自分の正義心が踏みにじられたような気がして悩んでいたのである。
 マツユリは夏樹を諫めた。何を言っているの。悲観することじゃないわ。他人にどんな思惑があろうと不正がただされたのは間違いない。税関にはあなたのよう人が必要なのと。

 しばらくして、不祥事を起こした会社では専務の豪田が、逮捕された社長の後釜に座った。時を同じくして関野支署長が衆院選に打って出て当選した。夏樹は税関を辞めた。実家の農業を継ぐということだった。
「マツユリ、俺と一緒に大自然の中で農業をやってみないか」
夏樹はそう声をかけた。松倉はうれしかった。しかし、断った。ずっと心に引っかかっていたことがあった。あの事件の前日、業務報告でたまたま関野支署長の部屋にいた。携帯をとった支署長が「もしもし、豪田さん」というのを聞いた。そう、確かに専務の豪田の名前を口にしたのだ。ふたりは結託していた、個人的な野望のために。
 しばらくして夏樹の訃報を聞いた。山で遭難したという。松倉はそんなことは信じてはいない。
 あの会社も所管元の官庁も合併や省庁統合で今はもう存在しない。やっぱり神様はいるのだ。しかし、マツユリにはやり残したことがあった。正義を貫こうとした夏樹の思いを完結させなくてはならない。その大仕事のために松倉はもう一度VP9ピストルの入った鞄を抱きしめた。今頃、関野衆議院議員は赤坂の料亭で会食しているはずだ。それが終わったらホテルで落ち合うことになっている。関野はマツユリからの突然の電話をいぶかり、会うことを躊躇した。しかし、こう言ったらすぐに承知した。
「昔の私たちの関係をばらされたら、あなた困るでしょう?」


(完)

hiro-alt

希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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