マルサスもマルクスも超えて「脱資本主義」を考える

斎藤幸平著『人新世の「資本論」』はすでに40万部超のベストセラーになっている。労働組合の「連合」会長が共産党との選挙共闘を拒否するような反共・右傾化の時代に、マルクス主義をテーマにした本がこれだけ売れるのはなぜか。私は①危機感、②挑発、そして③「脱成長コミュニズム」という新マルサス主義とマルクス主義の接ぎ木を指摘したい。(ノルド社会環境研究所代表取締役、NPO法人循環型社会研究会代表・久米谷 弘光)

人類社会の持続可能性を高めるための開発とは

『人新世の「資本論」』が売れる理由

まず危機感については、気候-生態系の危機と資本主義システムの危機という二つの危機が顕在化しているという背景がある。

「人新世」という未だ定義の不明確な地質年代を持ち出すまでもなく、IPCCの「1.5℃目標特別報告書」(2018年10月)は、2℃の気温上昇でさえ海洋生態系の基盤であるサンゴ礁が全滅し、干ばつ、洪水、海面上昇、生物種の喪失、貧困、健康被害など十分なデストピアになることを示した。

昨年のIPCC「第6次評価報告書」でも今世紀中に2℃を超えると予測され、COP26では各国の温室効果ガス削減目標とは大きな乖離があったが、1.5℃目標を降ろすわけにはいかなかった。

一方、資本主義システムは資本の利潤追求、価値増殖の論理が生命-生活の論理よりも優先され、資本蓄積に伴う収奪や資本-賃労働関係による搾取によって格差を拡大しながら、冷戦の再燃を思わせる帝国主義的様相を強める。

グローバル・ノースにおける帝国的生活様式が、グローバル・サウスを収奪、搾取し、さらにその代償を押し付ける。10%富裕層が世界の二酸化炭素の半分を排出し、上位1%の富裕層が、世界全体の4割近くの個人資産を保有する。そうした超格差社会を新型コロナウイルスのパンデミックが襲っている。

こうした読者の危機感に乗じて、斎藤幸平氏は冒頭から、「SDGsは『大衆のアヘン』である」と挑発する。

はじめの5章にわたって、人間たちの活動の痕跡が地球表面を覆いつくす地質年代「人新世」において、気候変動の危機は、「グリーン・ニューディール」でも、「気候ケインズ主義」でも、「緑の経済成長」でも、「循環型経済」でも、「プログレッシブ・キャピタリズム」でも、「定常型社会」でも、資本主義システムを前提にしている限り乗り切れない。

一方、コミュニズムにおいも、経済成長を加速させる「左派加速主義」や「完全オートメーション化された豪奢なコミュニズム」、「エコ近代主義」は、より深刻な生態学的帝国主義を招く。マルクス研究者らしい容赦ない書きぶりで、右から左まで悉く切り捨てている。

新マルサス主義とマルクス主義の接ぎ木

そして、「脱成長コミュニズム」である。マルクスの残した研究ノートなどから再構築したとする新たなマルクス像の理論として「脱成長コミュニズム」という未来の選択肢を示す。

その5つの柱は、①使用価値経済への転換、②労働時間の短縮、③画一的な分業の廃止、④生産過程の民主化、⑤エッセンシャルワークの重視だという。正直これを読んだ時には、冒頭のみごとな挑発の割に「竜頭蛇尾」の感がぬぐえなかった。

これで資本主義システムが超越できるとはとても思えなかったからである。最終章の気候正義、フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)、ワーカーズ・コープ、ミュニシバリズムなどの事例紹介も、新鮮な驚きや希望をもっては受け止められなかった。

しかし、昨年末に神戸大のマルクス研究者、浅野慎一教授のこの本に対する批判を聴いて、この本のもう一つの意義を知った。

浅野氏は、斎藤氏が『資本論』の根幹ともいえる剰余価値説やその前提となる労働価値説を事実上否定し、「生産力の発展」(=剰余生産物・剰余価値の生産)を資本主義に固有の資本蓄積・利潤増殖と同一視していると批判している。

また、環境の限界が経済成長の限界、「もはや外部化できなくなる」限界が近づいている。世界的な「脱成長」、特に「先進」国的なライフ・スタイルの見直しの必要性を主張するのは1970年代~1990年代のローマクラブなど、新マルサス主義のそれとほぼ同じだ。

晩年のマルクスが「生産力至上主義」を克服して「脱成長論」に到達したという独特のマルクス「解釈(=誤読)」に基づき、「脱成長」のためには資本主義の超克が不可欠との主張を新マルサス主義に強引に「接ぎ木」したとしている。

生産力と生産関係の矛盾に社会変革の契機を見出すマルクス主義にとって、生産力の発展を否定することは変革の契機すら失うことになる。斎藤氏の晩年のマルクスが「生産力至上主義」を克服して、「脱成長論」に到達したとする解釈は、同じマルクス研究者の浅野氏としては荒唐無稽としか思えないのだろう。私も同感である。

もちろんここで言う「生産力の発展」は、生産の拡大や経済成長、GDPや株価の上昇ではない。「生産力の発展」とは、人間の諸能力の顕在化や発達であり、科学技術や協働形態の発展と結びついて発揮されることにより、生産関係を変えていく社会発展の原動力である。

また、生産力は疎外された形で現れれば、破壊力でもある。例えば核兵器や原発は「疎外された生産力」である。疎外された生産力は早期に廃止されるべきである。

一方、浅野氏が1970年代~1990年代のローマクラブの「成長の限界」などの研究成果を「新マルサス主義」だとして切り捨てている点には異論がある。マルクス、エンゲルスのマルサス批判がトラウマとなってマルクス主義者は人口増による貧困や飢餓の現実、地球の環境容量を超える経済成長の限界を認めまいとするようだ。

確かに200年以上前のマルサスの人口論は、食糧は算術級数的にしか増加しないのに人口は幾何級数的に増加するため、人口を制御するには戦争、疾病、飢餓なども必要とし、資本主義のもとでの貧困の原因を自然的要因や労働者自身のせいにする反動的な学説であった。

これに対してマルクスやエンゲルスが徹底的に批判を浴びせたのはわかる。しかし、ドネラ・H・メドウズとデニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダースなどローマクラブの主要メンバーが提示し続けた「成長の限界」シナリオの動機や目的には、無限の成長を追い求める資本主義経済への警告があった。

21世紀になっても彼らは、警鐘を鳴らし続け、「成長の限界」から 40 年後の 2012 年には、ヨルゲン・ランダースが今後 40 年のグローバル予測という副題のついた「2052」を上梓した。

ここで、21 世紀後半に「成長の限界」のシナリオのひとつ、地球温暖化という汚染に適応を迫られるものになると予測した。そして、現在、われわれは気候危機、気候非常事態の最中にいる。気候変動や生物多様性の危機に備える世界の前線に立つ研究者においては「脱成長」すなわち「定常経済への移行」が目指すべきビジョンとしてすでに共有されている。

晩年のマルクスが「生産力至上主義」を克服して「脱成長論」に到達したというのが誤読かどうかは研究者の検証に任せるとして、斎藤氏の「脱成長コミュニズム」という新マルサス主義とマルクス主義の接ぎ木が『人新世の「資本論」』40万部という花を咲かせたのである。

「資本主義の終焉」に向けて

気候-生態系の危機に直面しているいま、必要なのは資本主義経済の成長ではなく、人類社会の発展である。持続可能な開発は、人類社会の持続可能性を高めるものであり、資本主義を持続させるものでない、ということだけは最低限共有したい。

無限の利潤、経済成長を求めて環境を破壊しつづける資本主義という最後の階級社会は早期に終焉させる必要がある。疎外された生産力による成長を放棄するという脱成長を進めながら、人類社会の発展に真につながる生産力の発展を図る必要がある。

生産力至上主義批判とマルサス主義批判の壁やトラウマを超えて、連帯したマルクス主義者たちが脱資本主義のビジョンとそこに至る道筋の議論を早期に進めてもらいたい。

人類の生存にかかわる重大な気候―生態系危機、米中、米ロ対立をはじめとした冷戦再燃の危機に直面して、資本の運動に任せてその自動崩壊による望まざる未来の破局を待つわけにはいかない。不遜ながら私自身の資本主義の終焉イメージとそこに至る道筋的なものを述べたいと思う。

私の資本主義の終焉イメージは、資本主義の4つの本質的特徴、つまり①資本の価値増殖の論理の貫徹、②資本蓄積による収奪、③資本-賃労働関係による搾取、④帝国主義による戦争や植民地支配が、社会の支配的な、あるいは主要な特徴でなくなる社会、これらの資本主義的、あるいは階級社会的矛盾が克服された社会である。

資本の論理よりも生命-生活の論理が優先され、収奪や搾取は最小化され、帝国主義的戦争や植民地支配に脅える必要のない社会である。

そして、どのように資本主義を終わらせるかについて、とりあえず私が思いつくのは、3つの挟撃、つまり挟み撃ちである。

一つ目は、上部構造と下部構造の挟み撃ち。経済的社会構成体の上部構造である法制度、政治、社会意識の変革と、下部構造の経済システムの同時変革だ。

上部構造としては、資本主義の本質的特徴による暴走を制御する各種法制度の構築、金権政治を拒否するクリーンな政治家・政党の躍進、資本の暴走を制御する有能な官僚と腐敗のない官僚機構などが必要だ。

下部構造では、資本主義的な生産様式とは異なる社会的所有に基づくあらゆる形態の経済主体、経済システムの創設が試され、資本ではなく、コモンズを増やすことが目指されるべきだ。

二つ目は、資本主義システムの内部からと外部からの挟み撃ち。

企業の内部(経営者や労働者)からの改革と外部ステークホルダーからの改革要求。CSRやESG活動でのステークホルダーダイアログやエンゲージメントなどもこれにあたる。惨事便乗型資本主義の様相を呈するグリーン・ニューディールなどの動きを惨事便乗型”脱”資本主義に転化させることが必要である。

そしてもう一つは、ローカルとグローバルの挟み撃ち。

例えば、国内の土地や資産の独占所有の禁止と多国籍企業の土地や資産所有の規制。企業の国内の最低賃金の引き上げ、賃金格差の是正と国際的なサプライチェーンでの処遇改善・格差是正。

国内の累進課税の強化とグローバルタックスに向けての国際連携。国内の軍事費の削減と国際的な大量破壊兵器禁止と軍縮アクション。国連のSDGsへの脱成長目標、軍縮目標の設定などである。

多様な脱資本主義の革命運動が世界に日常に静かに広く深く浸透し、猛威をふるう「資本主義ウイルス」による破局を待たずに打ち克つことを期待したい。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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キーワード: #SDGs#脱炭素

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