クーデター後もミャンマーで奮闘する日本人女性医師

ミャンマーの僻地・無医村「ミャウンミャ」から

2021年2月1日早朝6時40分ごろ、突然、携帯もインターネットも全ての連絡手段が遮断されました。本当に恐怖でした。誰とも連絡が取れません。なにが起こっているか、全くわからない。「怖い!」としか言いようがない時間を過ごしました。(NPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会[MFCG]代表理事・医師・気功師・名知 仁子)


保健衛生指導の一環として、子どもに手洗いの指導中 ©︎2022MFCG

「アジア最後のフロンティア」と呼ばれたミャンマーは2011年から2020年まで、経済成長率は6~8%の高水準を維持していました。2011年に民政移管してから最大都市のヤンゴンにはホテルが乱立し、「ホテルオークラ」も完成するはずでした。

国家顧問だったアウンサンスーチー氏は自宅軟禁中、1991年にノーベル平和賞を受賞しました。「このままミャンマーは急成長する」と誰もが疑わなかったでしょう。そんな2021年の2月1日、突然のクーデターが起きたのです。

私が住んでいるミャウンミャ(MyaungMya)は、2006年まで首都だったヤンゴンから西に約180キロ。バスで約5時間掛かります。私はこの地に住むただ一人の日本人で、今は唯一の外国人なのです。

「ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)」は2015年からミャンマー南西部エヤワデイ・無医村であるミャウンミャで、クーデター後の現在も活動を継続しています。

ミャンマーの国土は日本の約1.8倍。人口は約5400万人です。人口の約70%はMFCGが活動しているような農村部で暮らし、日給はペットボトル1本分、約140円なのです。

MFCGの活動は、「命の架け橋です」。「ミャンマーを医療と菜園で笑顔に!」を掲げています。

「命を育み、夢を繋げる」。そして住民自身が「もらう幸せ」から「できる幸せ」「あげる幸せ」を感じられるよう、自然にできるようになることを目指しています。

ミャンマーでは、5歳未満の乳幼児未満死亡率が、実に日本の18倍です。 その死亡原因の第1位は出産時の出血や感染症(47%)、第2位は栄養不良(31%)です。

農村部の住民が5歳まで生きることができるようになり、夢を持て、コミュニティができるように、地域の住民たちと頑張っています。手洗いや歯磨きなどの励行など地道な保健衛生活動と、「有機野菜栽培」の普及を二本柱にしています。

私は医師として1989年から11年間大学病院に勤務した後、国際医療への道に飛び込みました。1999年にノーベル賞を受賞した「国境なき医師団」のボランテイア医師として、タイのカレン族の難民キャンプに従事したのが初めての国際医療現場でした。

そこでは、それまでの、日本での医療現場での経験がガラガラと崩れ落ちていった毎日を過ごしました。この時の経験が、今の私の医療の原点です。これから、クーデターはどう帰結するのか分かりませんが、「ミャウンミャ」からの発信を続けていきます。

Satoko Nachi

名知 仁子

名知仁子(なち・さとこ) 新潟県出身。1988年、獨協医科大学卒業。「国境なき医師団」でミャンマー・カレン族やロヒンギャ族に対する医療支援、外務省ODA団体「Japan Platform」ではイラク戦争で難民となったクルド人への難民緊急援助などを行う。2008年にMFCGの前身となる任意団体「ミャンマー クリニック菜園開設基金」を設立。15年ミャンマーに移住。

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