コロナと政変に困窮するミャンマーで医療支援を継続

ミャンマーの僻地・無医村「ミャウンミャ」から

2021年4月、事務所で泥棒未遂が起きました。2015年にミャンマーに移り住んで初めてのことでした。誰かが鉄格子の入ったガラス窓を破り、鍵をこじ開けて入ろうとしたのです。(NPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会「MFCG」代表理事・医師・気功師・名知仁子)


村を巡回し、コロナ感染予防のポイントを伝える

■インフレで生活必需品の値段が3倍以上に

泥棒未遂は幸い大事に至りませんでしたが、困窮した誰かが止むに止まれず、事務所の物を盗んで売ろうとしたのでしょう。ミャンマーでは、片方しかないサンダルでのような、日本ではおよそ「商品」と呼べないようなものでさえ売れるのですから。

新型コロナウイルス感染症は、世界中を巻き込みました。ここミャンマーでも、ステイ・ホームを強いられた人々は商売を継続できなくなり、経済は落ち込みました。

そこに追い打ちをかけるように2021年2月1日、突然のクーデターが発生。コロナと政変のダブルパンチは、1日2,000チャット(約140円)の収入で暮らしていた庶民に困窮をもたらしました。

混乱はインフレを引き起こし、卵は110チャット(7.7円/1個)から180チャット(12.6円)へ。標準的な5人〜8人の家族が食べていくのは、もはや不可能です。

事務所では、メインテナンスのために購入した接着剤の価格が、2月に700チャット(約49円)だったのが3月に入ると2,300チャット(約161円)に。たった2週間で3倍以上に値上がりしました。

ガソリンも同様に、20年11月時点で1リットル560チャット(約39円)だったのが22年3月現在は1,850チャット(約130円)に。価格高騰が収まる気配は一向にありません。

■野菜を盗む村人に空き缶を求める子どもたち

私たちのNPO「ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)」が巡回している16村の約70%の住民は、移動労働者です。「ここで田植えがある」と聞くとそこに赴いて作業を手伝うという具合に、その日ごとに仕事場を転々とします。

その報酬でどうにか成り立っていた彼らの暮らしが、ステイ・ホームで農作業を禁止されたため無収入に。それからは、野菜の盗難が頻発するようになりました。1個50チャット(約3.5円)のトマトさえ買えなくなってしまった村人たちは、どんな想いで同じ村の畑からトマトを盗んだのでしょうか。

子どもたちが空き缶やペットボトルを求めて、道路や川の淀んだ場所を転々とする姿も見かけるようになりました。これらを1個200チャット(約14円)に交換できる場所があるからです。生活のためにゴミ拾いをする、年端も行かない子どもたちの姿は切ないかぎりです。

医師や看護師、鉄道員などの公務員の中にはクーデターに抗議し、自分の意志で仕事を辞めた人々もいます。彼らは無収入になった上に身の安全を守るため、身を隠すことを余儀なくされました。

自分たちの人権を守るために政府に声を上げ、立ち上がった人たち。日々、想像を超える出来事が起きるのを前に「自分だったらどうするだろうか」と、自問自答を繰り返す日々が続いています。

インフラの状況も悪化しています。電力供給は毎日、夜中の0:00〜6:00頃、昼は12:00頃30分間、夕方は17:30頃からの30〜40分間だけになってしまいました。生活水のくみ上げは電気がないとできないため、本当に困窮を感じています。

MFCGの事務所にはエアコンもなく、夕方は西日が当たる部屋で蚊やアリ、ダニと戦いながら過ごす毎日です。シャワーはなく、暑さで眠れない夜は何度も起きては行水をし、それでも汗疹が全身にできてしまいます。

私自身「一体、この先どうなっていくのだろうか」という不安を抱えながらも、活動を止めるわけにはいきません。ミャンマーの人々の夢と未来を一緒に創るために、引き続き僻地の無医村ミャウンヤにとどまり活動を続けていきます。

Satoko Nachi

名知 仁子

名知仁子(なち・さとこ) 新潟県出身。1988年、獨協医科大学卒業。「国境なき医師団」でミャンマー・カレン族やロヒンギャ族に対する医療支援、外務省ODA団体「Japan Platform」ではイラク戦争で難民となったクルド人への難民緊急援助などを行う。2008年にMFCGの前身となる任意団体「ミャンマー クリニック菜園開設基金」を設立。15年ミャンマーに移住。

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