キーウで見た「市民の結束力」と異様な「落ち着き」

ジャーナリスト/ドキュメンタリー作家の小西遊馬さん(23)は3月16日からウクライナの首都キーウ(キエフ)で取材活動を行っている。日本人ジャーナリストの多くは西部の都市リビウなどを拠点にしており、キーウに入った人は少ない。小西さんは知り合いの香港人ジャーナリストの協力を得て、飛行機でポーランドまで行き、そこから電車と車を乗り継いで約1週間かけてキーウに入った。そこで目にした「市民の結束力」について話を聞いた。(聞き手・オルタナS編集長=池田 真隆、写真=小西 遊馬)

キーウで取材を続けるジャーナリスト/ドキュメンタリー作家の小西遊馬さん、すぐ後ろにはロシア軍の空爆を受けた建物が

――どのような経緯でウクライナに行きましたか。

ちょうどロシア軍によるウクライナ侵攻が始まったとき(2月24日)は、バングラデシュでの取材を終えて帰国したばかりの時でした。体力的にも、メンタル的にもかなり疲れていたので、実はウクライナ侵攻の情報は意図的に見ないようにしていました。

しばらくしてメンタルも回復したので、ウクライナ侵攻に関する情報を見るようにしました。すると、各国からジャーナリストが出向いている反面、ほとんどの日本メディアはキエフ入りできず、現地にはフリーランスのジャーナリストが片手で数えられる程度しかいませんでした。

ジャーナリストとして「最前線まで行かないといけない」という責任感が芽生え、ウクライナに入っていた知人の香港人ジャーナリストに連絡を入れました。彼とは2019年の香港民主化デモのときに会ったのですが、何か力になれることはないかと思っていました。

彼と連絡がつくと、すぐにポーランドまでの航空券を買いました。ポーランドからは電車と車を使ってウクライナまで入りました。3月11日にウクライナに入り、16日からキーウにいます。3月下旬には日本に帰国する予定です。

――現地ではどんな取材をしましたか。

爆撃を受けた現場にはよく行きました。家などが爆撃を受けると市民ボランティアが駆けつけて散らかった部屋を清掃します。

ロシア軍の空爆を受け、半壊するアパート=首都キーウで
空爆を受けた場所には血痕が残る=首都キーウで
道端には壊れたおもちゃや日用品などが散乱している=首都キーウで

キーウ市内で爆撃を受けたほぼすべての場所にボランティアは行っているそうです。息子と孫が兵隊として志願した母親にも話を聞きました。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった翌日に息子たちが自分の部屋に来て、「戦争に行く」と言ってきたそうです。そんな息子たちを母親は強く抱きしめ、特に言葉はかけなかったそうです。言葉はありませんでしたが、母親はそのハグで子どもたちとの絆を確かめ合ったと言っていました。

戦死している人も出ているので、不安や緊張は当然あるのですが、一方で現地の市民の気持ちはすごく落ち着いているようにも見えます。

なぜこんな状況でも落ち着いていられるのか不思議に思っていたのですが、そこにはウクライナ兵への強い信頼感があるのだと思います。「私たちのことをちゃんと守ってくれる」という信頼感です。団結力のようなものです。常に自分の場所を国民に知らせているゼレンスキー大統領への信頼もあると思います。

だから、兵士以外の人はボランティアとして支えています。ある小学校では、給食室を解放して、市民ボランティアが毎日千人分の食事をつくっていたり、キーウ市内に残り物資支援に精を出したりしています。

――キーウに残っている市民からは逃げたいという気持ちは感じなかったということでしょうか。

私が話を聞いた市民に限った意見ですが、「逃げる気は毛頭ない」「自分の国のために戦っている兵隊がいる」「自分たちは力にならないといけない」と言い切っています。

つまり、料理をできる人は料理を、部屋を提供できる人は国外から来たジャーナリストの滞在支援などを自発的に行っています。最前線で戦っている兵士のために、みんなそれぞれが今できることを探しているのです。

実際、私もキーウに残るある一般家庭から部屋を借りて過ごしています。爆撃を受けた場所に向かいたいと伝えると、昼でも夜でもそこまで連れて行ってくれます。さらに、現地の住民の紹介も率先してやってもらいました。

――市民たちはどういう生活を送っていますか。

キーウでは基本的に朝7時から夜8時までは外に出られます。それ以外の時間帯は外出禁止令が出ています。ロシア軍に見つかる危険性があるので、夜は電気をつけてはいけないので、ローソクを灯しています。

戦禍の中でも人々は共助のコミュニティを築く=首都キーウで

お店はほとんど営業していませんが、日中はスーパーマーケットや露店はいくつか営業しています。お酒の販売は禁止されていますが、1日に2時間だけ開く闇市のようなものがあります。その時間に合わせてお酒を買いに走っている住民をよく見かけます。

夜にローソクを灯しながらみんなでお酒を飲んだり、日中に外に出られるときはコーヒーを飲みに出かけたりもします。公園には遊んでいる子どもたちもいました。子どもたちに話を聞くと、お母さんからは爆撃音が鳴ったらすぐに家に帰るように言われていました。

キーウでは昼夜問わず爆撃音が鳴り響いています。恐怖心もありますが、今の音はウクライナ側かロシア側か、建物にぶつかったのか、迎撃したのか、音だけでだいたい予想がつく人が多いです。音で被害の深刻さが分かるようになったのも「落ち着き」がある理由の一つだと思います。

――キーウ市民が伝えたいことは何でしょうか。

話を聞いた人全員にその質問をしました。みんな口をそろえて、「空を閉じてほしい」と強く言っています。飛行禁止区域を設けないと空爆を防げないからです。

もしこの戦いでウクライナが負けたら次はポーランドが標的にされる。そういう意味でウクライナはウクライナだけを守っているのではないことを理解してほしいと主張していました。

また、印象的なエピソードとして、ウクライナに入る際の電車で同い年(23歳)のウクライナ人と会いました。ポーランドからウクライナ行きの電車なので、逆側は多くの人で溢れていたのですが、私が乗った車両には誰もいませんでした。

ポーランドからウクライナに向かう車両には小西さん以外誰も乗っていなかった

一人で座っていると、その男性が話しかけてきたのです。ただ、ウクライナ語だったので、何を話しているのか分からず、英語で「分からない」と伝えました。すると彼は去っていったのですが、しばらくすると戻ってきて、グーグルの翻訳機能を使って話しかけてきました。

グーグル翻訳によると、彼はポーランドで治療を受けていたが、彼の病気に合った治療のためにウクライナに戻らないといけないとのことでした。ただ、ロシア軍が病院を空爆したばかりでもあり、怖いと心境を打ち明けてくれました。

その男性はグーグルの翻訳機能を使って小西さんに自身の心境を打ち明けた

言葉も通じない日本人に電車内でずっと話してくれました。こちらは何も聞いていないにも関わらず、ずっと切実な表情で訴えてきたのです。

彼が置かれている状況は過酷そのものでした。孤独感と恐怖心に押しつぶされそうな彼に、グーグル翻訳を使って、「何も言うことができない」と返しましたが、それでも彼は話を続けてきました。彼とはリビウまで一緒で、最後はハグして別れました。

私はこういった人々がいたことを伝えるために取材活動を続けています。大手ニュース番組では、爆撃の被害状況など分かりやすいことを伝える傾向にありますが、ニュース番組がカバーしきれない一般市民の姿を伝えていくことが、戦争を繰り返さないために重要なことだと思っています。

香港人ジャーナリストと話したのですが、ウクライナも香港と同じ状況になると言っていました。今、世界では分断が加速しています。民主主義の危機でもあります。今はどれだけの人が香港のことを気にかけているでしょうか。ミャンマーはどうでしょうか。ウクライナも一時で忘れ去られてしまうことがないように取材活動を続けていきます。

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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