「新しい資本主義」主役は働く個人に:大沢真知子

雑誌オルタナ68号(3月31日発売)の先出し記事です。68号では「戦争と平和と資本主義」をテーマに9人の有識者に寄稿頂きました。68号に掲載した記事をオンラインでも掲載します。

ワークライフバランスからワークライフシナジーへ。日本の労働市場を長く見つめてきた大沢真知子・日本女子大学名誉教授は、働く個人の気持ちに寄り添うことこそが「新しい資本主義」のカギになると説く。

大沢真知子(おおさわ・まちこ)
日本女子大学名誉教授。南イリノイ大学経済学部博士課程修了。Ph.D(経済学)。 専門は労働経済学。著書に『なぜ女性管理職は少ないのか』(青弓社)ほか。仕事と生 活の調和に関する専門委員会委員(内閣 府)、東京都女性活躍推進会議専門委員。

新型コロナウィルスの感染拡大によって、2020年4 月の初めに緊急事態宣言が発令され、私たちはステイホームを強いられ、在宅勤務が奨励された。その直後に内閣府では、人々にどのような生活意識や行動様式の変化があったのかを調査している。

それを見ると、仕事重視から生活重視に自身の意識が変化したと回答した人の割合は 5割を超えた。20代や30代の若者世代では、6割を超えていた。何のために働くのかについて、大きな意識の転換が起きているのである。

生産性を高める動機づけに変化

これに関連して、若い世代 の昇進に関する意識にも大きな変化が見られる。筆者が若い頃、男性がサラリーマンならばエラくならなければ意味がない、と言うのをよく聞いた記憶がある。

しかし、バブル崩壊後に働き始めた男性の昇進意欲はそれほど高くない。筆者が参加した調査でも、大企業に勤めるホワイトカラー40歳未満の男性の約3割が役付きでなくても良いと回答している。その理由は「責任が重くなるから」や「仕事量が多くなるから」などである。

同様のことは国際比較調査からも見られる。求人情報の大手Indeed が昨年の秋にアメリカ、フィンランドと日本の3カ国の働く者を対象とした国際比較調査でも、海外2 カ国では9割近くが昇進したいと回答しているのに対して、日本ではその割合は6割にとどまっていた。

その第一の理由が「仕事よりプライベートを充実させたいから」であった。上の世代から見ると、情けない結果と思われるかもしれないが、実はプライベートを充実させたいと考えている若者の仕事の意欲は高く、生産性も高い。

働き方を決める主体は誰なのか

なぜなら、プライベートの充実が仕事にプラスに生きるワークライフシナジーの時代になっているからだ。また、日進月歩で仕事のやり方が変化する中で、新しい技術を学ぶこと(リスキリング)が必要になっている。しかし、実際の職場では、子育て世代に仕事が集中している。

 調査結果を総合的に見ると、日本の正社員の働き方が時代の変化に合っていないということが分かる。人事部の力が強く、現場で働き方を決めにくい。つまり、会社の規則に則って硬直的な働き方をしなければならない。

残業を命じられたら従わなくてはならず、職務は会社によって決められ、転勤も断るのは難しい。そのために、日本の労働者は働くことに対して消極的である。

前述のIndeedの国際比較調査でも、フィンランドやアメリカでは仕事を「自己成長の場」や「自己実現の場」と考えているのに対して、日本では「安定した生活のための手段」と捉える傾向が強い。それではとても「新しい資本主義」が目指す新製品やサービスが生み出せると思えない。

コロナ禍で在宅勤務が普及したこともあり、転勤制度を見直した企業もあるが、一部に過ぎない。つまり、日本の正社員は仕事か家庭かどちらを重視するのか、踏み絵を踏まされるのだ。仕事を重視しない社員は冷遇される。

しかし、私たちは、仕事のために生活しているわけではない。家族のためや自分自身のプライベートを充実させるために働いている。そのことに気付くきっかけとなったのが、今回の新型コロナの感染拡大ではないだろうか。

人材不足の中で若い世代の転職も増えている。この意識の変化に気が付かない企業は、有能な社員を失うことになるだろう。また、女性の活躍もおぼつかない。多様な人材の能力が生かせない企業はイノベーションが生み出せない。

求めるべきは自助よりも包摂

求めるべきは自助よりも包摂

岸田内閣の「新しい資本主義」が説得力を持たないのは、このような日本の企業が抱える具体的な問題に踏み込んでいないからである。イノベーションを生み出すには、現状の日本の正社員が自発的にやりがいを持って働けるように働き方を見直す必要がある。

人々の意識変化にもかかわらず働き方改革は遅々として進まず、ポストコロナには以前の働き方に戻ってしまうのではないかと危惧されている。

同質的で生産性の低い働き方はポスト工業時代になぜ変化しなかったのだろうか。それは非正社員が安く雇える環境があることが大きい。

1980年代には2割に過ぎなかった非正社員割合が今では労働者の4割近くに増えている。非正社員の6割強を占めるパートタイム労働者の賃金は他の先進国と比較してダントツに低い。

なぜなのか。個人の生活が優先できる働き方ができる代わりに、低い処遇を受け入れざるを得なかったのだ。

それは税制度における配偶者控除制度によっても補完されている。また、この非課税限度額を超えて働くと配偶者手当の支給しない企業も多い。

加えて、現行の仕組みでは、年収106万円未満の労働者の企業の社会保険費用の負担はなく、週20時間未満働く労働者は雇用保険への加入義務もない。

このように企業に雇用される以外の働き方をするとセーフティーネットがない日本の社会で、あらたに新事業を立ち上げるリスクは高い。

トマ・ピケティは、経済のグローバル化が進展する中でトップ1%の高額所得層の割合が上昇し、格差を拡大していることに警鐘を鳴らした。一橋大学の森口千晶教授は同じ手法を使って、日本では低所得者の増加によって格差が拡大していることを実証している。つまり、政府の政策そのものが、格差社会の形成に寄与してきたのだ。

新しい資本主義には、この ような日本におけるセーフ ティーネットの不備について は言及されていない。むしろ 自助が前提とされている。

私たちが今政府に求めてい るのは、バブル崩壊後に失わ れた暮らしの安心をどう国が 整えてくれるのか、その具体 像である。それがあって、初 めて私たちはリスクが冒かせ、 イノベーションが起こせる。

何かあっても最終的には国によって最低の生活を保障してくれる。だから頑張れと背中を押してもらえる「新しい資本主義」を国民がいま求めているのではないだろうか。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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