生態学的地位の危うい「強食モデル」

■小林光のエコめがね(17)

「資本主義」への批判が高まっている。総理大臣自ら「新しい資本主義」を唱道している。とはいえ、何を批判するかは論者によって区々だ。「資本主義」と言われる経済に固有の作動メカニズムを特定し、その作動の功罪を理論的に分析して、罪が必然的に大きい、と論証するわけだから説得的な批判はなかなかに難しい。そこで、理論的分析ではないが、自然生態系との対比で今日の経済活動の特色と欠陥を私なりに考えてみた。

何が「資本主義」かはともかく、私たちが住む社会では、経済活動に必要な本源的生産要素である、資源、人財、金銭資本のうち、専ら金銭資本の増加が経済活動の成果として注目を集めている。

国で言えば、GDPの増加率が、企業で言えば経常利益の増加率や株主への分配率が成果を測る指標である。

増加率への関心は、人間がその日の消費の欲望を抑えて資源を投資に回し将来に一層大きな果実を得ようとする、もっともな、勤勉精神の、その成功の度合に対する注目であって、それ自体が問題とは言い難い。

問題は、金銭資本へのリターンだけが特に重んじられ、人的資本や自然資源へのリターンが顧みられないことである。それはなぜか。

声なき自然資源は収奪されやすい

自由主義経済学では、市場参加者がその持てる様々な資源を自由に交換してこそ、交換の利益は高まる、と数理的に説明する。しかし、出発点でたくさんの資源を持っている富者や、政治的な発言力が強い強者は、自由な交換でこそますます有利になれる。

その一方、そもそも声すら発せられない自然資源は収奪されがちになる。国のGDPや企業の経常利益は、このようにして、他の資本に与えられるべきリターンを金銭資本に帰属させた、いわばバブル(別の言葉では、外部不経済で得た利益)を含むことになる。

今の行動様式のまま金銭利益の増加を追い求めると、それがすなわち、人的資本や自然資源を収奪することになる、これが、声なきものが収奪される背景の仕組みである。

図は、私がアメリカの大学で環境について講義をするときに使っていたものである。緑の山がもたらす資源などを金銭的な利益に変え続けると、私たちは最終的にお札の山を築けることになる。がしかし、この山は、何の役にも立たない。お札を差し出しても得られる資源はもはや残っていず、一回暖を取るのが関の山だ。

取り引き・交換の持続可能性、と言うべきこの問題に自然生態系はどうアプローチしているのだろうか。

もちろん生態系は最適に設計されたものではないが、適者生存の選択圧を受けてその持続可能性は高まっている。

生命の誕生以来30数億年、カンブリア紀の生物の爆発的な進化から数えても5億年の時間の中で、無数にあった試行錯誤がスクリーニンングされながら進化してきたのが自然生態系であって、地球誕生時の均質な溶岩の海が、今や、様々な有機物質や生物種に分化し、それらが共存するシステムが、太陽がもたらすエネルギーを効果的に蓄え保存できるようになったことは明白だ。

多種が共存共栄するシステムでこそ豊かになれる

生態系の成果を指摘すると、「生態系とは、レッセフェールの弱肉強食で、結果オーライのフェタコンプリ。所詮は、理想などない現状肯定の世界でしょ」との反論が来るのが常だ。

しかしどうだろう。大昔に生息したと言われるムカシオオホジロザメ(今のホオジロザメの倍の大きさと推定される)のような強力な捕食者はもはやいない。

それは、肉食獣の上にさらにそれを捕食して君臨する強食者は、その被捕食者が体に保存しているエネルギーを得ることができても、その被捕食者である一次肉食動物が成長段階で消費してしまったエネルギーや一次肉食動物が摂取した草食者が成長のために消費してしまったエネルギーはもはや獲得できないため、非効率であって、生態系の進化の方向としては適者ではない存在だからである。ムカシオオホオジロザメの餌になった生物がいなくなったら、本種も絶滅した。

このように、強食ビジネスモデルは持続可能ではなく、様々な「ニッチェ」を活用する多様な生物種の共存共栄が、選択圧の下で生き残って進化できた、生態系の成功ビジネスモデルなのである。

人間の営む経済社会も自然生態系に習って、多種多様な生産要素・資本が共存共栄するビジネスモデルへ変革されるべきである。具体的には、強食モデルを規制し、他方で人財資本へのリターンはもとより自然資源資本へのリターンをきちんとした上で収益するビジネスを擁護し、それへの進化を意識的に図ることが望まれる。生態系の良い一部になれないと、今度は人類が、ムカシオオホオジロザメの轍を踏もう。

クリーンでグリーンであることと成長とは相容れないという根源的な批判があることは承知するが、生態系のおかげで地球が45億年前に比べ豊かになったことは間違いない。成長はあるのである。

クリーンやグリーンになるとは、各種の資源利用に伴う価格の相対比率が変わるだけのことであって、付加価値や経済がなくなることでは全くない。生態系に習った経済への移行のために克己し投資するマインドやこうしたまだ見ぬ経済へ船出する冒険心といった人類の美質がリターンを得ることは間違いないと私は信じている。

hikaru

小林 光(東大先端科学技術研究センター研究顧問)

1949年、東京生まれ。73年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、環境庁入庁。環境管理局長、地球環境局長、事務次官を歴任し、2011年退官。以降、慶應SFCや東大駒場、米国ノースセントラル・カレッジなどで教鞭を執る。社会人として、東大都市工学科修了、工学博士。上場企業の社外取締役やエコ賃貸施主として経営にも携わる

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キーワード: #生物多様性

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