地域に寄り添い70年、京都の「福祉」担う

グッドガバナンス認証団体をめぐる⑩「社会福祉法人みねやま福祉会

児童福祉・障害福祉・高齢者福祉事業を展開する社会福祉法人みねやま福祉会(京都府京丹後市)は1950年の創設から「地域連携」に重きを置いて発展してきた。地域の中で「困りごと」を見つけると、定款で定めた事業領域に縛られることなく、率先して対応してきた。人口減・高齢化問題を抱える日本で「社会福祉」の存在意義を櫛田匠・理事長に聞いた。(聞き手・村上 佳央=非営利組織評価センター、池田 真隆=オルタナ編集部)

インタビューを受ける櫛田匠・理事長

――みねやま福祉会は児童福祉、障害福祉、高齢者福祉事業に取り組んでいます。戦後まもない1950年と厳しい状況の中で設立しましたが、創設者はどのような思いで立ち上げたのですか。

創設者の私の父・櫛田一郎は小児科の医者でした。それ以前でいうと、海軍軍医中尉でした。戦後は京都府立医科大の医局に入ったのですが、「戦争協力者」となりまして残念ながら公職追放に遭いました。

1949年頃に公職追放が解けましたが、今度は朝鮮戦争が勃発しました。先の大戦と敗戦そしてこの時も戦争で最も被害を受けるのはか弱い子ども達です。傷つく子どもを目の当たりにした一郎は、「これを救うのは大人の責任だ」と自責の念を強く持ちました。

一家の大黒柱である一郎の父(私の祖父)が亡くなったのを期に田舎である京都府京丹後市峰山町に戻って医院を継ぎました。そして、妻邦子(私の母)と共に乳児院を設立しました。悩んだあげく邦子の「何とかなるわよね」の一声で、決意できたと聞いています。

当時は、進駐軍の米兵と日本人女性の間に生まれた子どもが多くいて、そういう子どもは差別の対象になりました。当然ながら、子どもには一切責任はありません。すべて、大人たちの勝手な都合なのです。

1950年に立ち上げた峰山乳児院(2018年に新設)

――そういった経緯があったのですね。その後、1954年に児童養護施設を立ち上げ、児童福祉事業を拡げてきました。児童福祉の領域ではどのようなことを問題視されていますか。

児童福祉に関しては2021年の1年間で、入所者が延べ1万3千人。通所者が延べ6600人です。ここ数年でこの数字に特に大きな変化はありません。人口減少で小学校の統廃合が進む中でもこの推移を維持してきました。

実は、乳児院を閉鎖しようと考えたこともあります。乳児院なるものは、あってはならんと考えたのです。乳児を集団養育していくことは、「よろしくない」ということです。里親制度を活用して、子どもたちが「家庭的養育」ではなく、「家庭養育」で育てられるようにしないといけないと思ったのです。

ですが、最近は虐待やネグレクトで入ってくる子がほとんどですので、その虐待の酷さに子どもたち自身は心に目に見えない傷を負っているわけであります。その傷を癒すためには、多職種連携でドクターや精神科医の先生らとも取り組んでいますが、本当に難しい。

里親制度もそんなに簡単には機能しない。それだったら、乳児院の形態で小規模でも継続していかざるを得ないと思い直したのです。本当に信じられないような虐待事例が起きていますから。

虐待した母親の心の叫び「私を叱らないで」

――みねやま福祉会では虐待を受けた子どもとどう向き合っていますか。

虐待された「子ども」と一括で括るのではなく、個々の子どものニーズをしっかりと受け止めて、それに対処していくしかないと思います。まさに「手探りで対応している」という表現が現状を表しています。

ただし、これだけは言えます。スタッフは本当に一生懸命やってくれています。それはそれで頭が下がるような思いでありますけれども、それでもなお、子どもたちが問題行動を強く出してきます。スタッフとしても、どう対応していいか分からなくなってしまう時はあります。

そのように立ちすくんでしまうスタッフを「みんなで」支えていく仕組みにしています。課題をみんなで共有しながら、解決方法を一人ではなく数十人で考えます。手探りですが、10人いたら、20本の手があります。

よく虐待による死亡事件が起きるたびに虐待した親を責めますが、親たちを責めても根本的な解決にはなりません。親たちと一緒に子育てを楽しむ環境を作り出すことが重要だと思っています。

いまでも印象に残っている言葉があります。それは虐待をしたある母親が言っていた「私を叱らないで」という言葉です。つまり、お母さんたちも十分過ぎるほど苦しんでいるのです。だから、そのような状況で叱るとさらに精神的に追い詰めてしまうことになります。

これはもう心の「叫び」に近いです。そのようなお母さんといかに共にいられるか、そして、子どもをみんなで愛でていけるのか、その環境をつくることが私たちの役割です。

「みんな」がキーワードです。里親を希望する人が、「あなたが全部、責任を負いなさい」なんて言われたら、子どもを受け入れることなんて難しいでしょう。そうではなく、1人の子のために、「みんなで責任を分担して担いましょう」ということを、いろいろな場面で言わせていただいています。

子どもを育てたい・守りたいという思いを持っている人は、みねやま福祉会に問い合わせてほしいです。今、里親委託は一定の条件を満たせばシングルでもできます。当然ですが、里親さんの子育てに労基法は適用されません。だから、夜中いなくなったら、労基法に縛られることなく寝ずに探し回れます。

もちろん、いなくなったら労基法など関係なく探しますが、仮に施設内でそのようなことが起きると、厳密に言えば労基法に縛られ、労働8時間を超えると「超過勤務」になります。それが深夜だと「深夜手当」になります。

だから探すのを諦めると言っているのではなく、これが現実なのです。そのような事例への対応は施設スタッフだけで対応するのではなく、周囲に支えてくれる人がいるだけでもありがたいのです。

ゆうかり乳児保育所

――みんなで子どもを育てる環境を作り直すとのことですが、子どもを家庭に戻すタイミングはどのように判断していますか。

その子にとっては虐待されたとしても、1人の親なので「戻りたい」という気持ちはあります。ただ、戻ったところで、再び被害を受けてしまうこともある。何と言ったらよいのか、あえて言うと現場には「答え」はありません。その中で、対処しないといけないのです。

ただし、性被害に関しては、家庭に戻すことはあり得ません。どんなに子どもが望んだとしても、それは「幻影」でしかありません。子どものことを精神的に支えながら、幻影であることを丁寧に丁寧に、粘り強く伝えます。

――暴力については治るものでしょうか。

暴力を振るう親に戻すことは、「チャレンジ」だと思います。治らないことはないですが、治るためには、まず親の周囲に「支える人」がいること、そして、親本人の努力があること、それらが十分にない限り、治ることは難しいと思っています。

高齢者福祉施設の要介護度「4.23」、職員の数はもう「ぎりぎり」

――1994年からは高齢者福祉事業に取り組んでいます。高齢者福祉事業の課題は何でしょうか。

特別養護老人ホームで起きている課題は、重度化です。昨年の平均要介護度が4.23です。要介護度は、手のかかる度合いを指す指標で、1~5まであります。寝たきりの人は、むしろ、要介護度は低いのです。手のかかる人が多くいるほど要介護度の平均が上がり、職員の手が多く必要になります。

ところが、職員の数はもう「ぎりぎり」です。基準配置では限界で、現場はとてもしんどい思いをしているのが現実です。人材を求めて、いろいろと動いていますが、介護現場への志望は依然として厳しい状況にあります。

――みねやま福祉会では職員をどのように育てていますか。

これから強化していきたいと思っているのが、ゼネラリストの養成です。分野に特化したスペシャリストも大切ですが、介護も保育も障害も分かるし、地域福祉も分かるし、生活困窮者自立支援も分かるし、引きこもりも分かる、そういうゼネラリストを育てていきたいのです。

そのようなゼネラリストを育てることは地域社会づくりにつながるからです。街には、老若男女、そして、障害のある人もない人もみんな暮らしています。その人たちをつなぐ役割を担える「人財」にしていきたいと考えています。

また、「情報共有」のスピードと正確性についても重視しています。今はデジタル機器を使って、試行錯誤している段階です。研修についても、指名制から挙手性に変えました。主体的に研修を受けてもらいたいからです。

「叱りなはれ。謝るから」根付く創業者の精神

――みねやま福祉会では「農福連携」のように種別を超えた取り組みを積極的に展開しています。種別を超えた取り組みはいつから意識しましたか。

創設当初から私の父と母が事業を運営していましたが、そのような思いは持っていました。乳児院を立ち上げたのは父の一郎ですが、父は早くに亡くなったのです。その代わり、母の邦子が1人で頑張ってきました。邦子は、いろいろな施設に視察に行くことが多く、帰ってきては、「理想の施設をつくろう」と言っていました。理想の施設とは、利用者がもっと自由で、お仕着せの生活を強いられることのない施設です。

そのような思いで運営してきたので、地域に困りごとのニーズを見つけるたびに手を差し伸べてきました。たとえ、定款に書いていない事業だとしても取り組んできました。行政からは指導を受けるのですが、「叱りなはれ。謝るから」という創業者の精神は今でも根付いています。

もとは「福祉」がやりたくて事業を始めました。乳児院から始めて、児童養護施設、保育園を立ち上げました。つまり児童福祉事業です。児童福祉分野で仕事をしますが、地域の中で認められる存在になかなかならないと、子どもたちの自立につながらないと思ったのです。だから、地域のあらゆる「困りごと」に対応してきました。先輩からは、「そんなのあり得ない」と言われ、「保育は保育だけをやれ」と散々言われてきましたが。

今取り組みが進んでいるのは農福連携です。国営農地を借りて、タマネギを作っています。昔は農地を社会福祉法人が借りることはできませんでしたが、社会福祉法人も農地を借りることができるようになりました。

一方で国営農地が荒れ放題です。ですので、そういった所を借りて、野菜作りを始めています。今の課題は育てた野菜を売り切って、農業として軌道に乗せることだと思っています。

複合型施設「マ・ルート」

――地域と関係性を築く上で大切にしていることは何でしょうか。

地域の中の様々な役割を果たしていくということですね。地域には、民家もあるし、自治会もある。それぞれが役割を果たすことで、地域の方とのつながりが生まれます。スタッフには、「出勤する時に地域の方に出会ったら必ず挨拶をしましょう」と伝えています。

地域には「福祉サロン」があります。そこにも足しげく通って、「お困りごとはありませんか」と尋ねるようにしています。子育てに関しても同じで「おひさま広場」といって就園していない子どもが集まる場があります。そこに行って、親御さんから子育てに関する悩みを聞きます。

こうしたことの積み重ねで色々なことが分かります。医者に言えないことを明かしてくれることもあります。これが、私たちが果たさないといけない役割だと考えています。

――グッドガバナンス認証を2021年に取得しました。取得した経緯とその影響をどう実感されていますか。

グッドガバナンス認証を運営している非営利組織評価センターの担当者とは知り合いでして、その彼から勧められたことがきっかけです。

最初は私の知りあいの法人にグッドガバナンス認証を紹介していたのですが、ふと気づいたら自分たちが取っていなかった。そこで、私たちも申請しました。

2021年12月に取得したばかりなので影響についてはまだ実感はできていませんが、申請するプロセスを通して、スタッフが「非営利組織の役割」をしっかり学べたことが大きいと思っています。自分が所属する組織の事業体の特性を理解することで、使命を意識しやすくなったと思います。<PR>

◆「グッドガバナンス認証」とは

一般財団法人非営利組織評価センター(JCNE)が、第三者機関の立場からNPOなど非営利組織の信頼性を形に表した組織を評価し、認証している。「自立」と「自律」の力を備え「グッドなガバナンス」を維持しているNPO を認証し、信頼性を担保することで、NPO が幅広い支援を継続的に獲得できるよう手助けをする仕組みだ。詳しくはこちらへ

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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