ビジョンと利益は51対49、中川政七商店の経営哲学

中川政七商店・13代中川政七(会長)インタビュー

1716年創業の中川政七商店(奈良市)は「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げるが、創業以来、同社はビジョンや経営理念を持っていなかった。ところが2007年に13代中川政七(現会長)が同社初のビジョンを策定したところ、ビジネスモデルに加え、求人や社員のモチベーション向上などにも影響が出て、売上高は中川会長が入社した当初の4億円から在籍16年で52億円と倍々増となった。ビジョンと利益を「51:49」で考える中川会長にビジョンの作り方や社内浸透のポイントを聞いた。(聞き手・オルタナS編集長=池田 真隆)

インタビューを受ける中川政七商店の13代中川政七(現会長)

――1716年の創業ですが、ビジョンができたのは2007年です。それまでは社是や家訓もなかったそうですね。

2000年に富士通に入社して、2002年28歳で家業である中川政七商店に戻りました。当時、赤字だった雑貨部門の立て直しに専念して、3年後から軌道に乗せました。担当部門が黒字化すると、何のために働くのかを考え出しました。これがビジョンを考えようと思ったきっかけです。

そこで社長を務めていた父親に、社是や家訓はあるのかと聞いたら「そんなものはない」と返ってきました。これから先、自分は何のために働くのか、自分の中で明確なビジョンは定まっていませんでしたが、利益を追求するために働くことには違和感があったのです。

振り返ると、毎年、同業者が当社に廃業の挨拶に来て、工芸産地の出荷額も落ち続けていました。日本で暮らす一人の生活者としても、日本古来の伝統技術や素材がなくなることに寂しさを募らせていました。こうした思いから生まれたのが、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンです。

中川政七商店 奈良本店(旧 遊中川 本店) 撮影:淺川 敏

――一人で決めたそうですね。

ビジョンは絶対に合議では決まらないと思っています。仮に経営企画室で決めたとしても、覚悟が欠けていて、社内で機能しないことが多い。ビジョンは経営者の熱い思いからしか生まれないのです。

なぜならビジョンは掲げるだけでなく、機能させないといけません。そのためには、インナーブランディングで社員にビジョンの意味を腹落ちさせることが必要ですが、これには時間が掛かります。

それでも諦めずに覚悟を持って伝え続けていくしかありません。うちでは5年程度、掛かりました。

最初にビジョンを発表したときは、みんなポカンとしていました。元気にするとはどのような状態を指すのか、自分の仕事とどう関係するのか分からないという声が圧倒的でした。

ロングセラーの「花ふきん」、奈良の工芸で「かや織」を使って作った

――どうやって、社員に腹落ちさせましたか。

ビジョンは合議で決めたことではないので、とにかく根気強く言い続けることが重要です。短期的に利益につながらないので、時間が掛かります。

ですが、経営者は自分で決めたことなので、「長期的には必ず利益になる」と覚悟を持って言い続けるしかないのです。

そういう熱い思いを持ち続けることは前提なのですが、インナーブランディングのポイントもあります。それは、トップのメッセージは社外を通して伝えることです。雑誌やテレビ、新聞などのメディアに出ることがそれに当たります。

誤解を恐れずに言いますが、基本的にトップから社内向けのメッセージは伝わらないものと考えた方がいいでしょう。ですが、社外を通すことで、理解度は大きく変わります。

一冊目の著書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』(日経BP)を出したときやテレビ番組の「カンブリア宮殿」で紹介されたときは、社内から「社長の思いがすごく理解できた」という声が相次いで出ました。

私からするといつも言い続けていることなのですが、社外を通した発信の方が圧倒的に伝わった気がします。

ビジョンを腹落ちさせるために、この手法で取り組みました。当時、倒産危機だった長崎県波佐見町の産地問屋「マルヒロ」さんの経営再生コンサルをしていました。

実は、私の著書を読んで問い合わせをくれたことがきっかけでコンサルを引き受けたのです。私が一人で毎月、長崎に足を運んで立て直しを支援しました。

新ブランドの「HASAMI」を立ち上げ、売り上げも回復したタイミングで、マルヒロさんの担当者であった馬場匡平さん(現社長)を呼び、社員総会で私がしてきたことを話してもらったのです。

それを聞いて、社員たちは工芸を元気にするとはこういうことを言うのかと少しずつですが、分かってくれるようになりました。

――ビジョンが浸透していくと何が変わりましたか。

最も効果を感じたのは「採用」です。これまでは求人サイトに案内を出してもまったく人が来ない状態だったのですが、2011年頃から一気に風向きが変わりました。

自社のHPで採用募集をすると1週間足らずで100人近く、それも優秀な人からの問い合わせが多かったです。

――ESが高まると、CSが高まり、そのことで社内外に良い影響が出るのですね。

そうだと思いますが、私はESという感覚は持っていません。ESは経営者が社員に対して、満足できる状態を与えるような印象を持っています。社員に対しては、もう少しフラットな立場で見ています。

社員を養っているという感覚はなく、対等な立場から、一つのビジョンに向かう同士として集まっていると思っています。

私自身も戻ってきたときから、家業ですが、気に入らなかったら辞めますと先に言ってから戻りました。社員とは、お互いに選び、選ばれる関係で一緒に歩んでいきたいと考えています。

社員とも取引先とも「フラットな関係性」を重視する

――取引先ともフラットな関係を意識していますか。

取引先も、お客さんもそうです。「お客様」ではなく「お客さん」と呼びます。仕入れ先のことも「業者」とは絶対に呼びません。逆に、うちのことを業者扱いしてくる相手ともお付き合いはしません。

以前、ある大手百貨店に出店していましたが、流通がメーカーよりも強い立場を取る商慣習に違和感を持ちました。ある程度の売り上げもあったのですが、フラットな関係で付き合えなかったので、退店することを決めました。

――売り上げよりも存在意義(パーパス)を重視したのですね。

決して利益を軽視している訳ではありません。ビジョンと利益は51対49の割合で考えています。ビジョンを掲げるなら、利益よりも上にある最上位の概念に置かないと意味がないのです。

昨今は、「パーパス」がブームになっています。ですが、掲げる以上、利益よりも上にある最上位の概念にしないと機能しません。そのことが分からないで作っても、現場の社員たちはしらけるだけでしょう。

――そのようなビジョンを作るにはどうすればよいでしょうか。

社会貢献、自己実現、利益追求の重なる部分がビジョンだと考えています。そして、そのビジョンを世の中に届けるには「ライフスタンスアクション」が重要です。

今は企業の価値観や思想、ビジョンが問われる時代です。企業のライフスタンスは、消費行動にも影響を与えます。よく、ライフスタイルという表現は聞きますが、スタイルだとビジュアル的な意味合いが強いです。企業の価値観は表面的なものではないので、スタンスとしました。

ビジョンを訴求するには、「ライフスタンスアクション」が重要だと強調する *クリックすると拡大します

社会課題や政治に対して立場を示すことは、支持者だけでなく、敵もつくることになります。損得勘定で動く企業は、どっちつかずの立場にいることを選んできました。

ですが、時代が変わり、譲れないものについてははっきりと言い切ることが共感されるようになりました。

もちろん、発言することで敵をつくることもあります。ですが、共感や支持してくれる人もいます。

立場を明確にすることで物語性が生まれ、お客さんや社員との信頼関係ができ、一緒にビジョンを達成することが、企業が存在する理由だと考えます。

――2009年から他社向けの経営再生コンサルも手掛けます。日本全体の工芸の需要喚起の狙いもありますが、ノウハウが取られてしまうというリスクはありませんでしたか。

社員からは反対の声はありました。ですが、経営再生支援こそ、ビジョンにつながっていて、「そんな小さなこと気にしなくていい」と説得しました。

例えば、最初のコンサル先であるマルヒロさんでは販路開拓として中川政七商店のバイヤー向け展示会に出てもらうことにしました。

ただ、社内は猛反対でした。「お客さんのお財布は一つです。売り上げが落ちます」と強く言われました。

でも、マルヒロさんが成長したら、私たちが辛いときに逆にお客さんが来るきっかけになってくれるかもしれない。目先のことよりも長期的に考えようと話しました。

――中川さんとマルヒロさんの信頼関係があったからこそ、そう言い切れたのですね。

信頼関係もありますが、コンサルもビジネスでやっています。それに私は恩義に頼っている訳ではありません。ビジョンに愚直になることが経済合理性があると思って、この決断を下しました。

私たちは企画から製造、販売までを垂直統合したSPA(製造小売業)です。現在は約60店舗を展開していますが、これから先、工芸の人気が出て、ライバル店も続々と出るとします。

そうなると、今の日本の状況だと作り手さんの壁にぶつかります。作り手がいないので、店を増やそうとしても増やせないのです。流通という出口を増やすためには、メーカーも増やさないといけないのです。

――2018年14代社長に中川家と血縁関係のない千石あや氏を選びました。300年の中で初ですが、どのように決断しましたか。

中川政七商店が良くなっていくためには私がいないほうがいいと考えました。私の場合、自分でいろいろ決めてやってしまうので、後進が育たないことに気付きました。特に、ミドルマネジメントの育成になりません。

だから、私がいなくなれば、みんなやるしかなくなると考えたのです。私が社長になってからもワントップで決断し、組織能力で実行してきた形です。ですが、頭が一つだと限界を迎えます。考える人は複数いないといけないと考えました。

もともと入社したときから、14代は中川家以外の人間に継がせたいと言っていました。公私混同した会社ではなく、ちゃんとした会社にしたいと思ったからです。

中川政七(中川 淳)
中川政七商店会長
1974年奈良県生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通入社。02年中川政七商店に入社、08年十三代社長に就任、18年より会長。業界初の工芸をベースにしたSPA業態を確立し、「中川政七商店」などの直営店を全国に約60店舗展開。また「日本の工芸を元気にする! 」というビジョンのもと、09年より業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。15年「ポーター賞」受賞。「カンブリア宮殿」などテレビ出演の他、講演歴多数。

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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キーワード: #パーパス

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