10代女性がリードする、村の無農薬栽培プロジェクト(1)

■記事のポイント
①医師・名知仁子さんはミャンマーで医療・農業の支援を行っている
②支援する村の一つ・ダボチョン村で無農薬野菜の栽培プロジェクトが始まった
③10代の女性メンバーの呼びかけで、4人の村人が参加することになった

ミャンマーの僻地・無医村「ミャウンミャ」から

「私は悲しい。村の人たちは助けてくれないから」。共に活動するユースチームの16歳の女性が、村の人々に発した言葉だ。ミャンマーには目上の人に物言う文化がほとんどないが、彼女は自分の気持ちを両親くらいの人々に涙目で切々と訴えたのだ。(NPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会「MFCG」代表理事・医師・気功師・名知仁子)

16歳の女性のメンバーを囲み、無農薬野菜について学ぶ村人

■明日のことさえ考える余裕のない村人の心を動かした16歳

2022年5月、私たちが活動するダボチョン村で無農薬野菜を栽培するプロジェクトが始まった。まずは雑草が生い茂る土地を開墾し、土地の状態にあった野菜の種を購入した。酸っぱいスープに最適なグローサリー(チンモン)、長インゲン、キュウリ、オクラ、さらに空心菜の5種類だ。

プロジェクトを主導するのは10代のユースチームだが、8人いたメンバーは家庭を助けるために1人抜け、2人抜け、最終的に3人になってしまった。そこで、村長さんの協力を得て、住民を集めて新規メンバー募集の説明会を開くことにした。

説明会には私たちMFCGだけでなく、現地NGO「ミッタ―ファンデーション(MDF)」も参加し、無農薬野菜栽培の効果を説明していただいた。MDFは2008年に設立され、ミャンマー全土で活動している。

私たちは有機野菜栽培のコミュニティガーデンを作るため、かねてからMDFと一緒に活動したいと伝えていた。そして「ラブ・コール」を送り続けて1年以上、ついに多忙な彼らとの連携が実現したのだ。

冒頭の話に戻る。説明会では16歳の女性メンバーが「一緒に活動してほしい」と、自分の両親くらいの人々に切実に訴えた。これに私は大変な衝撃を受けた。

ミャンマーでは1か月でも年上であれば、尊敬の対象になる。お願いするとか、対等に会話するなど考えられない。都会を離れた村になるほど、この傾向が強い。それでもあえて訴えた彼女は、本当に困っていたのだ。

ダボチョン村には全83世帯が暮らし、住民の殆どは日雇い労働者だ。その日その日の食糧や稼ぎを得られるかが、一番の関心ごとになる。食べるのが精一杯なため、それ以外の事柄について考える余裕がないのだ。

住民どうしの助け合いもほとんどない。MFCGは2015年からダボチョン村で活動をしてきたが、住民一体となって村をどうにかしたいという気持ちが薄いと感じざるを得ないことが多々あった。

しかし、16歳のメンバーの訴えを聞いて、説明会終了後に4人の大人がプロジェクトへの参加に名乗りをあげてくれた。なかば不可能とあきらめていたダボチョン村の無農薬野菜の栽培プロジェクトが、動き出したのだ。(次回に続く)

MFCGは2022年6月で活動10年を迎えました。10周年を記念したTシャツもご用意しています。詳しくはMFCGホームページ

Satoko Nachi

名知 仁子

名知仁子(なち・さとこ) 新潟県出身。1988年、獨協医科大学卒業。「国境なき医師団」でミャンマー・カレン族やロヒンギャ族に対する医療支援、外務省ODA団体「Japan Platform」ではイラク戦争で難民となったクルド人への難民緊急援助などを行う。2008年にMFCGの前身となる任意団体「ミャンマー クリニック菜園開設基金」を設立。15年ミャンマーに移住。

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