手話アニメ「しゅわわん!」がEテレで放送、原作者が背景語る

コミックエッセイ『育児まんが日記 せかいはことば』(ナナロク社)を原作とした手話アニメ「しゅわわん!」が、3月22日から3日連続でEテレで放送される。同作は、ろうの両親と耳が聞こえる子どもの成長をユーモアたっぷりに描いている。原作者は写真家や漫画家として活躍する齋藤陽道さんだ。コミュニケーションバリアの解消に取り組むNPO法人インフォメーションギャップバスター理事長の伊藤芳浩さんが、齋藤さんに手話との出会いや作品作りの背景について聞いた。

■齋藤陽道(さいとう・はるみち)
写真家・文筆家・まんが家。陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグス」所属。1983年、東京都生まれ。東京都立石神井ろう学校卒業。2022年6月に株式会社せかいはことばを設立。2021年にドキュメンタリー映画うたのはじまり」(河合宏樹監督)に主演。『育児まんが日記 せかいはことば』(ナナロク社)をもとにした手話アニメ「しゅわわん!」が2023年3月からEテレで放送される。

齋藤陽道さん(左)と伊藤芳浩さん

私と、写真家・齋藤陽道さんとの出会いは、2013年に東京のワタリウム美術館で開かれた『宝箱 ―齋藤陽道 写真展』での齋藤さんとよしもとばななさんの筆談対談にさかのぼります。

齋藤陽道さんは、2010年の写真新世紀優秀賞受賞をきっかけに写真集、個展、さらには文筆業、漫画、アニメ、俳優と豊かな才能を活かして活躍中です。

最近では、2022年5月に家族との何気ない日常、その中に見つけた宝物をユーモアたっぷりに描いた「育児まんが日記 せかいはことば」シリーズを出し、そして、それが、Eテレでアニメ化され、3月22日から放映されることになりました。

私は、そんな齋藤さんのフラットな感覚が大好きで、彼にインタビューをするのが、ずっと夢で、今回実現できて大変嬉しく思っています。早速ですが、いろいろ伺っていきます。

■ ろう学校への進学を決意し、16歳で手話に出会う

――子どものころはどのような状況でしたか

私が3歳の時、母が私の言葉の発育が他の人と比べて遅いことに疑問を感じたことがきっかけで、聞こえないことに気付きました。聞こえないことで戸惑ったけれど、家の近くにきこえ・言葉教室がありました。

そこでは「手話を身につけると、発声できなくなる」という考えの先生により、手話は禁止されていました。そんな経緯で、補聴器をつけてそこに通い、毎日、発声と聞き取りの練習をしました。ずっと口話で育ってきました。

幼稚園から中学校までは、普通の学校に通っていました。高校の進路を考える時、「このままずっとうまく話せないまま人生を終えるのか」と想像し、怖くなりました。このことがきっかけになって、それまで避けていたろう学校に進学することを決意しました。

――手話とはどのように出会ったのでしょうか

ろう学校での同級生は、5人いました。そのうち私を含めて3人が私と同じように通常の学校からろう学校に編入し、補聴器をつけて口話でのコミュニケーションをしていました。残りの2人がデフファミリー(※1)出身で、ネイティブサイナー(※2)でした。彼らとコミュニケーションするために、手話を使い始めました。16歳でした。

※1:家族全員が聴覚障害者、特にろう者の家族のこと
※2:手話を母語(幼時期に自然に習得する言語)とする人のこと

彼らとの出会いは、運命的なものでした。ネイティブサイナーが2人いたことは、今思うと、とてつもない幸運でした。2人はいつも流暢な日本手話でコミュニケーションをしていたので、いつも日本手話に触れることができたからです。その流暢な手の動きや表情に、言いようのない深い魅力を感じました。

ネイティブサイナーの2人は、手話のことを全く知らない私を疎外することなく、辛抱強く教えてくれました。とてもありがたかったですね。

初めは、日本語対応手話と、指文字で会話していました。手話を覚えたばかりということを差し引いても、私の手話はネイティブサイナーの手話と比べると固くてぎこちない。この違いは何だろうと、ずっと気になっていました。

あの感覚を思うにつけ、日本語対応手話と日本手話の違いというのは本当に大きいものなのだなと思います。たとえ手話の知識がなくても、目で生きるろう者にとっては感覚的にまったく違うものとして受け止めているのだなと思います。

そして、高校卒業後の進路を決める時が来ます。大学を受けるのが当たり前だと思い、受験したのですが、勉強したいことが特になかったのです。結局、大学には落ちました。でも動機もないまま、大学に受かってもしょうがないので、落ちて本当によかったと思います。

そのまま、同じろう学校の専攻科へ入りました。高校の3年間ではまだ身についていなかった手話が、専攻科の二年間でやっと私の「ことば」として身についてきたような感覚がありました。

専攻科2年間を卒業する年、私は20歳になります。20歳の誕生日、補聴器を捨てました。それから、20年間まったく使っていません。手話があれば十分だと思ったからです。

齋藤さんは、16歳で手話に出会い、手話を身に付けていった

■ 本は「孤独を隠すカモフラージュ」だった

――どのように手話を身に付けていったのでしょうか。

18歳の時に初めて、「アイデンティティ(自己同一性)」という言葉を知りました。ブレブレだった心や体のことをまとめる概念として、アイデンティティという言葉があることを知り、モヤモヤしている心を言語化できる言葉があるのだと知りました。

その言葉に出会ったのは本です。今では、本が好きだと言えますが、中学生の時までは本が読めなかった。本は読んでいたものの、全然頭に入ってこなかったのです。

学校では、先生や同級生たちの話が分からないので、孤立していました。でも、孤立しているように見られないためのカモフラージュとして本を読んでいました。孤立していないことをごまかすための本でした。内容は頭に入っていないまま、暇つぶしとして文字を追っていました。

手話と出会って、キャッチボールするように意思疎通ができることを知りました。そこでようやく会話の楽しさや難しさを知ったのです。会話の喜びを知ってから、本を読むと、内容が、頭ではなく、心に入ってくるようになりました。

その時から本は、逃げるための道具ではなく、自分を深めるための親友になりました。その時に読んでいたジャンルは小説が多かったですね。今思うと、会話の仕方を学んでいたような気がします。

少しずつ、哲学の本も読むようになりました。内容は難しくて覚えていないのですが、新しい言葉とつぎつぎに出会っていくことの興奮を感じていましたね。

 ろう者に写真家に向いている?

――何がきっかけで写真を始めたのですか。

専攻科では、パソコンでワードやエクセルの勉強をしたり、就職に役にたつ資格、例えば簿記などの資格をとったりしていました。特に会社にはこだわりがなくて、ずっと働くつもりはなかったです。

専攻科2年の時に写真に興味を持ち始めて、もっと勉強したいと思うようになりました。同級生の写真を撮っていて、手話で話しているときの写真がうまくとれなかった。もうちょっとうまく撮りたいなと思ったのがきっかけです。

会社には2〜3年勤めて、お金を貯めて、大阪の写真の専門学校に入ろうと思い、5つぐらい学校を探したけど、きこえないということで断られました。

そのなかで1つだけ、OKしてくれた学校がありました。ノートテイクや手話通訳の対応はできないけれど、写真の場合は見て学ぶことが多いので、それでもよければ、どうぞという考え方が柔軟な学校でした。大阪にしたのは、ずっと憧れていた土地だったからです。

講義の内容はほとんど分からなかったので、教科書を読んで自分で勉強していました。今は音声認識アプリがあるので、もっとしっかり学ぶことができるのではないかと思います。当時なかったのが残念です。

講義のスタイルは基本的に座学だったのでほとんどは欠席して、スタジオ撮影などの実技の時に出席していました。実技の授業では写真プリントをみて、一対一で先生に筆談で質問をいろいろすることができたので、見識が深まってよかったです。また、パソコンを使った実習の時も出席していました。

2年生の後期は勉強はなくて、アシスタントになるための自分の作品を作るための時間になっていました。学生には買えないような高い機材が学校には揃っていたので、実際に使ってみて使い勝手や癖などを理解した後、やめました。結局、2年間の課程でしたが、1年半でやめました。

――写真家に必要なものは何でしょうか

「写真家は目を使うんだから、ろう者には合う職業なのでは?」とよく聞かれるのですが、実際は違うのですよね。ぼくも長く勘違いしていたのですが、写真は、目がいいだけでは撮れるものではない。たとえ瞬間を見つめる目が良くても、一枚だけではだめなのです。

大事なのは、テーマに一貫性を持つことです。そして、ブレずに淡々と、執念で撮り続けること。これが本当に難しい。

安定して、継続して撮り続けるためには、自分の写真の足りないところを自省して言語化すること。足りないところに自ら気づいて、補完して、新しいやり方を模索すること。それが何よりも必要なのです。そのためには、ボキャブラリーや哲学を積み上げてまとめる力が必要です。

哲学がないまま写真を撮り続けると、すぐにブレが生じます。ブレのある写真は見た人にすぐバレてしまいます。怖いくらいバレちゃう――と、偉そうなことを言いましたけれど、ぼくもずっと悩んでいます。ずっと考え続けないといけないことだと思っています。

齋藤さんが愛用するカメラ

■手話での育児、参考情報が見つからず

――子ども絵本を作るきっかけは何でしょうか

私と妻はろう者で、子ども2人は聴者(CODA:聞こえない親のもとで育つ聞こえる子ども)です。はじめての子育ては、分からないことがたくさんあり、参考になりそうな育児の本を探しましたが、すべて聴者向けの本でした。インターネットで探しても、手話で育てる本は全くなかったのです。

インスタグラムやユーチューブには少しありましたが、参考にはならなかったですね。テレビのバラエティのような浅いものばかりでした。とにかく、手話で子育てをするということの情報が本当になかった。親となったろう者たちはどうやって子どもを育てていたのだろうと不思議に思うほどでした。

ろう学校や、地元のコミュニティへいって教えてもらうとか方法はあるかもしれないけど、本という形で「手話のある生活」を知るものは全くなかったです。

『育児まんが日記 せかいはことば』は、手話による育児書がない状況に危機感を感じたことがきっかけでした。ぼくにできる方法として、漫画で描き始めました。3年間毎日1ページずつ描いて、それ本にしたのです。いろいろなアイデアを詰め込んで本にしました。

その漫画がきっかけで、絵本にもつながりました。すべては、漫画からはじまりました。

コミックエッセイ『育児まんが日記 せかいはことば』(ナナロク社)

――同作を原作とした手話アニメ「しゅわわん!」が、3月22日から3日連続でEテレで放送されますね。

育児漫画を描きはじめたときから、「いつかはアニメにするぞ」と思っていました。アニメも漫画と同様に、手話で子どもを育てる方法を伝えることを目的にしています。

漫画や絵本の紙ベースだと、動きがある手話の表現方法を伝えることが難しいですね。紙ベースだと、手話の動きが止まっているなので、文を読んでも動きのイメージが分からない。また、漫画だけだと、手話に興味を持っている人に関心をもってもらえるけれど、手話のことをまったく知らない人だと手に取らないかもしれないですね。

アニメなら手話のことを知らなくても、さりげなく触れる機会としてもいいものになるのではないかと思いました。

当事者だけでなく、社会の多くの人たちが「なんか前にテレビで手話で子どもを育てている家族がいたな」と、頭の片隅の中に記憶としてとどまっていればいいなと思います。もし、自分や、周りの人の子どもが聞こえないことがわかったとしても、手話で子育てができることや、手話の子育ての方法がわかればそれは大きな違いですよね。

手話の子育てに関する情報が、なんにもない「0」よりは、たとえどれほど少なくても「1」からスタートできるということは、大きな安心につながると思います。

ですので、そうしたところを目指してアニメ化を希望していました。

NHKやEテレは、ほぼ全日本人が見るであろうメディアなので、そこでアニメが放映されることは、とてつもない意義があるはずです。

ちょっと特殊な時間帯なので、録画か再配信も含めて見てください。まずは3話の予定です。

反響があれば継続できるはずなので、見ていただいて、ぜひぜひに感想のことばをNHKに届けてもらえるようお願いします。

▼「しゅわわん」の放送日
<本放送>
#1話【Eテレ】3月22日(水) 午前9:30~9:35
#2話【Eテレ】3月23日(木) 午前9:30~9:35
#3話【Eテレ】3月24日(金) 午前9:30~9:35

<再放送>
#1話【Eテレ】3月25日(土) 午後2:20~2:25
#2話【Eテレ】3月25日(土) 午後2:25~2:30
#3話【Eテレ】3月25日(土) 午後2:30~2:35

■ プロレスで人間同士で向き合うことの根源を知る

――齋藤さんは、プロレスラーとしても活動されています。障害者プロレスを始めたきっかけは何でしょうか。

実はプロレスや格闘技にはまったく興味ないんですが、ドッグレッグス代表の北島行徳さんの本を読んだことで、ドッグレッグスにかかわりたいと思ったのがきっかけです。

▼ドッグレッグス
▼無敵のハンディキャップ(Amazon)

写真を始めたときは、ろうだけの世界に固まってしまうことに危機感を覚えていました。いろんな人に会いたいと思えば会える時代なのに、もったいない。

ろうのコミュニティの大切さもわかるけれど、写真をやるうえで、若いころからひとつのところに定着してしまうのはもったいないと思っていました。

ドッグレッグスには、筆談や発音も難しいほどに重い障害を持つ人もいるのですが、彼らとコミュニケーションをとるのは難しいのではないかと思っていました。でも、ドックレックスに入って、同じリングに立つことになります。重い障害のハンディにあわせるため、僕は手足を縛るなどします。そうやって戦うんです。

1ラウンド3分という短い時間なのですが、これまでに感じたことのないコミュニケーションの満足感がありました。時間の感覚が壊れた。

障害者というレッテル以前に、人間と人間同士で向き合うということの根源を知りました。これがぼくの撮影の基礎を築いてくれたと思っています。もし、ドックレックスに入っていなかったら、写真の形も変わっていたと思います。

――今後の目標について教えてください。

ぼくは手話に命を救われたので、手話の世界に恩返ししたいという思いがあります。そして、アニメの放送も長く続けられるようにしたいし、漫画や文章の活動がここのところ続いているので、写真の活動を復活させたいですね。やることはたくさんで毎日が楽しいです。やるしかないですね。

itou

伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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