記事のポイント
- 医療従事者らで構成する「みどりのドクターズ」は、地球環境の健康にも取り組む
- 人の健康は、地球の自然システムの健全性に依存しているからだ
- 人間と地球環境が、無理なく、長く共に生きていける社会を目指す必要がある
医療従事者らの有志で構成する「みどりのドクターズ」は、人の健康と同時に地球環境の健全性も追求する「プラネタリーヘルス」に挑む。「健康」は体の中だけの話ではない。人類の健康はそれを支える地球の自然システムの健全性に依存しているからだ。人間と地球環境が、無理なく、長く共に生きていける社会を目指して、医療従事者らの視点と挑戦を、「『プラネタリーヘルス』への挑戦」として連載していく。(みどりのドクターズ・太田知明)

連載:「プラネタリーヘルス」への挑戦(1)
「健康」は体の中だけの話ではなかった
朝、カーテンを開けた瞬間に感じる空気の違和感。真夏の刺すような日差しが続いたかと思えば、線状降水帯による突然の豪雨が街を襲い、甚大な洪水被害をもたらす。かつては季節の風物詩であった「外遊び」も、今や連日の「熱中症警戒アラート」によって、子どもたちに「今日は外に出ないで」と制止をかける日常へと変わってしまいました。
さらに、私たちの生活圏には今、かつてない変化が起きています。山あいだけでなく、都市部にまでクマが出没するニュースが絶えません。これは単なる個体数の問題ではなく、地球温暖化による生態系の攪乱や里山の荒廃、そして森の豊かさが失われたことによる、地球からの切実なメッセージかもしれません。スーパーで野菜の価格が高騰しているのも、遠い国の紛争だけが原因ではありません。気候変動や一次産業を取り巻く環境が、農業の根幹を揺るがしているのです。
これらはもはや「季節の移り変わり」や「一時的なニュース」ではありません。私たちの暮らしの中で確かに何かが変わっており、その変化は、静かに、しかし確実に私たちの心身にも影響を与えています。
診察室では、最近こんな声をよく耳にするようになりました。 「なんとなく、ずっと体が重い」 「検査では異常がないけれど、前の自分とは違う気がする」
この連載は、そんな診察室に漂う小さな違和感の正体を探ることから始まります。
■医療の枠を越え、なぜ「地球」を語るのか
私たち「一般社団法人みどりのドクターズ」(医師、薬剤師を中心にあらゆる医療セクターの社会人や学生130名以上が登録)が、医療の枠を越えて環境や社会、地球の話をする理由――それは、個人の努力だけでは守れない健康の領域が急速に広がっているからです。
私たちはこれまで、健康を「生活習慣」や「自己管理」の問題として捉えてきました。しかし、住む場所、働き方、経済状況、そして人とのつながりといった「健康の社会的決定要因(SDH)」が、個人の健康を大きく左右することは、すでに医療現場で共有されています。
みどりのドクターズは、その視点をさらに一歩、社会の外側にある「地球環境」へと広げました。空気、水、土、気候、そして共に生きる生きものたち。それらが健やかであってこそ、初めて人間の体も健やかでいられる。この切っても切れない相互依存の関係を示す概念が、「プラネタリーヘルス(地球の健康)」です。
■「プラネタリーヘルス」が示す新しい健康観
プラネタリーヘルスとは、2015年に提唱された比較的新しい概念で、「人類の健康は、それを支える地球の自然システムの健全性に依存している」「地球システムが健全でなければ、人類の健康や繁栄はない」という考え方です。
これまでの医療が「人体というシステム」を診てきたのに対し、プラネタリーヘルスは「地球というシステム」を含めた、より大きな視点での健康を追求します。熱中症の急増、感染症の拡大、食料不足、心の病、これらは、地球環境の悪化が私たちの体に跳ね返ってきた結果とも言えます。
では、地球は今、どの程度の負荷に耐えられる状態なのでしょうか。それを科学的に示したのが、「プラネタリーバウンダリーズ(地球の限界)」という指標です。

この概念は、人類が持続的に生存できる「安全な活動領域」を、以下の9つの領域で数値化したものです。
- 気候変動
- 生物多様性の損失(種の絶滅など)
- 土地利用変化(森林破壊など)
- 淡水変化(過剰な水利用など)
- 窒素・リンの循環(化学肥料の使用など)
- 海洋酸性化
- 大気エアロゾルの負荷(PM2.5など)
- オゾン層の破壊
- 新規化学物質(マイクロプラスチックなど)
残念ながら、最新の研究では、気候変動や生物多様性の損失、新規化学物質など、すでに7つの領域で地球の回復力を超える「限界」を突破していると警告されています。
■医療現場から「持続可能な未来」を創る
こうした現実を前に、私たちは医師として問い続けています。 患者さんの健康を守るとは、病気の数値だけを診ることなのか。その人が生きる環境や、次の世代が生きる未来の世界まで含めて考えることこそが、これからの医療の本質ではないのか、と。
同時に、医療自体も自らを省みる必要があります。皮肉なことに、最新の高度医療は膨大な資源とエネルギーを消費し、大量のCO₂を排出しています。人の健康を守る行為が、結果として地球の限界を押し広げ、未来の健康を損なってはいないか。みどりのドクターズは、この矛盾と正面から向き合い、医療現場からの脱炭素化や、薬だけではない、持続可能な医療のあり方を模索しています。
私たちが活動する動機は、メンバーそれぞれです。未来の世代のため、自分の子どものため、森や海、生態系のため、そして声を上げることができない脆弱な人たちのため。しかし、見つめている未来は一つです。それは、「人間と地球環境が、無理なく、長く共に生きていける社会」です。
■サステナブルな企業経営と従業員の健康を結ぶ新しい処方箋に
この連載では、専門知識を一方的に伝えるのではなく、日々の暮らしや診察室での気づきを手がかりに、体と社会、そして地球がどうつながっているのかを共に考えていきたいと思います。 企業のサステナ担当者と医療者が手を取り合うことで、より強固な持続可能性が生まれるはずです。
「地球を大切にすることが、自分と大切な人の健康そして社会を守ることにつながっている」。そんな実感を、読者の皆様と共に育んでいけることを願っています。

太田知明(おおた・ともあき)
医師。山梨勤労者医療協会 武川診療所勤務。一般社団法人みどりのドクターズ理事。クライメート・リアリティ・プロジェクト・ジャパン 生物多様性アクショングループ リーダー。整形外科医、救急医として総合病院に勤務した後、ネパールでの医療ボランティア、客船船医を経験。さらに約2年間、バックパッカーとして世界40カ国を旅する中で、「医療だけでは人間の健康は守れない」ことを実感する。 気候変動や環境破壊の影響を強く受ける動物や、声を上げにくい世界の脆弱な人々の代弁者となることを志し、医師として環境課題に取り組む。プラネタリーヘルスの実践として、2024年に山梨県へ移住。現在は僻地診療所で地域医療に携わりながら、持続可能な社会と健康のあり方を発信している。



