記事のポイント
- パリ協定の掲げる「1.5℃目標」の達成が難しい局面を迎えている
- 一時的に、気温の上昇が1.5℃を上回ってもそこから下げれば良いとの考えも広がる
- 江守教授は「下げることは容易ではなく、上げない努力に最善を尽くすべき」と話す
ブラジル・ベレンでのCOP30(国連気候変動枠組条約第30回締約国会議)では、合意文書に、脱化石燃料に向けたロードマップなどが盛り込まれない形で閉幕となった。パリ協定の掲げる「1.5℃目標」の現在地や、COP30の総評など、気候科学の専門家である江守正多・東京大学未来ビジョン研究センター教授に話を聞いた。(聞き手:オルタナ輪番編集長=吉田広子、池田真隆、北村佳代子)

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院総合文化研究科博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。©MEDIA IS HOPE Inc.
■「1.5℃」を超えてもあきらめてはならない
産業革命前から世界の気温上昇を「1.5℃」以内に抑えるための各国の動きは遅れており、現状、1.5℃を一時的に超えてしまうこと(以下「オーバーシュート」)は仕方がないという見方が、かなり公に共有されつつある。
COP30の合意文書も、オーバーシュートについて触れ、1.5℃を超えるにしても、その超え方は「小幅」で、かつ超えている期間も「短く」なければならず、その後、1.5℃よりも下に戻ってこなければならない、という認識を再確認した。
1.5℃を超えそうだからといって、決してあきらめてはならない、ということを再確認できたのは好ましい。
■「1.5℃に戻す」は「言うは易し行うは難し」
一方で、オーバーシュートしてから1.5℃に戻すのは、ものすごく大変なことなのだが、それを皆がどれだけわかっているのかは疑問だ。
「1.5℃に戻す」とはつまり、「気温を下げる」ことだ。気温を下げるには、世界全体でかなり大規模な「ネガティブエミッション(排出量がマイナスになる)」状態が長期間、起きなければならない。
現在、人間活動によって、年間400億トンの二酸化炭素を大気に放出しているが、それに近しい規模で、ネガティブエミッションを起こすとは、どのようなことか。それは、今のエネルギー産業と同等の規模で、ネガティブエミッション産業が動くようなイメージだ。
今のエネルギー産業は、当然、エネルギーを使うことでの便益があるため、経済活動・企業活動の中で対価を払ってエネルギーを消費するという構造が成り立っている。そのついでとしてCO2を排出してしまっている。
一方で、ネガティブエミッションがもたらす便益は、大気からCO2を減らし気候変動を抑制すること以外にメリットが見当たらない。そのためだけに、既存のエネルギー産業と同規模の投資がなされ、何らかの形で投資を回収できる、という構造をつくりだせるだろうか。そこに、社会的な実現可能性がありうるのか、現時点では疑問だ。
DAC(大気からのCO2の回収)のスタートアップが頑張って、ネガティブエミッションを目指すのはもちろん大事だ。だがそれが、世界全体の気温が下がるくらいの規模になり得るのか。そう生易しい話ではないと考える。
■「カーボンニュートラル」よりも「下げる」のは難しい
世界全体の排出量をネットでネガティブ(マイナス)にするということは、そこに至る過程で、カーボンニュートラルになる状態を経る。
化石燃料から脱却し、カーボンニュートラルになる過程では、大気汚染が減り、エネルギー自給率も上がるなどの、「コベネフィット(共通便益)」がある。
だからまだ「カーボンニュートラルを目指しましょう」と言いやすく、そのゴールの下で、すべての国が排出する分をゼロにしようと進めている。どの国がどれだけの排出量を減らすべきか、ということについても、細かな調整が必要ない。その点で、「カーボンニュートラル」は、シンプルでわかりやすいゴールだ。
しかし、それを超えて、世界でネガティブエミッションを目指すとなると、話は異なる。国家間でその炭素の吸収量の分担をどう調整していくのか。過去の累積排出量に比例すべきとなったとしても、相当もめることになるだろう。誰がその資金を拠出するのか、ということでも決着がなかなかつかないだろう。
「オーバーシュートしても、そのあと下げて、1.5℃に戻ってくれば良い」と容易に考えられてしまうことには大きな危機感がある。実際に気温が下がるために物理的に起こさなければならないことの重さと、「戻せばよい」という言葉が放つ軽さとに、大きな乖離を感じる。
「1.5℃を超えても後から下げられる」と容易に考えるのではなく、1.5℃を超えたとしてもなるべく小幅な上昇で温暖化を止めることに、注力していかなければならない。そのためにも、1日も早く世界が脱炭素化することが大事だ。
■「0.1℃」の上昇が何千万人もの生活を破壊する
世界の平均気温の上昇が1.5℃を超えた後の「0.1℃」のインパクトは、ティッピング・ポイントを超えてしまう引き金が引かれてしまいかねないという点で、非常に大きい。
ティッピング・ポイントとは、少しずつ変化していた物事が、急に元に戻せない大きな変化となる臨界点を言う。気候変動の文脈では、1.5℃を超えると、「グリーンランド氷床の崩壊」「西南極氷床の崩壊」「低緯度サンゴ礁の死滅」「永久凍土の広範で急激な融解」のティッピング・ポイントを超えてしまう可能性が高くなると言われている。
すでにサンゴ礁については、ティッピング・ポイントを超えたと言われている。残る西南極氷床、グリーンランド氷床、永久凍土のティッピング・ポイントも近づいていると言われている。
1.5℃を一時的にでも上回ることで、ティッピング・ポイントを超えかねないリスクは当然、心配しており、その意味でも「0.1℃」の重みは大きい。
世界の平均気温が「0.1℃」上昇することが、自分にとってどうか、というと、それによる被害はランダムかつ不規則な変動が重なりながら起きるので、地域によっても年にとってもばらつきがある。ある人、ある年には何も起きないかもしれない。
しかし、世界全体で10年くらいの平均でならして見ると、1.5℃で救えていた生活や命が、1.6℃では救えなかった、というケースが、何百万人、何千万人という規模で出てくるだろう。それだけ「0.1℃」の重みは大きい。
■COP30は「後退」なのか
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