記事のポイント
- 医療の現場では「何となく調子が悪い」という声を耳にする機会が確実に増えている
- しかし、検査値には表れにくいため、つい個人の問題として見過ごされがちだ
- その背景には、気候変動や生活環境の変化など地球規模の要因が複雑に重なっている
連載:「プラネタリーヘルス」への挑戦(2)
「ウェルビーイング」という言葉が社会に浸透する一方で、医療の現場では「病気ではないが、何となく調子が悪い」という声を耳にする機会が確実に増えています。不眠、慢性的な疲労感、皮膚の違和感、気分の揺らぎなど、こうした状態は、まだ病気とは言えないものの、調子が整っていないサインと言えるでしょう。しかし、検査値には表れにくいため、つい個人の問題として見過ごされがちです。その背景には、気候変動や生活環境の変化、化学物質への曝露、自然との断絶といった、地球規模の要因が複雑に重なっています。(みどりのドクターズ/薬剤師=大石和美)

ここで改めて、「ウェルビーイング」とは何を意味するのでしょうか。
世界保健機関(WHO)は、2021年に採択された『ウェルビーイングのためのジュネーブ憲章』の中で、ウェルビーイングを「生態系の限界を超えることなく、現在と将来の世代すべてにとって公正に健康が保障される社会のあり方」と位置づけています。
この憲章では、ウェルビーイングは個人の幸福感や健康状態にとどまらず、社会の仕組みや経済、環境、そして地球そのものの健全性と切り離せないものとして捉えられています。
■個人の努力だけでは守れない健康
ジュネーブ憲章は、気候変動、生物多様性の喪失、汚染、感染症の拡大、格差や分断といった、複雑に絡み合う危機の中で、健康とウェルビーイングを守るためには、医療や個人の努力だけでは不十分であると強調しています。人々が自らの生活と健康をコントロールできるよう支える社会構造そのものを、地球環境の限界を踏まえて転換していく必要があるというメッセージです。
つまり、ウェルビーイングを守るとは「調子の良い個人」を増やすことではなく、「人と社会と地球が、無理なく支え合える状態」をつくることだと言えます。この考え方は、プラネタリーヘルスの視点と深く重なっています。
■プラネタリーヘルスという視点
前回は、私たち医療者がなぜ「健康」を語るうえで、地球環境という視点を避けて通れなくなっているのかを、プラネタリーヘルスの考え方から見てきました。第2回となる今回は、より生活に近い場所である地域薬局の視点から、その実践を考えていきます。
プラネタリーヘルスは、「人の健康は、健全な地球環境に支えられている」という考え方に立っています。猛暑や寒暖差の拡大は睡眠や自律神経に影響を及ぼし、空気や水を介した汚染は、皮膚や呼吸器に慢性的な負担を与えます。こうした影響は、病気として診断される前の段階から、人々のウェルビーイングを静かに揺るがしています。
■地域薬局の「選び方」を伝えるという支援
この「まだ病気ではないけれど、調子が整っていない」領域に、日常的に寄り添っているのが地域薬局です。処方箋がなくても立ち寄ることができ、生活の中の小さな違和感を相談できる場所として、地域薬局は存在しています。
ここで求められているのは、「何を売るか」ではなく、「どう選ぶかを伝える」姿勢です。
例えば、肌の乾燥やかゆみ、香料による不快感を訴える来局者に対し、薬剤師は特定の製品をすぐに勧めるのではなく、まず成分表示の見方や、刺激となりやすい物質について説明します。香料や着色料、保存料の中には、皮膚のバリア機能を弱めたり、かゆみや赤みを引き起こしたりするものもあり、体調や体質によっては頭痛や気分不良につながることもあります。
また、こうした成分は、使用後に洗い流されることで下水を通じて環境中へ排出されます。完全には除去されないまま河川や湖に流れ込むと、水生生物の行動や生殖に影響を与えたり、生態系全体に長期的な負荷を与えたりする可能性が指摘されています。薬剤師は、こうした体への影響と環境への影響の両方を伝えたうえで、本人が自分の暮らしや価値観に合ったパーソナルケア製品を選べるよう支援します。
■一つの選択が二つの利益を生む
こうした関わりは、薬や治療が必要になる前の、ふだんの暮らしで調子を整える実践そのものです。さらに重要なのは、その選択が個人の健康だけでなく、同時に地球環境にも良い影響をもたらす点にあります。
成分を吟味することは体への負担を減らすだけでなく、水環境への化学物質の流出を減らします。また、詰め替え可能な製品や環境負荷の少ない原材料を選ぶことは、資源消費や汚染の抑制にもつながります。
このように、一つの行動が「人の健康」と「地球環境」の双方に利益をもたらす関係を、プラネタリーヘルスでは「コ・ベネフィット(共通の利益)」と呼びます。
■「売る薬局」から「選び方を伝える薬局」へ
薬剤師は、暮らしの中で感じる小さな違和感に寄り添いながら、調子を整えるための選択を支えています。その積み重ねが、結果として薬の使用を抑えることにつながる場面もあります。こうした関わりは、残薬を減らし、環境への医薬品の負荷を軽くすることで、持続可能な医療を支えます。
まだ病気ではないけれど、調子が整っていない状態は、本人にとっても言葉にしにくく、どこに相談すればよいのか分からないまま、日常の中に埋もれてしまいがちです。そうした小さな変化に早い段階で気づき、立ち止まることができる場として、地域薬局の存在があります。
「売る薬局」から「選び方を伝える薬局」へ。その転換は、プラネタリーヘルスの理念を、暮らしの中で具体的な行動へと翻訳する試みです。地域薬局のこうした実践は、人の健康と地球の健康を同時に守る、新しい医療インフラとしての可能性を秘めています。

大石和美(おおいし・かずみ)
薬剤師。有限会社丸山薬局経営。一般社団法人みどりのドクターズ事務局メンバー。滋賀県の永源寺町(現東近江市)生まれ。薬科大学を卒業後、母校にて創薬に勤しむも、「いなかのくすりや」の4代目を継承する。久々に戻った生まれ故郷では、多くの仲間に恵まれ、現在も充実した地域薬剤師業務に明け暮れている。自然や水環境を守ることを大切にしてきた地域で育ち、幼いころから「くすりの廃棄には充分に気をつけるように」と習い、また、防疫教育のため各集落を訪ねる父について回っていた。「縄文のビーナス」が発見されたこの地域で、古代から脈々と続く先達の 思いを継承し、環境・経済・社会を切り離さず、環境を保全しながら地域課題の解決と地域の活性化を目指す活動にかかわっている。地域薬局・薬剤師ならではの『できること』を、実践、地域住民に発信している。



