なぜノースフェイスのアウターは黒いのか、隠された戦略とは

記事のポイント


  1. ザ・ノース・フェイスの拡大とともに成長してきたゴールドウイン
  2. 同社は近年、自社ブランドを強化し、自然体験施設の展開にも乗り出した
  3. 背景には「自然との距離を縮めたい」という渡辺貴生社長の思いがあった

スポーツ用品やアウトドア製品の製造販売を手がけるゴールドウインは、「ライフスタイルクリエイティブカンパニー」を掲げ、米国発ブランド「ザ・ノース・フェイス」の拡大とともに成長してきた。近年は自社ブランドを強化し、自然体験施設の展開にも乗り出した。その背景には、「自然との距離を縮め、自然とともに生きる価値観を社会に広げたい」という渡辺貴生社長の思いがある。(オルタナ輪番編集長・吉田広子)

渡辺貴生・ゴールドウイン代表取締役社長CEO(撮影・廣瀬真也)

渡辺貴生(わたなべ・たかお)
ゴールドウイン代表取締役社長 CEO
1960年生まれ。76年にザ・ノース・フェイスと出合い、82年にゴールドウインに入社。2005年から取締役執行役員ザ・ノース・フェイス事業部長、17年から取締役副社長執行役員。20年に代表取締役社長に就任。人と自然が共生する社会の実現と、地球環境再生を経営の最重要項目の1つに掲げる。

■企業の存在意義は、利益だけではない

――代表ブランドの「ザ・ノース・フェイス」に加え、近年は自社ブランド「ゴールドウイン」の海外展開や、2027年開業予定のネイチャーパークなど、新たな領域にも挑戦されています。改めて、ゴールドウインとはどのような会社でしょうか。

当社は、もともと富山県小矢部市でメリヤス工場としてスタートしました。1950年に「津澤メリヤス製造所」として創業し、1963年に現在の社名「ゴールドウイン」に変更しました。社名には「選手たちに『ゴールド・ウイナー(金メダリスト)』になってほしい」という思いが込められています。そのころから本格的にスポーツ事業が始まりました。

1970年代には、海外の優れたブランドを日本に紹介し、ライセンスビジネスを展開しました。創業者の西田東作は、戦後の混乱期の中で、若い世代にチャンスを届けたいという思いから、「スポーツを通じて、豊かで健やかな暮らしを実現する」ことを企業理念に掲げました。スピードやカンタベリーといったスポーツブランドも手がけ、新しいライフスタイルやカルチャーを提案してきたのです。

――ゴールドウインは「モノづくり」「コトづくり」に加え「環境づくり」を経営の軸に据えています。ザ・ノース・フェイスの経験は、どのように影響していますか。

渡辺社長は自然の魅力や厳しさを語る

当社は1978年にザ・ノース・フェイスの輸入販売を始め、1994年には国内商標権を取得しました。現在、日本と韓国で展開しているザ・ノース・フェイス製品はすべて当社グループで企画・販売しています。

私は1982年に入社し、1985年に初めて米国のザ・ノース・フェイス本社を訪れました。当時のケネス・ハップ・クロップ社長から「自然の大切さを伝えることが私たちの使命だ」と言われた言葉が、私の原点です。それから40年以上、「このままでは地球環境が壊れてしまう」という危機感を持ち続けています。

私は2020年に社長に就任したのですが、利益だけを追っていては、企業は存続できないと考えています。当然、利益がなければ、人材や新技術、社会や自然への投資ができません。しかし、利益だけを目的にしては、企業の存在意義が失われてしまう。事業として収益を上げながら、未来への投資を続けること――。これが私の考える経営です。

2024年には社内の若いチームが中心となって、新たなパーパス「人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる」を定めました。この言葉には、スポーツの枠を超えて、人と自然がともに豊かになる未来をつくりたいという思いが込められています。

――ここ数年はROE(自己資本利益率)が25%前後と堅調に推移しています。売上高は2025年3月期の1323億円から、2029年3月期に1885億円を目指されています。その成長を牽引するのが自社ブランド「ゴールドウイン」の海外展開としていますが、他ブランドとどのように差別化していくのでしょうか。

自社ブランド「ゴールドウイン」では、世界で得てきた知見や発想に加えて、日本の伝統的なモノづくりの技術や精神を取り入れていきたいと考えています。

日本の美の源流である東山文化や、わび・さび、利他の精神といった価値観を、商品やサービス、空間、コミュニケーションの細部にまで反映させ、世界に届けていきたいのです。

当社はザ・ノース・フェイスを日本と韓国で展開していますが、ゴールドウインは世界中で販売できます。研究開発部門を維持し、素材開発から製品化までを一貫して行えるアパレル企業は、世界でも多くはありません。こうした強みを最大限に生かし、100年、200年と続くブランドに育てていきたい。

(この続きは)
■自然との距離を縮めるのが使命
■黒いアウターに隠された戦略とは
修理サービスは、長期のファンづくり
■2025年内にPFASフリーを実現へ

有料会員限定コンテンツ

こちらのコンテンツをご覧いただくには

有料会員登録が必要です。

yoshida

吉田 広子(オルタナ輪番編集長)

大学卒業後、米国オレゴン大学に1年間留学(ジャーナリズム)。日本に帰国後の2007年10月、株式会社オルタナ入社。2011年~副編集長。2025年4月から現職。執筆記事一覧

執筆記事一覧
キーワード: #サステナビリティ

お気に入り登録するにはログインが必要です

ログインすると「マイページ」機能がご利用できます。気になった記事を「お気に入り」登録できます。