記事のポイント
- 気候変動の専門家は「米政権の気候政策は人類にとってのリスク」と憂慮する
- 政権下で、組織的・戦略的な気候変動懐疑・否定論が跳梁跋扈するからだ
- 東大・江守教授は、組織的な気候変動懐疑・否定活動の背景と構造を概説した
東京大学・未来ビジョン研究センターの気候科学者・江守正多教授は12月2日、記者会見を開き、「米トランプ政権の気候政策は人類にとってのリスク」だと懸念を表明した。気候変動対策を大きく後退させる米トランプ政権下の中枢に横たわるのが、「気候変動懐疑論・否定論」だ。江守教授は、組織的・戦略的な気候変動懐疑・否定活動の背景・構造を概説し、「この組織的な動きの存在をメディアが報じずに放置することは、加担しているに等しい」と放った。(オルタナ輪番編集長=北村佳代子)

江守 正多(えもり・せいた)東京大学未来ビジョン研究センター教授
1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院総合文化研究科博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書主執筆者。
■トランプ政権下で気候変動懐疑・否定論が主流化
今年9月、トランプ大統領は国連総会での演説で、「気候変動は史上最大の詐欺」だと言い放った。そして、国連機関の「愚か者による」予測は「間違い」で、太陽光・風力などの再エネは「グリーンスキャンダル」だと付け加えた。
トランプ大統領は、気候変動政策や国連を中心とした多国間主義に完全に背を向ける態度を取る。政権発足早々、パリ協定から再離脱する大統領令にサインし、各種気候・環境規制の弱体化・廃止を進めてきた。
米海洋大気局(NOAA)・米航空宇宙局(NASA)・米エネルギー省(DOE)などの米連邦機関における気候関係の予算や人員を削減し、気候変動に懐疑的な人を要職に就けるなど、人事にもメスを入れ、監視を行ってきた。
米国政府が定期的に発行してきた「国家気候評価(NCA)」報告書も、「第1次政権のときにはトランプ大統領はその内容を『信じない』と言っていたが、第2次政権では、作ること自体を止めてしまった」(江守教授)
■「懐疑派オールスターズ」が政府見解を操る
2025年7月に米エネルギー省(DOE)が、気候変動の影響を過小評価する、科学を歪曲した異例の報告書を出したことはオルタナでも報じたとおりだ。
参考記事:「GHGは危険でない」: 米エネ省報告書をねじ曲げたトランプ政権
DOE報告書の主張は、「CO2などの温室効果ガスによって生じる人為的な影響は、一般に考えられているほど深刻ではない可能性がある」「米国の排出削減政策が地球規模の気候に与える直接的な影響は、検出不能もしくは非常に遅れて現れる可能性がある」というものだ。
江守教授は、この報告書の執筆陣クライメート・ワーキング・グループに目を向ける。
「諮問機関のようなグループということになっているが、それを構成する5人の専門家は全員、主流の気候科学に反対の立場を取ってきた、懐疑派オールスターズだ」(江守教授)

わずか5人の、気候変動に反対的立場の研究者のみで構成する
実際、公的な査読や透明性のある評価プロセスを経ていないこともあって、この報告書は科学者コミュニティから多くの批判を浴びた。報告書に自分の研究が引用された科学者らは「引用の仕方が間違っている」「偏っている」「適切に反映していない」と反論した。
多くの科学者・専門家が関与する非営利団体「憂慮する科学者同盟(UCS)」(本部・米国)らは、「こんな諮問機関を秘密裏に作って報告書を書くのは、透明性の欠如でおかしい。連邦諮問委員会法に反する」として訴訟を起こした。そして訴訟を受け、クライメート・ワーキング・グループ自体は解散した。

図は、トランプ政権のDOE報告書の全ページを並べたもので、「間違い」(赤)や「誤解を招く」(オレンジ)箇所があるページに色を付けた。
間違いや誤解を招く主張は100以上あると指摘する
© Carbon Brief
しかし、米連邦政府機関が10月から43日間にわたって一時閉鎖となった混乱で、訴訟自体も一時停止した。
江守教授は「DOEの報告書はまだ、無効だという話にはなっていない。報告書が生きているうちに、トランプ政権がこの報告書を使って、EPA(米国環境保護庁)の温室効果ガス排出規制を無効化しかねない」と警戒する。
■「懐疑論・否定論」は、「科学の対立ではない」
気候変動の懐疑論・否定論は、一見、科学的な見地の違いからくる対立に捉えられがちだ。
しかし江守教授は、「実際には専門的な科学に関する対立ではなく、政治・経済・文化の対立があたかも科学的な対立かのように装われて、社会に発信されている」として、1970~80年代のタバコ産業から始まった、科学に対する組織的・戦略的な「懐疑論・否定論」活動の系譜や構造を概説した。
タバコ産業は1970~80年代、「不確実性」を利用して規制を遅延する戦略を取った。「つまり、タバコの吸い過ぎや副流煙で健康被害が増えるのではないかという疫学的データが出てきたときに、『まだ不確実だから規制するのは時期尚早』と専門家に言わせた。ここが、懐疑論・否定論の組織的・戦略的な活動の始まりだ」(江守教授)
懐疑論・否定論の肝となる戦術は、「科学的な確実性の欠如を議論の主要な争点にし続けて、政策決定の遅延と規制の回避を狙う」ものだという。
米科学哲学者ナオミ・オレスケス氏の著書『世界を騙しつづける科学者たち(原題:Merchants of Doubt=疑いの商人)』は、タバコだけでなく、化学物質、オゾン層破壊などでも、この戦略が取られてきたことを詳述する。
そして、「1990年代に入って、化石燃料産業が気候変動問題でも同じことをやるようになった」(江守教授)
■懐疑論・否定論のエコシステムが明らかに
江守教授は、「この動きが、保守系シンクタンク、政治勢力、PR会社がつながる組織的な活動に発展し、右派メディアも含めた気候変動否定論のハブができた。それが今、米国社会が保守とリベラルとで分断される中、『気候変動』も『銃規制』や『妊娠中絶』と同じように分断のテーマの一つとなり、文化戦争化する構図へと拡大した」と話す。
また資金源である産業界、理論・情報の中枢であるシンクタンク、政策化する政治家、拡散するメディアが連携する「否定論のエコシステム」が存在していることについては、さまざまな文書やメモがリークされているほか、論文や報告書も出ている。
最近では、スイスに拠点を置く「情報環境の健全性に関する国際的科学者組織(IPIE)」が2025年6月に『気候科学に関する情報の健全性』を公表した。憂慮する科学者同盟も『気候欺瞞の文書集』を2015年9月に出している。
気候変動に関する誤情報や科学的根拠のない主張を暴き調査報道を行うジャーナリズム組織・デスモグ(DeSmog)の「偽情報データベース」は、「気候変動懐疑論・否定論」に携わる機関や個人を、その言説や否定論エコシステムとのつながりとともに固有名詞で掲載する。
気候変動懐疑論・否定論の構造を分析した論文の一つは、長期・中期・短期のタイムフレームで、さまざまな組織的活動を戦略的に行っていることを示す。
長期的な活動は、例えば、学校教育において、「化石燃料は大事だ」という価値観をしみこませる教材を作って普及するというものだ。一方、短期では、個々の選挙や法律の審議に関係してさまざまなロビー活動を展開し、その中で、保守系シンクタンク、PR会社、コンサルタントがネットワークを作って動いていると分析する。
■エクソンモービルとコーク財団が主要な資金源
「気候変動懐疑論・否定論の活動は、化石燃料産業・保守的シンクタンク・保守系メディア等のネットワークにより戦略的・組織的に展開され、規制の妨害や遅延を目的に社会に気候科学・政策への『疑いの種』を蒔くことを長年行ってきた」と江守教授は解説する。
この懐疑論・否定論のネットワークを強化・統合する存在として、石油メジャーのエクソンモービル社と、豊富な資金力で共和党内に多大な影響力を持つ米コーク財団が、強力な資金源となっていることが明らかになった。このことを明らかにしたファレル氏の論文は、科学誌『Nature Climate Change』が掲載し、非常に高い評価を得ている。
エクソンモービルやコーク財団から資金を受け、気候変動懐疑論の中核を担ってきたのが、保守系シンクタンクのヘリテージ財団、ハートランド研究所、企業競争研究所(CEI)などだ。
そして、ヘリテージ財団が主導し、2024年の米大統領選に向けて作成したのが、トランプ政権復活に向けた青写真の政権移行計画「プロジェクト2025」だ。ハートランド研究所やCEIと関係する人物も執筆者として加わっている。
「プロジェクト2025」では、気候変動懐疑論・否定論の「長年の夢」が記載されており、第2次トランプ政権はこの「プロジェクト2025」を忠実に実現することで、「気候変動懐疑論・否定論を政権内で主流化させ、彼らの夢を大々的に実現させている。米連邦政府が気候変動の科学や政策を全力で妨害し、その影響は世界にも波及している」(江守教授)
■一部の産業界の利害を色濃く反映した政策が人類を危険にさらす
米政権で気候変動懐疑論・否定論が主流化すると、世界への影響は計り知れない。
科学の面では、これまで衛星観測やデータベースなどの国際インフラで米国が担ってきた部分が大きいだけに、「これが止められてしまったら、世界の気候科学インフラに空白が生じるリスクとなる。データギャップができることでの科学的損失は非常に大きい。また、間接的には科学不信が世界に広がりかねない」(江守教授)
「政策面では、国際合意の実効性の低下や資金拠出の停止といった影響があるほか、民主党政権のときに米国が発揮していたCOP(国連気候変動枠組条約)などでのリーダーシップもすでに失われている。また間接的には、他国が脱炭素を後退したいと思った時にそれを正当化する口実を与えかねない」(同)
「経済面では世界のクリーンエネルギー投資潮流にブレーキをかけている。これも脱炭素投資を後退したいと思う企業にそれを正当化するような口実を与えているという間接的な効果がある。グローバルな気候協力のナラティブ自体が崩れて、協調より分断が進んでいく恐れがあり、非常に深刻な状況があると認識している」(同)
そして、「一部の産業界の利害を色濃く反映した政策が、米国社会に構造的変化をもたらしている。気候変動対策の文脈で言えば、人類の運命にも影響を与えようとしているという非常に深刻なことが起きている」と警告した。
「組織的な気候変動懐疑論・否定論活動が存在することを明示的に社会の中で認識を共有し警戒してほしい。これはメディアの責任だと思う。この問題を報じないということは、これを放置することでこの状況を進めることに加担しているのと同義だ」と力を込めた。



