「3・11」が今年も間もなくやって来る。あれから9年。家はもちろん、親や子、思い出までも津波に奪い取られた被災地は今なお復興途上にある。彼の地はすべてを失い、夢も希望もないのか。そんなはずはない、きっと何か残っているはずだ。悲嘆の淵から生み出されたものがあるに違いない。そんなことを考えていたら、興味深い話が飛び込んできた。
バスなど公共交通機関に見放された過疎地で車を共同利用するコミュニティ・カーシェアリングが全国各地に広がりつつあるが、その推進母体が宮城県・石巻にある一般社団法人 日本カーシェアリング協会という東日本大震災を機に生まれた団体だというのだ。
名前だけ見ると業界団体みたいだが、兵庫県姫路市出身の社会活動家、吉澤武彦さん(41)が震災直後にひとりで立ち上げた小さな団体である。当初、原発被害のあった福島県で子どもの疎開を支援していたが、阪神・淡路大震災で支援の経験がある情報通の元・神戸元気村代表、故山田和尚さんからこう声をかけられた。「みんな車で困っているよ。カーシェアリングやってみたらどうや」。
「車を流された人が多かったし、仮設住宅が不便な場所に建てられて皆困っていたのを知っていたので、それはいいアイデアだなと」と吉澤さん。「仮設は抽選入居なので周りは知らない人ばかり。高齢化が進む中で孤立化し、誰もが人と交流する気力もなえているような状態だった」。
震災後半年で、独特のカーシェアリングを導入した。仕組みは簡単だ。車の寄付を募った。買い替えで古い車の処分を考えている人や運転免許返上でマイカーが不要になった人や、企業が寄付してくれた。車を共同利用したい人はいっぱいいたが、免許を持っていない人もおり、そういう人の送迎をボランティアの運転手が担当した。車がお互いを支え合う地域づくりのツールになった。そういう意味合いから活動を「コミュニティ・カーシェアリング」と呼ぶようになった。
支え合いの活動は多岐にわたる。おちゃっこ(茶話会)、日帰り旅行、乗り合いで買い物、通院など外出支援、地域活動への支援といった具合である。しかも、ルールと役割を決め、運営は自分たちで自主的に担っているというから驚く。燃料代や駐車場代など経費は車利用の際に徴収する預り金(原則5㌔につき500円)で平等に賄う。
利用者は「移動で本当に助かるだけでなく、仲のいい知り合いが増えた」「地域の活動に参加しやすくなった」と好評である。