記事のポイント
- 2026年1月に国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)が発効する
- 公海をめぐる従来の「自由の海」という思想が、「責任の海」へと転換する
- 科学的知見に基づき、国家だけでなく企業などの多主体で支えていく必要がある
2026年1月17日に、国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)が発効する。これにより、従来「自由の海」という思想でアプローチしていた公海のガバナンスが、「責任の海」へと転換する契機となりうる。国家の管轄権外にある公海について、国際社会が多主体で支える仕組みに踏み出したことは、大きな意味がある。(サステナブル経営アドバイザー=足立直樹)

いよいよ12月に入りました。2026年もさまざまな重要イベントが控えています。なかでも注目したいのは、1月17日にBBNJ協定(国連公海等生物多様性協定)が発効することです。日本ではほとんど話題になっていませんが、これは国際社会のガバナンスのあり方が大きく変わる転換点になる可能性を秘めています。
■公海という「共有地」
私たちは、「海」と聞くと、沿岸国が管理しているものとイメージしがちです。しかし実際には、地球の海洋約3.6億平方キロメートルの6割以上が、どの国の管轄にも属さない公海なのです。
つまり、地球の広大な海の半分以上は「国家の外側」にあり、誰も所有していません。誰のものでもない。だから誰も責任をもって管理しない。そこに「共有地の悲劇」が生じる構造的な要因があります。
■公海条約の原点は「自由の海」という思想
公海をめぐる国際ルールは、新しいものではありません。
1609年にグロティウスが『自由海論(Mare Liberum)』で唱えた思想に始まり、1982年の国連海洋法条約(UNCLOS)まで、公海は「自由の海」として扱われてきました。
航行、上空飛行、漁獲、科学調査、海底ケーブル敷設など、多くの行為が自由とされ、そのルールは、自由を保証するためのものだったのです。
この思想は海運や貿易の発展に貢献した一方で、資源の乱獲、海洋汚染、遺伝資源の先取り競争といった問題を深刻化させました。海は広大で人目につきにくいため、陸よりもはるかに「共有地の悲劇」が加速しやすいのです。
■「自由の海」から「責任の海」へ
2025年9月20日、BBNJ協定は発効に必要な60カ国の批准を達成し、2026年1月17日の発効が決まりました。この協定は、数百年続いた「自由の海」の思想を大きく転換するものです。
主な内容は次の3つです。
1. 公海に海洋保護区(MPA)を設ける仕組みが動き出す。
国家の外側に「保護区」を設ける発想は、今回が初めてです。
2. 海洋遺伝資源(MGR)のアクセスと利益配分の制度化。
これまで先進国中心で行われていた「先取り競争」から、公正な利益配分へと舵が切られます。
3. 公海・深海底での開発に環境影響評価(EIA)が義務化。
海底ケーブル、深海採掘、海洋エネルギーなどの活動に対し、事前の環境評価が必須になります。
これらはすべて、「自由の海」から「責任の海」へという歴史的転換を意味します。地球規模の自然資本への向き合い方が、いま大きく変わりつつあるのです。もちろん企業活動もその影響を受けます。
■「国家の外側」をどうガバナンスするか
BBNJとは、「marine Biodiversity Beyond National Jurisdiction(国家管轄権外の海の生物多様性)」の略称です。
生物多様性条約は「国家が管轄権を行使できる領域」だけを対象としており、公海はカバーしていません。
公海や深海底のように国家権限が及ばない場所をどう管理するのか。そこに世界のガバナンスの新しい課題があり、BBNJという名称はその核心を象徴しています。
国家の外側にある海は、人類共通の基盤です。そこで国際社会が「自分たちでルールを作る」方向へと一歩踏み出したことは、非常に大きな意味を持っています。
また、BBNJの枠組みは国家間の交渉に基づくものですが、その内容の多くはIUCN(国際自然保護連合)をはじめとする科学者・専門家コミュニティ、市民社会が長年提案してきた原則に支えられています。
海洋保護区、生態系アプローチ、遺伝資源の利益配分、環境影響評価など、BBNJに盛り込まれた考え方には、IUCNが積み重ねてきた議論が色濃く反映されています。
■IUCNの「モーション035」が示す「次の方向性」
2025年10月にアブダビで開催されたIUCN世界自然保護会議(WCC)は、「モーション(動議)035」を採択しました。これは、海洋の中深度層(200~1000m)への活動に予防的アプローチを適用することを求めるものです。
この中深度層は、地球上の魚類バイオマスの最大90%が生息すると推定され、毎晩起こる生物の垂直移動によって2~6ギガトンもの炭素を深海へ輸送する、生態系・炭素循環の要となる領域です。
しかし、商業漁業、深海採鉱、ジオエンジニアリングなどの対象として今後は「資源の争奪戦」が起きると予測されています。
IUCNは、科学的知見が整い、適切な管理措置が確立されるまで、これらの活動に慎重な対応を求める強いメッセージを発しました。
法的拘束力こそありませんが、IUCNのモーションはしばしば国際交渉に影響を与えます。従って、BBNJが「枠組みの箱」を整え、モーション035が「中身の方向性」を示したとも言えるでしょう。
■ガバナンスは、国家が作るだけのものから、多主体で支えるものへ
制度という枠組みは国家間の交渉で作られます。
しかし、それを現場で機能させ、透明性や実効性を高めていくのは国家だけではありません。企業や市民社会、科学者コミュニティがそれぞれの立場から関わることで、ガバナンスは初めて形になります。
BBNJの実行段階では、国家の枠組みを待つだけではなく、企業自身がその理念をどのように具体化していくかが問われます。日本企業は規制の「受け手」ではなく、これからの海洋ガバナンスを先取りして実行する主体として、透明性、環境リスク管理、公正な資源利用といった原則を自主的に取り込んでいく必要があります。
日本はまだBBNJの批准には至っていませんが、実務的な準備は始まっています。環境省は公海・深海域での活動を念頭に置いた環境影響評価(EIA)ガイドラインを公表し、国内事業者が国際基準に適応できるよう下地づくりを進めています。
■たった一つしかない共有財産をどう守るか
公海は私たちの目に触れにくい存在ですが、暮らしと経済を根底から支える「巨大な共有地」です。大きいから大丈夫なのではなく、むしろ大きいからこそ丁寧に扱う必要があります。
来年1月に発効するBBNJは、この海をどう守り、どう利用するかという、人類の未来に関わる大きな選択の始まりです。たった一つしかない地球。この共有財産(コモンズ)をどうガバナンスするのか。
その知恵がまた一つ育まれた今、海の向こうに広がる未来を思い描きながら、私たちも歩みを速めていきたいですね。
※この記事は、株式会社レスポンスアビリティのメールマガジン「サステナブル経営通信」(サス経)529(2025年12月5日発行)をオルタナ編集部にて一部編集したものです。過去の「サス経」はこちらから、執筆者の思いをまとめたnote「最初のひとしずく」はこちらからお読みいただけます。



