「ネイチャーポジティブ」をどう社会実装できるのか

記事のポイント


  1. 「ネイチャーポジティブ」は、最強の環境ワードだ
  2. 生物多様性の損失を食い止める回復へと向かわせることを意味する
  3. それをどのように社会実装すれば良いのだろうか

■小林光のエコ眼鏡(51)

「ネイチャーポジティブ(自然再興)」という考え方は、最強の環境ワードだ。これまで続いてきた生物多様性の損失の流れを食い止めるだけでなく、それを反転させ、回復へと向かわせることを意味する。だが、それをどのように社会実装すれば良いのだろうか。(東大先端科学技術研究センター研究顧問・小林光)

「ネイチャーポジティブ」という言葉が広がった契機は、2022年に開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)である。第2部で採択された2050年ビジョン「自然と共生する世界」の実現に向け、その中間目標として2030年のミッションと具体的なターゲットが示された。

愛知で2010年に開かれた同条約の第10回締約国会議(COP10)は、20年を目途にした「愛知目標」を定めたが、30年目標はその後を引き継ぐものだ。

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1代前の愛知目標は、20の目標からなっていて、取るべき行動やその成果に関するいわば構造的に整理された目標体系だ。

全体としては定性的であるが、定量的なものとして、例えば、生物種の自然生息の喪失スピードをかつての半減ないし可能であればゼロにする――といった目標が掲げられていた。悪化を押しとどめるための段取りを社会の各方面にしっかり組み込むこと、いわゆる「主流化」が、その狙いだった。

これに対し、第15回締約国会議で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組み」での30年のグローバルターゲットは、多様性の増加の方へ舵を切るとのミッションの下、かなり計数的で具体的である。

象徴的なのが、30by30(サーティ・バイ・サーティ)目標で、生物多様性が保全される空間を同年までに国土の30%にすることが掲げられている。

■なぜネイチャーポジティブが最強の環境ワードなのか

私が、このネイチャーポジティブを最強の環境ワードと受け止めている理由は、その計数的な性格ではなく、むしろその哲学にある。2点を指摘したい。

1つは、その達成に動員される取り組みは、単に自然の分野のものだけでなく、公害対策から地球温暖化対策、そしてサーキュラーエコノミーの実現といった環境分野の政策全部を傘下に収めている。

この意味で、生物多様性の確保は、諸環境対策を束ねる政策体系の頂点に位置づけられるものだと整理・宣言された。

2つ目は、愛知目標と共通するが、ネイチャーポジティブの先にある2050年の究極目標を、「地球生態系と共生する人間界をつくることだ」と端的に言い切っている点だ。斬新さと明快さが際立っている。

■「ミライハビタット」の狙い

ネイチャーポジティブの考え方を高く評価していた論者に、その考えを社会実装するための自分なりの試案を示せる機会が巡ってきた。

それは、東京大学の社会連携部門である「サステイナブル未来社会創造プラットフォーム」で、産学および地方自治体の知見を結集した議論の中で、2050年の「あってほしい」国土や社会の姿を描こうとする事業である。同プラットフォームは、大学外の主体が出資し、人材も参画する形で調査研究を行う事業部門の一つである。

『ミライハビタット-2050の生活圏』(学芸出版社)

このほど、その成果の一端が『ミライハビタット-2050の生活圏』(学芸出版社)として上梓された。

この本のポイントは、2つある。

方法的には、フォアキャスティングのように、制約に縛られた展望しか示せない単なる現状延長の未来と付随する警告ではない。かといって、道筋は後で考えるとするような、あっけらかんとしたバックキャステイングでもない。

変えられそうな制約条件を適切なものに変えることを提案しつつ、実現可能な中でも「あらまほしき未来」を描くことである。

言い換えれば、こうした未来社会は、設計のあり方次第で実現可能であるという、現代に生きる私たちへのエールともなっている。

もう一つのポイントは、未来社会の姿を、人や生物が生きる国土空間に実装する形で描いたことである。

近隣街区、都市、圏域のスケールといった基本的な縮尺の違いで見えてくるものをそれぞれに整理し提示した。さらに、災害・防災に加え、文化や芸術、スポーツといった抽象的な領域で生起する問題にもアプローチしている。

この空間的な意味での実装というのがポイントの2つ目であり、これが題名にあるハビタットという用語が使われた所以である。

執筆の母体となったのは、「サステイナブル未来社会創造プラットフォーム」だ。実際の執筆は、そこに参加する東大工学系大学院都市工学科の研究者と企業の方である。

■自然再興の章で訴えたこと

こうした中、論者は、自然再興の章を担当した。生物が生きる空間と人間が生きる空間とを、大きな目では人間界が生態系に包摂される方向で再組織する方向で折り合いをつけていくことを提案し、その具体的な姿を描いてみた。

都会には可能な限り自然的要素を取り入れ、小さくてもできるだけ生態系らしい生態系が作れるような設計をした自然を持ち込むことを訴えている。

例えば、これからの都市としては、スカイスクレーパーが林立し、足元に公園があるタイプではなく、ビル斜面まで緑化した緑の丘が連なるような景観になることを展望した。

しかし、都会だけを操作しても、人間界は、生態系に包摂されるわけでは到底ない。論者の力点を置いたのは、田園地帯・中山間地域といった二次的自然の地域においてこそ、人間が、エネルギー的に物的にも生態系に迷惑を掛けない暮らしと生業を営むことができるとの提案である。

情報技術のお陰で、今や都会と田舎の格差は相当に縮まってきた。交通弱者を産まない移動の自動化、教育機会選択の拡大などがあれば、二次的自然の地域こそ、人間が楽しく暮らせる場所ではないだろうか。

「ネイチャーポジティブへの道筋をもっと具体的に提案したい」。この本を出版した後、学芸出版社の担当編集者から提案があった。ネイチャーポジティブを実現するためのガイドブックはできないか、ということであった。

確かに、理念だけあっても、その実現には、技術的な要素、組織的・制度的な要素、資金的な要素が必要であり、その適切な組み合わせが求められる。例えば、各地の事例を、そうした観点で調べて整理し、実践編を作っていくことが必要だし、有益だろう。

そこで、環境省の現役の行政官の個人的なご助力も得て、こうした実践編を作ることとした。乞うご期待である。

hikaru

小林 光(東大先端科学技術研究センター研究顧問)

1949年、東京生まれ。73年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、環境庁入庁。環境管理局長、地球環境局長、事務次官を歴任し、2011年退官。以降、慶應SFCや東大駒場、米国ノースセントラル・カレッジなどで教鞭を執る。社会人として、東大都市工学科修了、工学博士。上場企業の社外取締役やエコ賃貸施主として経営にも携わる

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