記事のポイント
- 朝日新聞デザイン部の野口哲平さんは、聴覚障害があるデザイナーだ
- 災害報道や社会特集を通じて、「見て理解できるニュース」を届ける
- 社内アクセシビリティ勉強会を主導し、組織文化の変革にも取り組んでいる
朝日新聞社編集局デザイン部で働く野口哲平さんは、三重県出身で、生まれつき聴覚に障害がある。それでも、新聞という「言葉の世界」で、「見える伝え方」を追い続けている。災害報道や社会特集を通じて、読者が「見て理解できるニュース」を届けるデザイナーだ。社内ではアクセシビリティ勉強会を主催し、職場文化を変えた中心人物でもある。彼が語るのは、支援される側ではなく、「共に伝える側」としての当事者の姿だった。(聞き手=NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長・伊藤芳浩)
■大学で学んだ「情報を翻訳する」デザイン

「音のない世界は、静かではありません。視線、光、空気の動き──それらが全部、私にとっての『音』でした」と野口さんは語る。
幼いころから、周囲の反応を「目」で読むことに慣れていた。話している人の口の形、頷きの速度、表情の変化。そうした非言語の情報を、誰よりも敏感に感じ取っていた。
「聞こえないことが、自然だった。だからこそ、見る力が磨かれたのだと思います」(野口さん)
彼は子どものころから絵を描くのが好きで、「見えないものを形にする」ことに惹かれた。音楽を聞けない代わりに、線や色で「リズム」を描いた。「聞こえない世界にも、流れや強弱はある。デザインでそれを表現できたら、きっと誰かに届くと思ったんです」(同)。
野口さんは、愛知県にある芸術系大学に進学し、デザインを専攻。1、2年生の時はグラフィックからプロダクト、映像デザイン、建築デザインまで幅広く学んだ。3年生の時にグラフィックデザインを主な専攻に決めた。
「インテリアも好きだし、素敵な建築がデザインできたら格好いいなぁという憧れはありましたが、1・2級建築士の資格が必要だったりで、敷居が高いイメージでした。視覚伝達デザインは学生の頃にポスター制作とか経験していたのでしっくりきたというか、それしか選択肢がなかったのです」(同)
卒業制作では、聴覚障害がある自分でしか制作できないポスターを作った。
「『僕は目で聞いている』『唇の形を読んで言葉を理解している』など、一般人では作れないキャッチコピーから連想してビジュアルを制作しました。聞こえない人にも『体で音を感じる』デザインができると知り、デザインの可能性に一気に惹かれました」(同)
■就職氷河期を経て、朝日新聞へ
就職活動で、野口さんが惹かれたのは意外にも新聞社だった。「新聞は『読むメディア』であり、文字情報の象徴。聞こえない自分が、そこに関わるのは場違いだと思っていました。でも同時に、『だからこそ挑戦してみたい』と感じたんです」(同)。
しかし、現実は厳しかった。就職氷河期の最中、多くの会社から断られ続けた。「どこも内定をもらえない状態でした。会社を選べるような余裕はなかった」(同)。
それでも朝日新聞を志望したのは、先輩や教授から「障害者に理解がある」と聞いたからだった。加えて、東京は「憧れの場所」でもあった。そして何より、「日本語が苦手だからこそ、毎日文章に触れることで自然に学べるのではないか」という前向きな気持ちがあった。
「聴覚障害者の多くは日本語が苦手です。私もそうです。でも、新聞社なら毎日、日本語のシャワーを浴びるように読んだり書いたりする機会がある。だから、コツコツと地味に努力するのが苦手な自分でも、仕事を通じて自然に日本語に強くなれるのではないか。そう考えたんです」(同)
実は、野口さんの入社以前にも、朝日新聞には聴覚障害があるデザイナーがいた。「優秀なデザイナーだったと聞いています。彼女の存在が、自分の道を照らしてくれました」(同)。
野口さんは2018年、朝日新聞社に入社。編集局デザイン部に配属された。最初の数か月は、会議のスピードについていけず苦労した。「話のテンポが速く、誰が何を言っているのか分からないことが多かったのです。でも同僚たちは『どうすれば伝わるか』を一緒に考えてくれました」(同)
上司で編集局デザイン部長の倉重奈苗さんは、彼の入社をこう振り返る。
「野口さんが来たことで、私たち自身が『伝えること』を学び直しました。業務のやりとりでは、用紙に文字を書きながら唇の動きを意識して話すようになり、図で説明する文化が根づきました」
■デザインは「翻訳」であり、理解のプロセス
野口さんの仕事は、記事内容をわかりやすく伝えるための、グラフやイラスト、図解、連載ロゴなどの製作。つまり新聞記事を視覚的に「翻訳」することだ。
「デザインは飾りではなく、翻訳です。複雑な記事の構造を整理して、読者が直感的に理解できるようにする。言葉を『見える形』に変えることが、自分の役割だと思っています」(野口さん)
しかし、その「翻訳」に至るまでには、綿密なプロセスがある。デザイン部には、社会部、政治部、経済部、スポーツ部など、あらゆる部署から仕事が舞い込む。当然、野口さんがすべての分野に精通しているわけではない。初めて聞く専門用語や、難解な経済・政治の話も少なくない。
「そういうときは、まず記者が書いた原稿を読みます。それを読んで、自分なりに理解しようとします」(同)
それでもわからなければ、インターネットで調べる。それでも理解できなければ、同じ部の同僚や上司に相談する。大きなプロジェクトのときは、会議室を借りて記者と対面で話すこともある。
「そのときは事前に、『聞こえないので資料を用意してください』とお願いします。でも、忙しいから資料がないこともある。会議では『ゆっくり話してください』と伝えるんですが、話が盛り上がると、気づいたら普通のスピードになっていて、途中でわからなくなることもあります」(同)
そんなとき、デスクが一緒に会議に同席し、後で内容を確認してくれる。「デスクが通訳のような役割をしてくれることもあります。とても助かっています」(同)。
社会面の特集では、被災地の復興過程を「時間の流れ」として可視化。「データの線の一本一本に、人の暮らしや想いを込めたい。単なるグラフではなく、『生きた時間』として読者に届くように意識しました」(同)
また、政治や経済の記事でも、数字や関係性を人間の動きに置き換える。「誰が、何を、どう動かしたか。人間のストーリーとして見えると、読者の理解は格段に深まります」(同)。
記者が描いたラフスケッチを、野口さんが整理し、デザインし直す。「記者はデザインの専門家ではないので、わかりにくいこともあります。でも記事を理解した上で絵にすると、読者が絵を見るだけでニュースの理解がより深まる。そういうとき、デザインの仕事に携わってよかったと思います」(野口さん)

■情報を視覚的に届ける「デザインの責任」
野口さんは、聴覚障害がある当事者として、情報を視覚的に届けることの重要性を常に意識している。
「社内のルールやマニュアルにもあるように、視覚障害者(主に色覚障害のある方)に配慮し、カラーユニバーサルデザインの原則に沿ったデザインを心がけています。例えば、赤と緑、青と紫のような見分けにくい配色は避け、明度差や形・パターンなど、色以外の要素でも区別がつくよう工夫しています」(野口さん)
最近では、グループ会社のアルファサードが「やさしい日本語」を使った情報保障に力を入れており、野口さんも間接的に関わっている。「すべての人にとって『伝わる』ことを第一に考え、視覚からの情報伝達に取り組んでいます」(同)。
野口さんの聴覚障害という経験は、デザインの仕事に独自の視点をもたらしている。
「学生時代は教科書など限られた情報の中で理解するしかなく、常に情報不足と戦っていました。今の仕事でも、テレビやラジオのスピードについていけないため、記者の記事を読んで内容の本質を自分なりに捉え、グラフィックに落とし込むよう心がけています」(同)
ただし、内容が専門的で難しいテーマだと、理解が浅くなってしまい、グラフィックの伝達力が下がってしまうこともある。
「そういう時は担当デスクと話し合い、共同で制作を進めるようにしています。なるべく『コミュニケーションをとること』が、記事の本質を伝えるために重要だと実感しています」(同)
■チームが「インクルーシブな現場」に
デザイン部は、日々締め切りに追われる緊張感のある職場だ。それでも、野口さんが加わってから、チームの雰囲気は少しずつ変わった。上司の倉重奈苗さんは語る。
「野口さんがいることで、会議や共有のスタイルが変わりました。話すだけでなく、『見せる』『書く』という方法が自然と増えた。それが結果的に、チーム全体の理解を深めているんです」

倉重さんは、野口さんの強みをこう評価する。「彼はとにかくコミュニケーション能力が高い。後輩や同僚を積極的にランチに誘って、職場の潤滑油になってくれています。それは、障害の有無とは関係ありません」。
「私は野口さんに対しても、他の社員と分け隔てなく、プロとしての基準で接しています。業務に不備があれば、ためらわずに指摘します。厳しい姿勢と受け取られるかもしれませんが、それは彼の能力と将来への期待があるからこそです。この厳しさが、部下への愛情として届いているといいかな、と」(倉重さん)
野口さんには、外部に豊富な人脈がある。聴覚障害者のネットワークを通じて、さまざまな友人とつながっている。倉重さんは、その輪に自分も加えてもらうことがあるという。
「彼の友達と一緒に食事をしたことがあります。聴覚障害がある人もいました。彼の世界を知りたいと思ったんです。デザイン部以外の世界を知ることで、私自身も成長できる気がします」(倉重さん)
野口さんの同僚も「野口さんの視点は、『情報の届き方』を常に意識させてくれます。自分たちが当たり前だと思っていた表現が、必ずしも『誰にでも伝わる』とは限らないと気づきました」と話します。
野口さんもまた、仲間に支えられながら自分の役割を再定義していった。「最初は『配慮される立場』でした。でも今は、『伝える仕組みを一緒に作る側』になれたと思います」。
■社内アクセシビリティ勉強会で当事者が伝える
そんな野口さんが主導したのが、社内の「アクセシビリティ勉強会」だった。テーマは「聞こえない人にとっての情報体験」。編集部、技術部、広報、広告部など、約70人が集まった。
「『聞こえない不便さ』ではなく、『見える情報の可能性』を伝えたかったんです。字幕をつけること、口の動きを見せること。それは思いやりではなく、『技術』だと思っています」(野口さん)
倉重さんは「野口さんの話を聞いて、アクセシビリティが特別な取り組みではなく、『全員が持つべき視点』だと理解できました」と話す。
その後、社内に講演動画が共有され、各部署で自主的な勉強会が始まった。編集現場だけでなく、人事や採用チームでも「情報の届き方」を見直す動きが広がっている。
朝日新聞では2年前から、ERG(従業員リソースグループ)という取り組みが始まっている。従業員が自らの関心やアイデンティティに基づいて自主的に活動する組織で、障害者、LGBTQ、女性、育児といった多様なテーマのグループが存在する。その中の1つの障害者ERGで、勉強会を行った。
「勉強会を『1回きり』で終わらせたくなかった。継続的に、関係者や当事者が集まれる場が必要だと思ったんです」(野口さん)
その想いを社内ネットワークに投稿したところ、なんと社長から「ぜひやりましょう」とコメントがついた。「とても驚きました。でも、それだけ会社全体がアクセシビリティを真剣に考え始めているんだと感じました」(同)。
「合理的配慮」という言葉を、野口さんはあまり使わない。
「合理的配慮」とは、障害者が他の人と平等に権利を享受できるよう、個別の状況に応じて行う調整や変更のことで、2024年4月に改正障害者差別解消法が施行され、事業者にも障害者への「合理的配慮」の提供が義務化されている。
野口さんは「もちろん制度としては大事。でも、本質は『お互いが歩み寄ること』だと思います」と語る。会議ではチャットを併用し、資料には要約とビジュアルを加える。この手法は、障害の有無にかかわらず、すべての人にとって効率的なプロセスを実現した。
野口さんの同僚は「野口さんがいるから、私たちの仕事の精度が向上しました。『見せる文化』が根づいたおかげで、報告や議論の無駄を削減できています」と話す。
「支援される側ではなく、チームを支える側でいたい。自分がいることで、誰かが『伝えることの楽しさ』を感じてくれたら嬉しい」と野口さんは微笑む。
こうした野口さんの姿勢は、後輩に勇気を与えている。朝日新聞社の採用サイトの「先輩メッセージ」で、野口さんは「聞こえないからこそ、見えるものがある」と語っている。
若手社員の一人は「野口さんのように、自分の特性を活かして働く姿を見て、自信を持てました。『違い』が武器になることを教えてもらいました」と話す。
採用チームも「野口の存在は、『多様な人が働くことの価値』を示しています。アクセシビリティやインクルージョンの研修でも、彼の事例を紹介しています」と言う。
「もし自分の姿が誰かの『安心『になるなら、それはすごく嬉しい。でも僕は、『特別な人』ではなく、『普通に働く人』でありたいんです」。野口さんは笑った。
■聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」への挑戦
聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」が2025年11月に東京で開催される。日本で初めての開催だ。朝日新聞は「トータルサポートメンバー」として同大会を協賛している。
野口さんは、デフリンピックの報道デザインに関わる予定だ。
「オリンピック期間中のように、一面に『金メダル何個』『銀メダル何個』という表を載せたいんです。デフリンピックでも同じように扱うことで、認知度を高め、多くの人の記憶に残るデザインにしたいと思っています」(野口さん)
野口さんは、デフリンピックを取材する記者のサポートもしている。
社会部の斉藤寛子記者(当時)(現:ブランド企画部)は、以前トルコで開催されたサムスンデフリンピック2017に単独で取材に赴き、手話を一生懸命覚えて選手たちと交流したという。
「斉藤さんの手話はうまいです。本当にすごいなと思いました」(野口さん)
しかし、どの記者も手話ができるとは限らない。この11月に開かれる東京大会の取材を巡っては、取材を予定しているスポーツ部の記者から次のような相談を受けた。
「自分が手話ができないために、口話ができる聴覚障害者にばかり取材してしまうと公平性に欠けるのではないかと。どうすればいいか悩んでいる、という相談でした」(同)
野口さんは、記者が手話を使う選手を取材できるよう、会社が手話通訳の費用を出してくれることを期待しているが、予算の関係で難しい面もある。「それでも、できる範囲で手話通訳を連れて行ってもらい、すべての選手に公平に取材してほしいと伝えています」。
アクセシビリティが、「特別な配慮」から「当たり前の報道」へ。デフリンピックは、その転換点になるかもしれない。
■「誰にとってもわかりやすい報道」へ
デザインの仕事は、単なる図版づくりではない。記事の背景を理解し、記者と議論し、時には構成の順序まで提案する。
「伝える相手を想像すること。それが一番大事です。聞こえる・聞こえないに関係なく、読者全員が『わかった』と思える瞬間を作りたい」(同)。野口さんの手がけた紙面には、共通する信念がある。それは、「ニュースを感じるものにする」ことだ。
「読むだけでなく、見ることで『何かを感じる』。たとえば、被災地の記事なら『人の流れ』や『空気の重さ』が見えるようにしたい」(野口さん)
野口さんは「ニュースは、届いてこそ意味がある。届かない情報は存在しないのと同じ」と語る。「聞こえない人にどう伝えるか」を考えることは、「誰にとっても伝わる社会」をつくることに繋がっている。その思想は、朝日新聞のデザイン部に確実に根づきつつある。
「『伝える』は、人と人の関係を作る行為。音がなくても、言葉がなくても、工夫すれば伝わる。それを証明するのが、自分の仕事です」(同)
野口さんの取り組みは、いま新たなフェーズに入ろうとしている。社内では、「やさしい日本語」や「伝えるウェブ」といった技術的支援が進みつつあるからだ。彼はそれを、「デザインの延長線上」として見ている。
「デザインは視覚の翻訳、やさしい日本語は言葉の翻訳。どちらも『伝わる努力』の一部です。見える工夫と言葉の工夫、両方が揃えば、もっと多くの人に届くはずです」(野口さん)
彼の目に映る未来は、「障害者のため」ではなく、「誰にとってもわかりやすい報道」。「伝えるとは、相手の世界に近づくこと。その積み重ねが、社会を変えていくんです」(同)。
次回の中編では、朝日新聞に「やさしい日本語」や「伝えるウェブ」を導入したアルファサード(大阪市)の野田純生さんに話を聞く。言葉のバリアをなくすテクノロジーが、野口さんの思想をどう支えているのかを探っていく。




