近江という国--「こころざし」の譜

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■雑誌オルタナ84号:フラッシュ・フィクション「こころざし」の譜(48)

ちょっとしたことをきっかけに、脈略いように見えたひとつの言葉と古い記憶が カチッと結びつくことがある。

私は大学でCSR(企業の社会的責任))や SDGs(持続可能な開発目標)の講義を受け持っている。ビジネスセクターの社会課題への関わりを研究しているのだ。

そんな私のもとへ友人の訃報が届いた。 中学校の同級生でKといった。私が大学進学で上京してからは地元の愛知県に残った彼とは疎遠になったが本当にいいヤツだった。 祭壇に飾られた遺影は日焼けしたさわやかな笑顔を見せている。若いころは野球が好きで甲子園を目指していた。

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奥さんにあいさつすると、「高校二年の夏に主人と琵琶湖一周の自転車旅行を決行したんですよね。そりゃあもう懐かしそうにいつもその話をしていましたわ」と涙をぬぐった。

挿絵:井上文香

私はすっかり忘れていた自転車旅行のことを記憶の淵から呼び覚ました。 そう、まだ暗い早朝に自転車で国道一号線を西へ西へとペダルを夢中でこぎ続けたのだ。 何かを求めて、あるいは何かから逃げるように。

あの時の情景が鮮やかに蘇ってくる。 Kは隣町の商業高校の野球部員、私は進学校で受験勉強に明け暮れる毎日だった。 どうしてそういう話になったのか。勉強ばかりでうらなり瓢箪の私がそんな無謀な計画を思いつくはずはない。おそらくKが私の体力強化のために提案したのではなかったか。

「受験生だからろくに運動もしていないだろう。ついて来られるか」と自信満々のKに「俺の自転車はドロップハンドルで変速ギア付きの最新型だぞ。お前なんかに負けるものか」と言い返した。

快調に木曽川を越え、桑名へ出たあたりで休憩をとった。長い坂が体力を奪い脚にきていた。おまけにひっきりなしに通る車の排気ガスにノドをやられ、ひどい痛みだ。

「思ったよりきついな。俺の負けだ」とぼやく私にKの顔が引き締まった。「おいおい、 まだ先は長いぞ。 ここからは421号線を行こう。 少し距離が短い」。

野球の練習で鍛えている輩にはとてもかなわなかった。私のスタミナは完全に切れ何度も休まざるを得なかった。必死にペダルをこいでもなかなか進まなかった。この日は大津のユースホステルを予約していたがたどり着けないかもしれない。

「おい、しっかりしろ」。Kが怒鳴るが身体が動かない。

「すまん。もうだめだ」

「弱音を吐くな、頑張るんだ」

ついに私は自転車を降り道端に倒れ込んでしまった。彼はロープを取り出し、「これでお前の自転車を引っ張るから少しでもこぐんだ」。

私は必死でペダルを踏もうとしたがもう限界だった。自転車から転げ落ち、情けなくて涙をこぼした。

「すまない。俺に構わず先に行ってくれ。頼む」

「馬鹿なことを言うな。それはできない」

Kも迫る夕闇の中で頭を抱えていたが、やがて力なくつぶやいた。

「これ以上は無理みたいだな。 大津は諦めてこの近くで泊まれるところを探そう」

どこでもいい。ホテルに泊まる金はないから公園のベンチでもいい。 自転車を転がしな がら通りを一本中へ入りそんなことを考えていたが、住宅街で家がびっしり並んでいる。 まるで闖入者を拒んでいるかの様で足が止まった。その時、道沿いに保育園があるのが目に入った。広い庭に滑り台があった。私はもう一歩も動けなかった。

「ここにしよう」と私は言った。

「ここ?」Kは怪訝そうな顔をした。

「ああ、庭で休ませてくれるよう頼んでみる」

自分のせいでこんなことになり責任を感じていた私は迷わず玄関のベルを押した。

「それが近江八幡市だったんですよね」。 喪服姿の奥さんが私を覗きこむ。 「主人がいつ もその街の話をしていましたから」。

そうか、あれは近江八幡の保育園だったのか。 玄関で事情を説明し、庭で休ませてもらえないかとお願いした。 図々しい頼みだったが、女性の園長が、今夜は雨予報だからと建物の中へと招じ入れてくれた。

私たちは園児が普段お遊戯や工作をする大部屋に泊めてもらえることになった。生真面目そうな娘さんも手伝って簡単な食事と毛布も出してくれた。 朝になると園児が登園してくるので出発は早くして、とだけ言われた。翌日、目覚めると娘さんから弁当を手渡された。

「でも、どうして見ず知らずの若者にそんなに親切にしてくれたのでしょうか。 夫はずっと不思議がっていましたわ」。 奥さんは遺影に目をやりながらしきりに小首を傾げた。

近江八幡という街の名前をもう一度、口に出してみる。滋賀県、 琵琶湖という昔の記憶から「近江」がくっきりとした輪郭をもって立ち上がってきた。そして私自身もずっと疑問に思っていた「なぜ」を現地で探ってみることにした。

大学の授業では近江商人のことをよく紹介している。いわゆる「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしの経営哲学である。企業というものはみずからの利益だけを求めるべきではなく社会のために貢献することが大事というCSRの原点みたいな考え方なのである。

一五七九年、織田信長は安土に城を築くが本能寺の変で亡くなる。豊臣秀吉の甥,豊臣秀次が八幡山に城を築き、安土の城下町の商人を移り住まわせた。それで近江商人文化が今の近江八幡で花開いたのだという。秀次の切腹に伴う八幡城の廃城で彼ら商人は蚊帳や畳表を担いで全国へ行商の旅に出ざるをえなくなる。各地に支店を建設する新たなビジネスモデルをつくりあげる。そこで生まれたのが思いやりの「三方よし」である。

旧西川庄六宅、森吾郎兵衛宅など近江商人の歴史と伝統を継ぐ街並みは近江八幡駅近くの新町周辺に保存されている。 あの保育園は探しても見つからなかったが、困っている私たちを迎え入れてくれた園長さん一家こそ今注目される「三方よし」の近江という国の温かい心の継承者だったのだと思い知るのであった。

(完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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キーワード: #オルタナ84号

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