『遅刻してくれてありがとう』(日本経済新報社)という本の著者、トーマス・フリードマンは、「今、すべてが加速している」と言っています。地球温暖化の加速。デジタルによるグローバル化の加速。そして半導体の進化によるコンピュータ処理能力の加速。この3つの加速がさらに加速化されることによって、古く、ゆっくりしたものがかつてないほど大切になってくると彼は力説しています。
ヒトはバランスをとるものです。大きくどちらかに寄ると、その反対側への揺り戻しが必要になります。デジタル化が進むほど、生活のどこかでアナログの要素を求めます。何かが急速に進むのならば、暮らしの中にゆっくりと過ごす何かが必要になります。
人工的なものの密度が高まれば高まるほど日々の活動の中で自然なものを探します。人の心にゆとりをもたらし、ゆっくりとした時の流れを感じながらリラックスした空間を作り出すものが必要とされています。
人工的なものに囲まれていると何故か落ち着かない。自然なものに包まれていると、心安らぐ気がする。
当たり前のことなのですが、そして誰でもそう思うことなのに、私たちの身の回りから、自然なものが日々減って行き、人工的なものが増えて行きます。心の底から湧いてくる呟きに少しの間でも耳を傾ければ、本当は何を望んでいるのかはっきりとしているはずなのに、何故か逆方向のベクトルばかりが働くようです。
そのベクトルのことを経済活動と呼んでいるのでしょうか。
人工的なものばかりではなく、私たちの空間にはそれこそ無数の電波、電磁波が行きかっています。それらがもたらす情報によってとてつもない知識の泉を手に入れているのですが、同時に、隙間のない、ゆとりのない空間が出来上がってしまいました。この空気に少し自然な揺らぎを取り戻しましょう。繊細な優しい振動で、電子の海に軽やかな波を立たせてあげましょう。
2003年に『音と文明』(岩波書店)で音の環境学を語った大橋力さんが最近著した『ハイパーソニック・エフェクト』(岩波書店)の腰巻には脳科学者、茂木健一郎さんの「現代の古典」という賛辞や、「この発見がなければハイレゾオーディオは今、存在しなかった」というオーディオ評論家、麻倉怜士さんの言葉が並んでいます。
「ハイパーソニック・エフェクトとは超高周波が脳深部を劇的に活性化し、さらに心身全体の働きを高める現象である」とあります。前著の『音と文明』でも、ハイパーソニック超高周波を含む、超複雑な音が満ち溢れているのが熱帯雨林であり、ヒトは長らくその環境に生き、暮らしていたので、そのような音環境こそ、心身が最も安らぎ、そして同時に活性化するとも述べられています。
確かに現代は情報過多と言われていますが、熱帯雨林には実にさまざまな生物、植物が棲息し、うごめいていますので、それが発する生命波動の信号(情報)はとてつもなく濃密で、それが混然一体と交じり合っていますから、実に豊富で複雑な情報が横溢していた環境と言えるでしょう。生命維持を第一義と捉えている生命自身は情報が途絶えることが最も危険であり、より多くの情報を必要としているはずです。
ですから「聴こえていない音」にも耳を傾け、全身でその気配を探り、生命維持のためのアンテナ全開の状態でヒトは生きていました。
それは音を捉えるというよりも、音という媒体がある空間そのものを把握することに近かったかも知れません。
生命体の発する波動は激減し、代わりにガラスとセメントに囲まれた環境の中で、電波や電磁波だけが濃密な空間に置かれ、私たち、ヒトという生命は本質的な情報から隔離されたまま毎日を生きています。
この中でひとときの安らぎを得る手段はいったい何があるでしょうか。ハイレゾと呼ばれている音源は何において優れているかと言えば、ヒトの可聴範囲、――音として認識できる可聴周波数帯域――を越えた超高周波も再現することで、その空間そのものを体感してもらえる、ということに尽きると思います。
音を聴くのではなく、音の鳴っている、または音が存在している空間そのものを再現したものを体感するということです。そのような環境に身を委ねることで私たちは心からリラックスできるのだと思います。
ただ私たちヒトが慣れ親しんだ熱帯雨林に満ちていた音は、すべて無指向性のものでした。それは人の声や生の楽器の音と同じです。宇宙に向かって均等に広がり、拡散する音に包まれていたのです。
しかし、現代のヒトは99%指向性の強い音に囲まれながら生活、活動しています。デジタル音、機械音、直接音、指向性の強い音ばかりが溢れています。
デジタルという進化の向こう側に私たちが本当に安らげる、寛げる音があるはずです。
『遅刻してくれてありがとう』と言える心のゆとりを育んでくれる音があるはずです。