「国境炭素税は市場変革のシグナル」

*本インタビューは2021年8月に実施しました。

■高村ゆかり・東大未来ビジョン研究センター教授インタビュー■

EU(欧州連合)が2026年から導入を検討している「国境炭素税」を、日本や日本企業はどう捉えるべきか。気候変動とエネルギー問題に詳しい高村ゆかり・東京大学未来ビジョン研究センター教授に聞いた。(聞き手・オルタナS編集長=池田 真隆)

高村ゆかり・東京大学未来ビジョン研究センター教授

――欧州委員会は7月14日、「国境炭素調整メカニズム」(国境炭素税)の導入概要を発表しました。この制度はどのような経緯から生まれたのでしょうか。

脱炭素を巡る議論は、以前から、製品の製造だけでなく「消費ベース」でも考えるべきという主張がありました。実際、中国や途上国では多くの製品を製造していますが、その製品を消費しているのは先進国です。

今回の「国境炭素調整措置(カーボン・ボーダー・アジャストメント・メカニズム(CBAM)=国境炭素税)」もこの議論から生まれました。これはEU域内だけでなく、域外も含めたグローバル規模で温室効果ガスを削減することが狙いです。

――EU域内の事業者と域外の事業者とで、気候変動対策の差によって生じる競走上の不公平を是正するための制度でもありますね。

EUは国境炭素税を検討する前から、鉄鋼など一部のCO2排出量の多いセクターに対して産業競争力上の配慮が必要だとして、一定の緩和策を取ってきました。

EU域内の排出量取引制度では、事業者は排出枠を入札で獲得しますが、鉄鋼などの大排出セクターに関しては無償で割り当てています。

しかし、国境炭素税を導入することで、この無償の割り当てを無くしていく方針です。

EU域外との競争上の懸念に応えつつ、炭素排出のコストを明確にすることで、大排出セクターに対しても、新しい技術の開発・導入や産業構造の転換を促します。国境炭素税はそうした政策の一環でもあるのです。

――世界の脱炭素の流れの中で、気候変動対策の緩い国に生産拠点が移り、結果としてCO2排出量が増えてしまう=「カーボン・リーケージ」が生じるという懸念もあります。

気候変動対策の強化によって、気候変動対策の緩い国に事業者が移転し、排出量が増えるという意見はあります。しかし、実際には、EUの排出量取引制度の導入を含め、対策を強化した事例で、その結果「カーボン・リーケージ」が生じたことを示す根拠やデータはありません。

国境炭素税はEU域内の企業と域外の企業の競争の不公平を是正する、そのことによってEU域内で対策強化の合意をしやすくするという意味もあります。他方、もう一つ大事なことは、EUが気候変動対策を世界的に強化する戦略として国境炭素税を位置付けていることです。

2008年の排出量取引制度の見直し時に、EU域内に発着するEU域外の第三国の民間航空会社に対して、EU域内と第三国を結ぶ飛行機の運航からの排出量に目標を設定し、超過した排出量分は排出枠でオフセットする措置を発表しました。これには米国、中国、インドや日本などが、EUが一方的に導入する措置だと猛反対しました。

しかし、この議論は国際民間航空機関(ICAO)が、民間航空会社に対して世界的な排出量取引制度を導入することにつながりました。

各国から反対されたEUは、それなら国際的なルールをつくろうと呼び掛け、ICAOの場で各国が議論して、ルールが合意されたのです。

今回の国境炭素税が導入されない場合でも、同じ流れが起きる可能性があるのではないかと思っています。欧州議会が言及しているように、WTO(世界貿易機関)に炭素価格を盛り込んだ新しい通商のルールの創設を訴えるでしょう。

つまり、EUは国境炭素税をトリガーにして、炭素の価格付けを主要国に広げていくことを戦略として考えているはずです。

――日本でもカーボンプライシングの導入は環境省と経産省で検討を重ねています。「経済成長に資するカーボンプライシング」という点が、導入のポイントです。

忘れてはならないのは、2050年カーボンニュートラルを実現するための戦略文書にこの「経済成長に資するカーボンプライシング」が位置づけられていることです。したがって、「経済成長に資する」とは、短期的な足元の利益ばかりを見るのではなく、中長期的な視野で産業構造を脱炭素化・次世代化するという意味です。中長期的に見ると、世界的に炭素の制約は厳しくなります。その制約に対応した製品・サービスを提供できる企業でないと、企業は生き残っていけません。

日本の主要産業である電気・電子業界や自動車業界の売上高を見ると海外市場が主流です。これから人口減少・高齢化が予測される国内市場に照らせば、日本企業にとって、中長期的な視点で成長を考えたときに、海外市場を度外視することはできません。

今回の課税対象となる5品目(「鉄鋼」「セメント」「肥料」「アルミニウム」「電力」)に関して、日本からEUへの輸出割合はどの対象品目も1%以下で、そこまで大きな影響は出ないと思います。むしろ国境炭素税をこれからの「市場変革のシグナル」と捉えるべきでしょう。

まさに製品のライフサイクル全体でCO2排出量が問われる市場になっていきます。そして、この変革はEUだけでなく、グローバルに広がる可能性を十分に持っています。

――日本の産業構造を脱炭素化に変換するためのカギは何でしょうか。

一つの大きなカギはエネルギーです。国境炭素税で問われているのは、製品の製造過程でのCO2排出量です。例えば、走行時の燃費性能が高い自動車であることに加えて、自動車の製造過程の脱炭素化が求められるわけです。それにはエネルギーの低炭素化、脱炭素化が不可欠です。

特に中小企業にとっては、自分たちの力だけでエネルギーの排出量を減らすことは非常に難しい。国が責任をもってエネルギーの脱炭素化を進めるべきでしょう。

エネルギー転換にはインフラの再構築が必要で、多額の投資が必要です。将来的な炭素の制約が明確化していないと、そうした投資は難しいでしょう。

そういう意味で、中長期的視点をもって「炭素の価格付け」(カーボンプライシング)の制度化を議論することが今本当に重要なのです。

高村ゆかり・東京大学未来ビジョン研究センター教授: 島根県生まれ。京都大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。名古屋大学大学院教授などを経て現職。主な研究対象は国際環境条約に関する法的問題や気候変動とエネルギーに関する法政策。中央環境審議会会長、再生可能エネルギー買取制度調達価格等算定委員会委員などを歴任。

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナ輪番編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナ輪番編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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キーワード: #自然エネルギー

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