記事のポイント
- 戦後の日本農政を支えてきた方針に「選択的拡大」がある
- 産地化し、大規模物流で効率化を図るという構造が日本の農業政策を支えてきた
- しかし、大規模化を目指した結果、自給率は低下し、農地面積も減少した
戦後の日本農政を支えてきた方針に「選択的拡大」がある。指定産地制度と単一栽培(モノカルチャー)といわれるものだ。一つの作物を地域の特産として産地化し、大規模物流で効率化を図る。その構造が日本の農業政策を支えてきた。
1961年の農業基本法は、国が日本農業の大規模化を推進するために制定したといっても過言ではない。
加えて、大規模小売店舗法の規制緩和が進み、GMS(大規模小売店舗)の地方進出に拍車がかかり、クルマ社会に合わせて開発されたバイパス道路は、大企業の地方進出に道を開いた。その結果、商店街は衰退し、地域社会の崩壊が始まった。
その一方、東京への一極集中は加速した。1950年の東京都の人口は628万人だったが、今は1400万人を超えるまでに増えている。
食料自給率は1960年に79%だったが、2025年は38%まで低下した。農地面積も1960年の607万㌶から、2024年には427万㌶に減少した。
さらに基幹的農業従事者数は1960年の1175万人をピークに減少し続け、2025年は102万人となった(出典:「2025年農林業センサス速報版」)。このまま推移すれば、2030年の予測83万人はさらに下方修正せざるを得ないだろう。

