記事のポイント
- 危険性認定の撤回は、米国の気候政策はもちろん、企業や市民にも影響するだろう
- 自動車・石油業界などから、撤回を明白に歓迎する声は現時点でも聞かれない
- 裁判が長引けば、次に選出される大統領の方針次第で覆る可能性もゼロではない
トランプ政権による温室効果ガスの危険性認定の撤回について、前編では米環境保護庁(EPA)側の根拠を探った。危険性認定の撤回は、米国の気候政策はもちろん、公衆衛生の視点で、市民の生活、とりわけ、社会的弱者にも悪影響を及ぼしかねない。自動車や石油業界からも、現時点では明らかに歓迎する声は聞こえてこない。気候危機の回避や気候正義の観点から一縷の望みを託すとすれば、州や環境団体が進める訴訟による裁判が長引き、次期大統領選で政権交代となって成り行きが変わる可能性だ。(米テキサス州・宮島謙二)

■独自の規制を持つ州への影響は
危険性認定の撤回を受け、各州の動向にも注目が集まる。
大気浄化法では、原則として州が自動車の排出基準を独自に定めることを禁じている。しかし、カリフォルニア州はEPAの適用除外によって、独自の規制(Advanced Clean Cars II: 「ACC II」)を設けている。
また、他州も制度に従ってカリフォルニア州のゼロエミッション車(ZEV)規制やACC IIを導入している。
危険性認定の撤回によって、州が、EPAから適用除外を受けて独自の規制を実施する法的な基盤が弱まる可能性がある。一方で、連邦政府がGHGを規制対象外とするなら、州独自の規制を事前排除する法的根拠も揺らぎかねない。
規制を強める州と緩める州が併存する分裂状態が進む可能性もある。
■国際的な気候変動対策への影響は
危険性認定の撤回の影響は、米国内のみにとどまらない。
2025年7月、国際司法裁判所(ICJ)が「気候変動に関する国家の義務についての勧告的意見」を発表した。その中で、国家は気候変動による深刻な被害を防止するために、国際法上の注意義務を負うとした。
勧告的意見に法的拘束力はないが、国際社会における行動規範を明確化した意義は大きい。
連邦レベルでGHG規制の法的基盤を外す今回の動きは、各国が国内法を通じて義務を履行すべきだとする国際法の潮流に相反する。
パリ協定の国が決定する貢献(NDC)の実効性や、EUの炭素国境調整措置(CBAM)など、国際的な取り決めとの整合性も問われるだろう。
■米自動車・石油業界から「歓迎」の声は聞こえない
現段階で、自動車産業から危険性認定の撤回を明らかに歓迎するコメントは出されていない。
フォードは「単一の安定した国家基準」を支持するとコメントしている。主要自動車メーカーは直接的なコメントを避けている。
米自動車業界誌のカー・アンド・ドライバーは、業界団体の自動車イノベーション協会が、所属企業を代表して出した声明文を紹介している。
それによると同協会は、バイデン前政権下で定めた現行の基準については、現在の市場におけるEV需要を考慮すると達成が極めて困難だと指摘しつつ、業界の競争力を維持する形での長期的な排出量削減とクリーンな自動車への路線については否定をしていない。
企業は不確実性を嫌う。企業にとって最大の不確実性は、連邦と州の基準が分裂し、開発投資の前提が揺らぐことだ。
今回の決定では、危険性認定の撤回対象は自動車に限られている。しかし、今後はその範囲が発電所のCO2規制や石油・ガス部門のメタン規制などに広がると考えられる。
EPAによるGHG排出規制は、連邦レベルで企業が訴えられることを阻止してきた。GHG規制に関する紛争は連邦レベルのEPAで処理する義務があったためだ。しかし、EPAにGHGを規制する義務がなくなれば、近年増加している州や自治体レベルの訴訟が急増しかねない。
自動車産業や化石燃料産業は、危険性認定の撤回によって、訴訟を起こされるリスクを負う。
米石油協会(API)のダスティン・マイヤー氏(政策・経済・規制担当上級副社長)は、危険性認定撤回について、バイデン政権による電気自動車の義務付けを終結させる点は評価しつつも、「GHG排出については、連邦レベルの規制を引き続き支持する」と米ニューヨークタイムズ紙にコメントした。
■米国市民の生活への影響は
人々にとって、すぐに目に見える形で危険性認定撤回の影響が出るとは限らないが、長期的な影響があるのは明らかだ。
連邦政府によるGHG排出量削減政策が講じられなければ、個人と家庭がその負担を強いられることになる。すでに高騰している食費や光熱費に加え、熱波や洪水などの気象災害の増加と深刻化に伴う医療費や保険料が増えることが懸念される。
EPAは、危険性認定の撤回によって1兆3000億ドル(約200兆円)超の経済的な恩恵があると主張するが、その主張は、温暖化による社会コストを軽視している。
■公衆衛生への悪影響も危ぶまれる
危険性認定の撤回と自動車によるGHG排出基準の廃止は、これまで副産物的に達成されてきた大気汚染物質(PM2.5や窒素酸化物)の削減効果を失うことになりかねない。
危険性認定によって呼吸器疾患や早期死亡の抑制が見込まれていたが、規制の後退によって、そのような便益が損なわれる可能性がある。
■社会的弱者への影響は
GHG規制は、将来の気温上昇の抑制だけでなく、排気ガス中に存在するGHG以外の汚染物質の削減と連動してきた。
ディーゼルトラックや物流拠点が集中する港湾施設の周辺や、高速道路沿いには、低所得層や有色人種のコミュニティが居住しており、大気汚染と気候リスクの双方で不均衡な負担を強いられている。
規制の弱体化や、州ごとの規制格差の拡大は、健康面での負担の地理的な固定化を進める可能性がある。EPAが展開する抽象的な権限論は、どの地域の子どもが、どれくらい汚染された空気を吸わされるかの問題でもあるのだ。
■訴訟は最高裁まで持ち込まれる可能性が高い
今回の危険性認定の撤回は、民主党が強い州や環境団体が提訴するのはほぼ確実だ。まずは連邦控訴裁判所で審理された後、最終的には連邦最高裁まで持ち込まれる可能性が高い。
過去の判例を再検討する可能性が指摘されているが、現在の最高裁判事は保守派が多数を占めており、トランプ政権寄りの判断が下される可能性は高い。
2007年のマサチューセッツ州対EPAの判決を全面的に覆すのか、それとも形式的に維持しつつ今回の危険性認定撤回を容認するのかで、影響は大きく異なる。
仮に最高裁が危険性認定の撤回を容認した場合、将来的に民主党政権が危険性認定を復活させるのは困難な道のりになる。判決次第では、気候や公衆衛生のみならず、エネルギーや食料の安全保障、経済などへの長期的な影響が懸念される。まさに気候と未来の世代の命運がかかっているのだ。

