「ガザの子どもが栄養失調で死んでいく」とユニセフ広報官

ガザ戦争が始まって1年半以上が経過した。2025年1月以降は6週間ほどの一時的な停戦も実現したが、その後再び戦闘が激化している。封鎖と攻撃が続くなか、多くの市民が深刻な人道危機に直面している。現地で何が起きているのか。日本からはどのような支援ができるのか。ユニセフ・中東・北アフリカ地域事務所のテス・イングラム広報官に聞いた。(オルタナ輪番編集長=吉田広子、オルタナ総研ディレクター=坂本雛梨)

ユニセフ・中東・北アフリカ地域事務所のテス・イングラム広報官(提供:日本ユニセフ協会)
ユニセフ・中東・北アフリカ地域事務所のテス・イングラム広報官(提供:日本ユニセフ協会)

■現地は「今までで最悪の状況だ」

――まず現地の状況についてお聞きします。ガザ地区の状況はどのように変化していますか。

私はこれまで2024年1月、2024年4月、2025年2月の3回、ガザ地区を訪れました。2月にガザに滞在していた時期はちょうど停戦が始まったころでした。

爆撃が止み、ようやく自宅に戻れるという安堵感と興奮が漂っていました。しかし、戦争による被害は甚大で、多くの人々にとって、「嬉しい瞬間」ではなく、「悲しい瞬間」でした。家に戻っても、建物はなく、親戚や友人もいません。1年以上続いた紛争で失ったすべてのものと向き合うことでした。

停戦していた当時、ユニセフは、栄養食品、医療物資、子どもたちのための衣類など、援助物資を持ち込むことができました。それまで、支援の制約を受けていましたから、トラックがガザに入っていくのを見るのはとても良いことでした。

しかし、残念ながら、その停戦は長続きしませんでした。私がガザを離れてから、状況は劇的に悪化しました。この3カ月半から4カ月の間、ガザへの援助はほぼ完全に封鎖されています。トラックは、まるで水滴のように少しずつしか、入ることができません。

ガザの人々は再び激しい爆撃の下にあります。毎週、本当に多くの子どもたちが殺され、負傷しています。今ガザにいる同僚たちは日々「今までで最悪の状況だ」と伝えてきます。

停戦中に私たちが成し遂げたすべての進展は、この数ヶ月の苦しみによって逆転してしまいました。現在、私たちはこれまでに見たことのない最悪の戦争に直面しているのです。

■子どもの犠牲者数は5万人に

――ユニセフの報告によると、子どもの死傷者数は5万人に達しています。最近は栄養失調による死亡も増加しているそうですね。子どもたちを取り巻く状況について教えてください。

子どもたちの生活は、あらゆる側面で戦争の影響を受けています。

まずは爆撃を止めて、子どもたちの殺害や負傷を止めなければなりません。ガザでは毎日、無差別な爆撃が起きています。これらの攻撃は、国際人道法を踏みにじっています。国際人道法の下では、子どもたちは、紛争中であろうとなかろうと、常に危害から保護されなければならないのです。

ユニセフは、5万人以上の子どもたちが死亡または負傷したと報告しています。怪我の中には一生を変えるようなものもあります。ガザでは、手や足など複数の切断を受けた子どももいます。

以前はこうした現状は世界的に大きな注目を集めていましたが、今ではあまり報道されなくなりました。

8歳のガーダ・ダッバベシュさんは、避難していた学校が空爆され、片手を切断することとなった(提供:日本ユニセフ協会)
8歳のガーダ・ダッバベシュさんは、避難していた学校が空爆され、片手を切断することとなった(提供:日本ユニセフ協会)

ガザの子どもたちは、爆弾の下で、「明日目覚められないかもしれない」という恐怖と共に生きています。そして、多くの子どもたちは家族や友人を失った喪失感を抱えています。生き残ったかもしれませんが、心身ともに負傷しているのです。

国連の推定では、ガザの人々のニーズを満たすためには毎日500〜600台のトラックが最低限必要です。しかし、人道支援は妨げられ続けています。

私たちは防ぐことができる人道的危機を目にしています。例えば、栄養失調です。2月から5月の間に、栄養失調の治療のために入院した子どもの数は150%増加しました。5月だけで5000人以上の子どもたちが栄養失調になりました。紛争開始以来、約150日間、毎日平均110人以上の子どもたちが栄養失調で入院しています。子どもたちは栄養失調で死亡しています。

栄養失調治療センターは物資を使い果たしており、医療機器や清潔な水など、他に必要なものも残っていません。現地からの報告によれば、子どもたちは治療を受けられないために餓死しています。

それに加えて、水についても非常に心配しています。ガザの水は海水で非常に塩辛く、塩分を取り除き、淡水化する必要があります。淡水化プラントは燃料を必要としますが、1年以上ガザ地区に燃料を入れることが許可されていません。淡水化プラントは今最後の燃料で動いています。

飲料水はガザ地区で数週間分しか残っておらず、その後は尽きてしまいます。

■海水淡水化プラントはほぼ停止

――水道インフラも攻撃されたと聞いています。

はい、ガザの水道施設は大きな被害を受けました。主要な水道管だけでなく、井戸や淡水化施設も被害を受けました。広範囲に及ぶ被害です。

もともと217の水道施設がありました。現在、機能しているのは87施設だけです。つまり40%です。燃料が尽きれば、ゼロになってしまいます。

また、避難命令の影響もあります。施設の運営を続けることができないのです。もし水が尽きれば、病気が増えるでしょう。

2025年3月24日、ガザ市のビーチキャンプで。ユニセフは、海水淡水化プラントで生成した水をタンクローリーで運搬し、配水する「給水トラック事業」を支援している(提供:日本ユニセフ協会)

――公衆衛生も非常に深刻な状況なのですね。

このままでは下痢のような水系感染症が増えるでしょう。衛生的な水の不足、脱水症状、病気、栄養失調の致命的なサイクルを抱えています。安全な水の生産、栄養治療サービスなど、もっと、もっと、もっとたくさんの支援が必要です。そのためには、この封鎖を終わらせなければなりません。

■重なるトラウマ、長期的な影響も

――イングラム広報官は、虐待や児童労働、児童婚のリスクも指摘しています。この戦争は、子どもたちにどのような長期的な影響を与えるでしょうか。

世界中のどの紛争でも、地域社会の安全が失われたり、学校の通えなくなったりすると、子どもたちはより大きなリスクにさらされます。子どもたちは、搾取や虐待、児童労働、児童婚のリスクを抱えています。

また、長期的なメンタルヘルスへの悪影響もあります。ほかの紛争について考えてみると、通常、人々は逃げる能力を持っています。しかし、ガザの人々にはその選択肢がありません。彼らは閉じ込められており、この地域から逃げることができないのです。

ガザの子どもたちは、度重なるトラウマを経験しています。子どもたちにメンタルヘルスやカウンセリングを提供する心理学者たちは、「もう何をすればいいのか分からない」と言うほどです。

「母親を亡くした悲しみを乗り越えるのを手伝ったのに、今度はがれきの下に埋もれて恐怖を感じている」とか、「怪我を受け入れるのを手伝ったのに、今度は両親が殺されてしまった」といったことです。

トラウマの上にトラウマが重なる状況にどう対処すればいいのか。私たちはその長期的な影響を非常に懸念しています。

子どもたちが安全を感じ、トラウマに対処することは非常に難しい。私たちは今すぐに対処しなければなりません。

――ガザで働く医師からトラウマが将来の世代にも引き継がれる可能性があると聞いたことがあります。現地で今、最も必要とされている支援は何ですか。

残念ながら、私の答えは非常に単純で「すべてが必要だ」ということです。この戦争では、援助が制限され、絶望が広がっています。法と秩序が崩壊し、とても困難な状況にあります。

まず必要なのは、ガザ地区に大量の援助物資を、迅速かつ継続的に届けることです。人々が生きていくために必要な基本的な物資を確実に届けることに加えて、たとえ限られた状況下でも、人々が自ら選べる選択肢を持てるようにすることが求められています。

必要なのは人道支援だけではありません。市場に商品が再び並ぶことも重要です。それによって人々は、自らのニーズに応じて必要なものを購入し、支援を補うことができるようになります。たとえば、食料パッケージを受け取るだけでなく、自分で野菜を買うことができるようになる——そうした状況を、私たちはガザで再び実現させなければなりません。

現在求められているものは数多くありますが、ユニセフが最優先しているのは、子どもたちの命を救うための支援物資です。特に、深刻な栄養失調に苦しむ子どもたちのための栄養治療が急務となっています。

また、安全な水の供給を支えるための物資や、妊婦や新生児の命を守るための医療物資——とりわけ病院で必要とされているものも、最優先の支援対象です。

栄養治療センターでは、子どもたちの栄養状態をスクリーニングし、治療サービスを提供しています。同時に、メンタルヘルスや心理社会的サポートを行い、一部の淡水化プラントの運営支援も行っています。

物資の搬入が途絶えるなかでも、私たちは可能な限りサービスの提供を続けていますが、やがて限界が訪れます。水を安全に処理するための薬品や、栄養治療に必要な医療物資が尽きれば、支援活動そのものが立ち行かなくなるのです。

2025年6月5日、ガザ地区ハン・ユニスにあるナセル病院で、3歳のハサンくんがベッドで診察を受けている(提供:日本ユニセフ協会)
2025年6月5日、ガザ地区ハン・ユニスにあるナセル病院で、3歳のハサンくんがベッドで診察を受けている(提供:日本ユニセフ協会)

――仮に必要な支援を100%とした場合、現在の物資供給の達成率はどの程度でしょうか

それは非常に低いと言わざるを得ません。

現在、ガザに届けられている援助物資の量はごくわずかで、現地の膨大なニーズを満たすには程遠い状況です。私たちは、ガザ周辺に必要な物資を十分に準備し、常に待機させていますが、実際にそれが人々の手に届いているのはほんの一部にすぎません。その主な要因は、現地の極めて複雑な状況にあります。

具体的には、イスラエル当局が唯一ガザへの援助物資の通過を許可しているケレム・シャローム検問所で、大きなボトルネックが発生しています。

たとえば、5月17日から6月3日の間に、国連およびそのパートナーは、1,200台以上の事前承認済みトラックを、最終的な搬入許可(いわゆる「マニフェスト作成」のプロセス)のためにイスラエルに提出しました。

そのうち実際に承認されたのは80%未満(約940台)にとどまり、これらのトラックがようやく倉庫からケレム・シャロームに送られました。

さらにそこから、スキャン、荷降ろし、再積載といったプロセスを経て、検問所のパレスチナ側に到達できたのは約620台にすぎません。

最終的に、私たちのチームがガザ内部に届けることができたのは約370台分の物資でした。

このように、ケレム・シャローム検問所へのアクセスは極めて厳しく管理されており、必要な物資を迅速かつ円滑に回収することが困難な状況です。

さらに、ガザ内部でも、検問所へ向かうには空爆が続く軍事化された地域を通過しなければなりません。その移動には、イスラエル当局との事前調整が必要ですが、多くの申請が依然として拒否され続けているのが現状です。

――日本企業は、どのような形で支援できるでしょうか。財政的な貢献や物資の寄付、あるいは人的リソースの提供など、具体的な例を教えてください。

2025年3月21日、ガザ市ジャバリア難民キャンプで。夜の寒さをしのぐため、テントの中で火を囲んで暖を取っている。13歳のラマール・アブ・ロショドさんは、「戦争を止めてください。次は、私は生き残れないかもしれません」と訴える(提供:日本ユニセフ協会)

国際社会においては、個人、加盟国政府、そして企業も含めて、あらゆる立場の人々に果たすべき役割があると私は考えています。

こうした危機の中では、さまざまなグループや組織体が支援のために何かをする余地が必ずあります。それはたとえば、ユニセフのような人道支援機関の活動を財政面で支えることであったり、あるいは企業が持っている交渉力や発信力を活かして、変化を求める声を上げることかもしれません。そうした行動が、この紛争において何らかの前向きな変化をもたらすきっかけになる可能性があります。

この紛争は、多くの人たちの懸命な努力にもかかわらず、依然として続いています。私たちは繰り返し、人道支援の必要性、そして何よりも子どもたちの命を守ることの重要性を訴え続けています。

企業が、この状況を変える一助となるような行動を起こしてくださるのであれば、それは非常に力強く、心から歓迎すべきことです。

――イラン・イスラエル紛争はユニセフのガザでの活動に影響していますか。

現段階では、私たちの活動に直接的な影響は出ていません。ただし、最も大きな影響は、ガザへの関心が薄れてしまっていることだと感じています。

――日本でも、ガザに関するメディア報道が減少しています。

残念ながら、多くの地域で報道は減っています。

人々の関心が他に移ったからといって、ガザの状況が改善したり、戦闘が止まったわけではありません。ガザの状況は依然として壊滅的であり、国際社会が関心を持ち続けることが重要です。

それは、イランやイスラエルの状況に目を向けないということではありません。むしろ、平和を求める声を上げ続けるために、私たちの視野を広げる必要があるのです。

――子どもたちは、この紛争をどのように受け止めているのでしょうか。

私がガザを訪れるたびに、できるだけ子どもたちと座って話し、彼らが何を感じているのかを尋ねるようにしています。

特に印象に残っているのは、2025年2月に北部ガザ市で訪れた、主に女の子たちを対象にしたメンタルヘルス・セッションのことです。6歳から10歳くらいの女の子たちが輪になって座っていて、心理士が「悲しいと感じることを絵に描いてみて」と促しました。

しかし彼女たちが描いた絵は、6歳の子どもが本来触れるべきではないような内容ばかりでした。それでも私が驚いたのは、それらが自分自身の痛みではなく、他の人の苦しみを描いたものだったことです。

「足を失った男性を見て悲しくなった」「家を失った男の子を見て悲しかった」――。そう語る彼女たちは、自分のことよりも他の人のことを心配していました。ガザでは、こうしたコミュニティへの思いやりが非常に強く根付いているのだと感じました。それが、人々がこの極限状態の中でも生き抜いていける理由の一つだと思います。

女の子たちが、自分が目にした痛ましい光景を絵にしながらも、一番悲しいのは「他の誰かが苦しんでいること」だと言った姿に、私は胸を打たれました。とても悲しくも美しい瞬間でした。

――最後に、世界に伝えたいメッセージを教えてください。

2025年3月22日、ガザ市アル・リマル地区で。子どもたちは「避難生活で疲れ切っている。テントの中で独りぼっちで怖くてたまらない」と語った(提供:日本ユニセフ協会)

私はガザにいる友人や同僚たちと、ほぼ毎日連絡を取っています。彼らの答えは、とてもシンプルです。「殺りくと負傷を止めてほしい」「援助を届けるために国境を開いてほしい」「私たちは、平和と尊厳の中で暮らしたいだけだ」と。「子どもが殺されるべきではない」という、とても当たり前のことです。

ですから、私のメッセージは、「もしこれが、あなたの友人や家族の身に起きていたら」と想像してみてほしい、ということです。戦争が1年半以上も続いた今、あなたはきっと「国際社会に何かしてほしい」と願うでしょう。「これを終わらせなければ」と思うはずです。

私はガザの人々をとても心配しています。最近、ある女性に「元気ですか」と聞いたところ、「元気とは言えません。でも、生きています」と答えました。

今こそ、世界が道徳的に明確な姿勢を示し、行動に移すべきときです。私たちはあまりにも長く、この状況を放置してきました。今こそ、ガザの人々が生き延びられるように、私たちができる最大限の努力をすべきです。

――とてもシンプルですが、難しいことですね。

おっしゃる通りです。政治的には非常に難しい問題です。でも、私はこうも思います。個人が持つ力は、私たちが想像しているよりずっと大きいのです。

諦めないこと、自分が大切だと思うことを伝え続けること、正しいと信じることをやり続けることが、何よりも大切だと思います。

ここでよく言うように、「インシャーラー(神の御心のままに)」、この紛争が一刻も早く終わることを願っています。

yoshida

吉田 広子(オルタナ輪番編集長)

大学卒業後、米国オレゴン大学に1年間留学(ジャーナリズム)。日本に帰国後の2007年10月、株式会社オルタナ入社。2011年~副編集長。2025年4月から現職。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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