消えた自転車人形 (希代 準郎)

 その日の夕方、おしゃれな髪の女性、コートジボワール生まれで、今はパリ郊外で彫刻を制作しているというミュリエルと一緒にモンパルナスのル・ドームにいた。ピカソも通ったと聞き、行ってみたいと思っていたカフェだ。
「ルフィン、あなたは現代のピカソだわ。キーワードは融合」ミュリエルがいたずらっぽくほほ笑んだ。
「ピカソといえば、MOMAにある『アヴィニョンの娘たち』はアフリカの仮面の模倣なんだろう」
「そういう説もあるけど、違うわね」
 ミュリエルは美術に詳しかった。
「だって、あの絵の一番左の女性はダン族の仮面と酷似しているし、右下の娘はゾンゲ族のキフェベ仮面にそっくりだよ。ピカソの家には壁いちめんにアフリカ彫刻が壁一面に飾られていたらしいからね」
「でもね、似てはいるけど直接的には関係ないの。アフリカの人たちはがっかりでしょうけど。ピカソがあの絵を描いたのはいつ?1907年よ。似ているというダン族の仮面がトロカデロ民俗学博物館、今の人類博物館に入ったのは1952年だし、ゾンゲ族の仮面は第二次大戦直後まではパリで見かけることはなかったの」
「じゃあ、なぜ」
「ピカソは若い頃、人体を記号として扱う視点を仮面から学んだのよ。仮面が記号として機能するのは、それらが超越者との交流・交感に使用される本物だったからよ。アフリカの文化を収奪されたわけではないの」
 ミュリエルのようなアフリカの女性が自己のアイデンティティを守りながら西欧で暮らし、西洋とアフリカという枠を超えた新なアートに挑戦し続けている。対立ではなく多様性。その融合。闇が深ければ深いほど光は強いのかもしれない。
 ルフィンは新学期から地元の小学校の教師になる。子どもたちに伝える何かを見つけたような気がしている。     (完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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