【連載】小林光のエコめがね(1)

明けましておめでとうございます。小林光と申します。これから、月一回、「エコめがね」と題して、折々のテーマを論ずるコラムを連載いたします。今回は初めてなので、自己紹介を兼ねつつ、私の立ち位置や問題意識を語らせていただきます。

新連載・小林光のエコめがね

私は昔から自然が大好き。小学校の時は、放課後、週末は、多摩川や多摩丘陵で過ごし、大きくなると、上野原、西丹沢などと行動半径を広げました。寝るのも、植物や蝶の図鑑を枕に、です。けれども、環境を一生の仕事にできるとは思っていませんでした。

しかし、昭和46年(1971年)7月に環境庁が生まれ、翌72年からプロパー職員の採用が始まりました。私は、学園闘争時代に高校、大学生活を送り、潰しが効くだろうと入った経済学部を無事に卒業し、73年4月には民間会社に就職していたのですが、環境庁なら環境を仕事にできると思うに至り、公務員試験を受けました。

公害爆発の時代に開庁して間もない環境庁は人手不足だったのでしょう。試験に受かると、4月を待たずにすぐに職員になるよう求められ、同年11月には、環境行政官として働きだしたのです。

そして、足掛け半世紀に近くずっと環境分野で働いています。私は、子どもからの付き合いで、自然の仕組みは体感として分かっていたと思います。でも、環境保全は仕事であって、自分の趣味を満足させるためではありません。

ポスト工業経済への移行が始まる

仕事としては、私は、人間の経済社会を地球の生態系のよい一部になるものに変えていこうと、取り組んできました。不遜で役不足は明らかですが、物言えない自然の代弁者のつもりで、人類が地球の良い乗組員として遇される世界づくりをするのが、自分の仕事、と思っていたのです。

しかし正直なところ、環境保全は経済の敵、と扱われることが多く気落ちすることもしばしばでした。「『月夜の晩ばかりではないですよ』と言われたことはないですか」などと、有力な産業団体の方から暗に自重を求められたこともあります。

けれども、ようやく世の中は変わりました。総理の施政方針演説で、人間界から出される温室効果ガスを実質ゼロにする、との方針が示されました。それは、地球の法(のり)を守る暮らしを人間が始めるとの宣言です。

経済との関係についても、環境を守ることが経済発展の糧になる、とグリーン・リカバリーの実践が提唱されました。地球の生態系を守りつつ儲けを出していく、いわばポスト工業経済への移行がいよいよ始まったのです。

新しいビジネスモデルを探求する「オルタナ」誌に場所を借り、本コラムでは、生態系を壊さず健全なものへと修復していきながら稼ぎもする新しいビジネスを具体化する上でのヒントを取り上げます。「エコめがね」とは良いお題をもらったな、と、とても嬉しく思っています。

図:環境側面の改善に知恵やお金が集まるプロセスを目指す(筆者作成)

ちなみに、このコラムを通じた私の作戦は図のとおりです。環境の目利きを増やして、環境性能の付加価値を高め、そして、環境側面の一層の改善に知恵やお金が集まるプロセスを強めていくことです。

小林光(こばやし・ひかる)

1949年、東京生まれ。73年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、環境庁入庁。環境管理局長、地球環境局長、事務次官を歴任し、2011年退官。以降、慶應SFCや東大駒場、米国ノースセントラル・カレッジなどで教鞭を執る。社会人として、東大都市工学科修了、工学博士。上場企業の社外取締役やエコ賃貸施主として経営にも携わる。