「インパール」遠くにありてなお

 教員宿舎の一室で雪乃が休んでいると、メイとソウが押しかけて来た。耳寄りな情報を教えてくれる。卒業生の女の子の送り出し役が長瀬校長で、日本での受け入れは木村理事長が担当していること。五年前に学校ができてから毎年何人もの卒業生が日本の介護施設へ就職して行くこと。多くが貧しい地方の出身者で授業料と寮費は安い、しかも日本に行く時にそのお金の全額を返してくれるので実質タダだという。
 返還してもらったお金が日本行きの準備金になる。それでも派遣先の施設から多額の謝礼金が木村に支払われるので学校の運営資金は潤沢らしい。
 介護施設の職員になれば給料は日本人とそれほど変わらない。何より周りの日本人が親切で働きやすいとあってこの学校への入学希望者が急増している。ところが学校で日本語を教える優秀な先生が少なく生徒の日本語の上達が遅いのだ。
「親を助けたいのでもっと日本語がうまくなって日本へ行きたい。先生、お願いします」メイとソウが雪乃の前で手を合わせる。
 その時、ノックの音がした。長瀬だった。
「早速、政府にWi-Fi基地局の増設をお願いしてきたが、断られてしまった。やはり賄賂がないとダメか」
 学校と寮が遂に閉鎖された。生徒は遠くの故郷に帰って行った。自宅でWi-Fiが使える生徒は一割もいない。メイは学校近くのソウの家に泊めてもらうらしい。どこまでできるかわからないが、オンライン授業を始めるしかない。初日、校長の長瀬があいさつした。長瀬の第一声は「画面で見ると皆、チョー可愛いね。日本に行ったら、俺みたいなイケメンが一杯いるから気をつけろよ」 
 キャッ、キャッと画面に並んだ女の子たちがはしゃいでいる。雪乃は、生徒がこの手の俗語に通じているのにも驚いたが、それ以上に長瀬のツカミの巧みさに舌を巻いた。只ものではなさそうだ。
 雪乃の指導もあって、ZOOMの授業が軌道に乗り生徒の日本語能力は伸び始めた。ある日、メイが相談に来た。去年、日本に行って横浜の老人ホームで働いている先輩が是非オンライン授業に参加したいと話しているという。
「ピョン先輩。美人でとてもいい人」メイは目を輝かせる。
 昼間は仕事で忙しいとかで、ピョンの特別授業は夜になった。メイとソウも一緒に参加すると言う。横浜にいるピョンの日本語は流ちょうでよどみがなかった。ただ、ソウも負けていない。漢字はピョンよりよくできた。
 雪乃はメイが耳打ちしてくれた話を思い出した。横浜の老人ホームの人が採用面接にやって来た時、ピョンが合格、ソウは落ちたのだという。誰が見ても当時の日本語能力はソウが上だったのに。
「ソウ、かわいそう。肌の色が黒いから」メイはそう説明した。ピョンは性格も穏やかで笑顔が可愛いらしい。ソウは性格もきついし、物言いもぶっきらぼうだ。
 雪乃は日本語を教える合間に、日本の文化や習慣も伝えるようにした。礼儀正しく。いつも笑顔を忘れない。言い出したらきりがないが、皆、素直に聞いてくれた。

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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