ラジオで被災者と震美術に想いを寄せて

ゴジラもまた表現のひとつとして存在する

「シン・ゴジラ」の話に戻ろう。そもそも「ゴジラ」はなぜ生まれたのだろう。2014年ハリウッドが手がけた作品、「GODZILLA ゴジラ」が封切られた頃、初代ゴジラが誕生して60周年というメモリアルイヤーであった。

その原点は、文明批判の精神だという。1954年の第1作が、同年の第5福竜丸船員の被ばく事件をきっかけに作られた。ゴジラの姿は自然界にはない抽象的なデザインであること、俳優がキグルミの中に入って怪獣を演じる「スーツプレイ」も海外では例が少なくて斬新な表現として受けとめられているという。

シン・ゴジラは東日本大震災と、それに伴う東京電力福島原子力発電所の事故が起こらなかったら誕生しなかっただろう。さらに、シン・ゴジラのポスターには「現実対虚構」と中央に縦書きされていて、それにカタカナのルビで「ニッポン対ゴジラ」と加えられている。この作品、もしも日本の首都東京に巨大怪獣「ゴジラ」が現れたら、現実的に政府や各国はどんな対応をするか?そんな問に対する回答が、ある種の政治的シミュレーションとなって表現される。

私は「シン・ゴジラ」を面白がって、劇場で3回観た。ファンの方なら、もっと何回も観ておられるだろう。私の面白がりは、映画を観る劇場の違いから受ける他の観客たちの印象を知りたかったことに起因する。

そう、私は、名古屋・東京・名古屋と3会場で鑑賞したのである。案の定、東京の映画館で観たときの観客のざわめきは、ゴジラが現れた地、東京が生活圏のひとつになっている人たちからすれば、自分の知っている場所がゴジラに破壊される衝撃は大きいだろう。

実際、映画を観ている人がツイッターで、「ただ今、勤務している社屋がゴジラにやられました」という情報を拡散させていたという話があるくらい。

心に寄り添い、信頼の手を伸ばす「表現」

その後、表現という意味で心打たれたのが、平成という時代に象徴の和歌を紡いで、被災者と国民をつないだ天皇陛下の、いくつかの一首である。これもまた、中日新聞3月27日の夕刊出所の記事である。歌人、永田和宏(ながた かずひろ)さんがまとめられたもので、天皇皇后という存在を介して、国民一人ひとりが被災地の人々とつながるという内容のもの。

日本はとてつもなく自然災害の多い国で、台風や洪水、地震、津波に被災し傷つくも、その傷を癒し、寄り添って下さる存在が、天皇皇后両陛下。陛下が詠んだ、その表現として和歌に深く心が揺さぶられ、国民へのメッセージとなっている。国民には、自分たちに何かあった時は、かならず手を差し伸べてくれるという信頼感となっている。

たとえば、平成5年(1993年)7月12日夜に発生した、北海道・奥尻島少し北の日本海でマグニチュード7.8、推定深度6の大地震。北海道南西沖地震と呼ばれているもの。被害の多くは津波によるもので、奥尻島などで死者202人、行方不明者28人であった。

地震発生からわずか15日後、7月27日に天皇皇后両陛下が訪問し、被災者たちを見舞われた。その時の天皇の一首が、次のようなものである。
壊れたる建物の散る島の浜 物焼く煙立ちて悲しき

また、被災地を再訪され、「その後」の人々にも心を砕いて、励ました。その時、皇后は次のような一首を平成6年(1994年)に作られた。
被災せる奥尻島の子供らの 卒業の春いかにあるらむ

私たち人間は、様々なものを介して表現活動を行っている。それをコミュニケーションという言葉で置き換える人もいる。そして、その表現にはいろいろな意味が込められている。私たちが活動している「てにておラジオ」も各種の番組づくりの中で企画、担当、編成、プロデュース、技術とそれぞれの想いの中で制作し放送されていくのである。そんな活動についての話は、また後日にする予定だ。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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