青いバラ、奇跡の予感:希代 準郎

作家
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◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(34)

 カトリック教会の静寂な空間を一歩外に出るとホームレスがスープキッチンに列をつくっている。垢にまみれよだれを垂らした麻薬患者とおぼしき姿もある。あふれんばかりの陽光の下でそれは寒々とした光景だった。
 春野和貴は中庭の花壇に救いを見い出した。アンネのバラだ。この悲劇のヒロインの形見として父親が寄贈した赤いバラが世界各地に広がったが、これもそのひとつだろう。和貴が卒業した大学のキャンパスにも植えられていた。「もし神さまが私を長生きさせてくださるなら、社会に出て、人類のために働きたい」。そんなアンネの言葉が石碑に刻まれている。
 和貴は将来は国連で働きたいと思っているが、とりあえず日本の小さなNGOに就職し、南米のこの国へ派遣されてきた。赴任して半年、早くも限界を感じ始めていた。貧困地域の小学校を訪れた時、校長の第一声が「それで、おたくのNGOは何をくれるの?」だった。米国の大手NGOが入れ替わり立ち代わりやってきてお金や物を配るので、現地の人たちは援助慣れしている。貧困から脱しようと自ら努力するのではなく、援助に依存しきっている。
 支援しても無駄、とNGOが立ち去っても、すぐに別の支援団体が現れる。和貴の団体もそのうちのひとつに過ぎない。
 先日、こんなことがあった。農業研修をするため村中の農民に声をかけたのだが、誰も来ない。現地スタッフのダニエラが両手を広げて肩をすくめた。
「だって国連や米国NGOだと研修に参加すると日当がもらえるんですよ、5,000円も。みんなたかり体質が身についているからタダでは来ないわよ」
「日当だって?ありえない。役に立つ研修なんだから」
「換金作物でひどい目にあっているのよ、カズキ。それに、研修で勉強して農作物でお金持ちになったら、誰も援助してくれなくなるじゃない」
 援助によって農民は誇りも自立心もなくしてしまった。和貴は途方に暮れた。

 「あんた、日本人か」教会の中庭でぼんやり物思いにふけっていた和貴に白髪頭の老人が葉巻をすいながら声をかけてきた。煙った右手は小指から3本指がない。和貴がうなずくと、「ふうん、ずいぶん若いが、駐在員か」
「いえ、NGOです」
「NGO? 援助じゃこの国はよくならんぞ」
 男は立ち去ろうとした。ムッとした和貴が「じゃあ、どうしたらいいんですか」と背中にいらだちをぶつけた。振り返った男はニヤリと笑うと、「乗れや」と道路に止めてあるおんぼろトラックにあごをしゃくった。
 土地の人が、聖なる山と呼ぶ霊峰の麓でトラックを降りた。目の前にバラ園が広がっている。このあたりは赤道直下だが、標高が2,500㍍もあってバラの栽培には最適なんだよ、赤いフリーダムだけじゃなく、ピンクのトパーズ、黄色のラティナなんていう品種もあるんだ、と朽木雄三と名乗った男はあたりを見渡した。
 この国に渡って長くエメラルド採掘場のトンネル暮らし。岩盤に発破をかけた時の事故で指を失った後、バラの栽培の仕事を始めたという。
「学生運動で挫折してな、日本を飛び出したんだ。その時の喧嘩相手の教授が神父でね。尾羽打ち枯らして教会にいる時に、その神父とばったり。偶然だったが、ここの出身で引退後帰国していたんだ。嫌な奴だったが、今の仕事は神父の紹介だよ。人生わからんね」
 朽木は聖なる山を指さした。
「もう少し山に近いところに広い土地がある。そこにバラを植えれば、何十人か人を雇える。仕事があれば人は働く。汗が誇りを取り戻してくれるんだよ」
「ビジネスがこの国を救うかもしれませんね」
 その時、目の前をジープが通り過ぎた。助手席の男が威嚇するように機関銃を乱射した。
「バラを増やすのに問題がふたつある。ひとつは水。もうひとつは物騒なあの連中だ。山奥でコカインを精製している」
 朽木はそう言うと小屋の奥に姿を消した。しばらくして鉢植えを大事そうに抱えて戻ってきた。鮮やかな青い色をした見たこともないバラだった。
「どうだ、見事だろう」老人は目を細めた。
「これはすごい。藤色のバラは見たことがあるけど、こんなに濃い青のバラは初めだ」
「ブルームーンなど青バラと呼ばれる品種は赤いバラから赤い色素を抜くという手法で紫や藤色に近づけようとしたものじゃ。だがな、これは違う。青い色素を含んだまったくの新種なんだ。世界初の品種じゃよ」
「朽木さん、世紀の発見じゃないですか」
「聖なる山の上の方で見つけたんだ。コカの木がいっぱい植わっている、これまであまり人が分け入ってない場所だ」
「じゃあ、コカイン工場の近く?」
 朽木は表情を曇らせた。

 青いバラの話を聞いた村の人たちは沸き立った。ダニエラがラモンという友人を連れてきた。照れ笑いしている顔に見覚えがあった。
「昨日は機関銃を撃ったりして悪かったな。実は、コカイン工場で働くのはもう御免だ。米国の命令で軍がコカインの制圧に動いている。コカインの密造も行き詰ってて、俺たちの給料も遅配が続いているんだ。もうやってられねえ。新しいバラの仕事があるなら、仲間も喜ぶ。やらせてくれないか」
「ラモン、麻薬のシンジケートから抜けるのは難しくないの」
「心配するなよ、ダニエラ。幹部は外国人だ。こいつらを追放してしまえばあとは簡単さ」
 朽木が口を開いた。「乾季には周辺のバラ園同士で毎年、水の奪い合いが起きている。山からの細い川は水量に乏しい。このうえ、バラ園を増やし、上流で水を取ろうものなら、間違いなく水戦争が勃発する」。
「だったら井戸を掘ればいいいんじゃないか」誰かが提案した。
「いい考えじゃないの。カズキ、日本の技術者に協力してもらえないかしら」とダニエラが甘い声を出した。村人の目が一斉にこちらを向いた。どの顔も生き生きとしている。
「あんたの出番のようだな。どうだ、やってみるか」朽木が声をかけた。
 和貴はこの国を好きになりそうな予感がした。 (完)

作家
日常に潜む闇と、そこに開ける不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな 担い手。この短編小説の連載では特にNPOという新たな動きに注目、そこに関わる群像を通して、生きる意味、生と死を考える。

2019年10月4日(金)9:28

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